孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

日本では無名でも、台湾人はみんな知ってる!

2016年06月20日 | 外国ネタ
去年台北旅行に行ったとき、「KANO」というタイトルのDVDを買ってきた。ブログにも書いたが、スポーツ根性物の実話に基いた台湾映画なのだが、全編ほとんど日本語である。かなりの長編大作映画だったが、これが台湾で大ヒットしたのだった。

KANOとは、嘉義農林学校の略称で、野球のユニフォームに縫い付けられた学校名である。そして、この中にも『八田與一』(はったよいち)は登場していた。

私はそれまで八田與一氏の名前も業績も、そして、この名前を知らない台湾人はいないほど、台湾では超有名な日本人であることもまったく知らなかった。

水源が無いため台湾の南部にあった嘉南平原は農作物は育たない荒地だった。

日本が日清戦争に勝利して、台湾を統治することになってから、東京大学で土木工学を学んだ八田與一氏は、嘉南平原の農業感慨を目的として台湾に渡った。1920年のことだった。10年の歳月をかけて、烏山頭ダムを造り、嘉南平原を台湾一の大穀倉地帯に一変させた功労者として、地元の農民達に慕われ、今でも彼の命日にはお墓が花で埋もれてしまうほどだという。

私が興味を抱いて、是非一度彼のお墓参りをしようと思い立ったのは、彼の残した業績のせいだけではなかった。工事中に被災して亡くなった方々を、日本人・台湾人のわけ隔てなく弔ったという、彼の姿勢のせいでもなかった。

それは、農民達の懇願を拒みきれずに、せめて見下すような銅像ではなく、腰を下ろした銅像を、と造ってもらったのだが、国民党軍が台湾にやってきて、銅や鉄の供出を強要した蔡に、農民達は八田の銅像を農家に隠して供出を免れたという、エピソードを知ったことだった。

更に、もう一つのエピソード。

ダムを完成させた後、八田が日本軍の輸送船に乗ってフィリピンに向う途中で、アメリカ軍の潜水艦に撃沈されこの世を去った。その翌年だったか、妻の外代樹(とよき)は、八田の造った水路に身を投げて、彼の後を追ったという、痛ましい話を知ったことがきっかけであった。



外代樹の写真がたくさん残っているが、見た感じ大柄の美人で、いかにも気骨のありそうなしっかり者の大和撫子のようだった。

当初、台北から嘉義までは台湾高速鉄道(新幹線)を利用しようかと考えたが、早朝台北駅のすぐ横にある、長距離バスのターミナルに行ったところ、ちょうど嘉義行きのバスが出るところだったので、チケットを買って飛び乗ったのだった。



嘉義まで3時間ちょっとで、350ドル(約1200円)。バスはエアコンがよく効いていて、しかもトイレつきだった。

高速道路の両側に広がる水田は、稲刈りがこれからという田んぼや、もうとっくに終えた田んぼが入り混じっていて、いかにも亜熱帯らしい光景が広がる。

ローカル鉄道の嘉義駅に到着したら、電車でダムまで最も近い隆田駅まで約40分。隆田駅前には、黄色のタクシーがたくさん止まっている。

 切符、$52(約180円)

 ローカル線車内



うさんとうすいくー(烏山頭水庫)と言うと、タクシーの運転手は「800ドル」と言ってきた。ガイドブックには700ドルとあったが、頑固そうなお爺さんだったので、800ドルで了解した。

ダムまではタクシーで10分ほどで着くが、中に入ってからは広大すぎて、とても徒歩では廻れない。

 広大なダム湖

 素朴な記念館だった。

 子沢山の八田與一


そして、いよいよ與一の銅像(座像)の場所へ。










銅像の後ろには、八田夫妻のお墓がある。

 

八田夫妻のお墓の横は、農業指導で活躍した、『技師中島力男氏分髪』の碑があった。

八田與一祈念館では豊富な写真やその説明と、映像での功績紹介もあり、なかなか充実していた。そして、当日も台湾人5~6名が熱心に展示物に見入っていたのが印象的であった。

最後に、工事中の事故などで亡くなった134名の為に建立された殉工碑を見た。なくなった順番に氏名が刻まれていた。確かに、日本人・台湾人の差別はなかった。そして、八田自らが書いたという慰霊文も読み取ることができた。



