孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

政策の無い政党。

2016年06月11日 | 政治ネタ
党名すら自分達で決められない・・・。

未成年やバカ学生の票頼み・・・。

日本、大嫌い、日本死ね・・・。

 政策不要!

伝統文化や家族主義など糞くらえ!

コンクリートから人へ! 公共事業なんて不要!

自衛隊も要らない!どこが侵略してくるっていうんだ?

支那・朝鮮は理想の国家だ!我が友だ!!


 政策無用!

出来れば、政策も一般公募で決めていい。

そんなことより、一票ちょうだい!!!

ついでに、お買い物はイオンモールで!!!


ついに泣き落とし?

2016年06月11日 | 政治ネタ
時事通信によると・・・

『 東京都の舛添要一知事は10日の定例記者会見で、政治資金流用問題などをめぐる自身の進退に関連し、「都民に対して仕事をしないと死んでも死にきれない」などと述べ、改めて知事を辞職しない考えを示した。』そうである。

すぐにでもこの世から消えて欲しいと思われている悪人に、「都民に対して仕事をしないと死んでも死にきれない」と言われても、ただただ白けるだけで、どこまで厚顔無恥な生き物なのか、と呆れてしまうのだ。



しかも、こういう弱音のような弁を垂れるときも、目つきは凶悪強盗のようなのだから、同情しようにも怖くて声も出ないくらいだ。


記事はさらに、 『 舛添氏は「東京を世界一にするために都知事になった。お許しをいただき、もう一度仕事をするチャンスをいただきたい」と強調。「学者出身ということもあるし、非常に生意気な答え方があると思う。政治家としての立ち居振る舞いを見直したい」とも述べた。』と伝えている。

睨みつけて泣き言を言ったところで、その魂胆は見え透いているが、かといってこの守銭奴には野々村のような泣き顔は似合うまい。



最近は『水戸黄門』や『大岡越前』のような勧善懲悪のテレビドラマは無くなってしまい、それも国民の善悪の感覚が影響しているのかもしれないが、日本に限らず、この手の悪人の末路は大抵悲惨な結果となるものだ。

そうなる前に、自ら退くのが日本人の身の処し方であったと思うのだが、この辺りもゾエの体は日本人以外の遺伝子に操られているようだ、と思わせる所以である。

芸の肥やしになってるのか??

2016年06月11日 | 芸能関連
楽太郎と呼ぶほうが馴染みが深いので、そう呼びたくなるのは、こぶ平や桂三枝も同じである。

落語家が師匠の名前を襲名するのは仕来りなのだろうが、こういう連中の芸が円熟して、すばらしいと言えるのかどうかは、どうも私