タクシーの運転手が最初に言った通り、隆田駅に戻ったのは、出発してから約2時間後であった。

今度は隆田から嘉義駅までの切符を買い一路嘉義へ。

さらに、嘉義駅から高速鉄道の嘉義駅までの無料シャトルバスに乗って、いわば新幹線の嘉義駅へ。

出来立てのきれいな嘉義駅で台北までの切符を自販機で購入。




買い方は、事前に youtube で見ておいたので、何の苦も無く買うことが出来た。



 しゃれたボトルスタンドが。

そして、1時間半で台北に到着しました。週末で混んでいましたが、何とか最初から座ることができました。1045ドル(約3300円くらい)




台北は曇天で少し小雨が降ったようですが、宿に戻って一休みしているうちに、本降りになってきました。遠くに遠雷も響いていました。




県知事、、、まるで、〇〇強盗

2016年06月20日 | 政治ネタ
今朝の朝刊、ローカルページに、「知事会見抄録」という記事があった。知事と言っても、都知事のゾエのことではない。

似ているが、マスゾエの会見ではなく、地元の県知事川勝ヘータのことだった。

どうでもいいような朝鮮朝貢団のお祭りのために、県知事の分際で南朝鮮の女酋長あてに招待状を送ったりして、やることがまるでマスゾエとそっくり。家来を従えての大名旅行もゾエと似ているのは、決して偶然ではない。

本質が同じ生き物だということだ。

外国に遊びに出かけた中で、8割近くは条例に違反した宿泊費を使っていたことが明るみになった。



しきりにリオ五輪に行きたがるのも、ゾエと同じである。大名旅行の宿泊費が問題になってしまったので、「リオへの外遊は取りやめることにした。」と威張っていた。

リオに行って、静岡県のPRと合宿の誘致活動をしたかったそうだ。また、県下の教育関係者も同行して、学術教育上の協定まで持って行きたかった・・そうだ。

「物は言いよう、屁はこきよう」。適当に見繕った学校と姉妹校の取り決めでもするつもりだったのか?

しかし、会見では、「県職員が宿泊費を調べたら、一泊14~20万円するそうです。もう少し探したら、リオに一泊8万円というところが見つかったそうで、サンパウロは3万8千円だそうです。規定は、一泊1万7千400円なので、私は規定に従って行くべきではないと思います。ルールに違反するような訪問はすべきではない。それが私の結論です。」だと!

これまで、存分に条例違反をしてきたくせに、何を今更偉そうに・・・。

おまけに、「規則は30年以上前の規定で、物価は上昇している。明らかに現実に合っていない。現実にルールを合わせるべきだ。政府に申し上げなければならない。」

強盗に入って見つかると、「この家は戸締りが杜撰だ。犬を飼っておくべきだ。」と家主を叱責する悪党を、「説教強盗」というそうだ。

川勝ヘータ知事は、まさにこれである。


台北から台南へ。帰りは新幹線で。

2016年06月20日 | 旅行
先週の木曜日の5時に仕事を終え、大急ぎで空港へ。

空港の駐車場で、勤め先の制服から普段着に着替え、トレッキングシューズに履き替えてからチェックインカウンターに向った。

三泊四日の台湾旅行も今回で、4度目になるので、手馴れたものであった。搭乗口には日本人観光客と台湾人観光客がほぼ半分ずつの比率だったろうか。台湾人は、支那人と違って極めて物静かだと思う。

その違いがはっきりしたのは、私が搭乗口の待合着いてから1時間も立った頃であった。支那の杭州行きの便に乗る支那人団体が、ぞろぞろ集まってきたのだった。

日本円を使い切りたいようで、駄菓子を買ってきてはムシャムシャ食べ始める若者や、カップヌードルにお湯を注いでもらって、食べ始める支那人たちもいた。

とにかく喧しい連中である。見ていると、カップヌードルをお替りしているオヤジもいた。食べ方も下品そのもので、台湾人たちも顔をしかめてみていた。

今回の台湾旅行は、八田與一のお墓参り、六氏先生のお墓参り、そして龍山寺参りとタイペイアイでの観劇。この四つが主な目的であった。帰りの便で一緒になったオバサングループに私が訪問した場所を言っても、全く理解されなかったのが面白かった。

 八田與一の銅像

 芝山公園

 龍山寺

 台北アイ

6月は台湾も一年で最も雨量が多い時期である。覚悟はしていたが、やはり二日ほど夕立に見舞われた。

ほぼ目的は達成したのだが、旅の疲れが今日出てきた。仕事中、何度も睡魔に襲われて、腰は痛むわ膝はガクガク・・・。

しかし、ブログのネタはたくさん仕入れてきたので、今週は台湾ネタが中心になると思う。

写真も全部で200枚ほど撮ってきた。

乞う、ご期待!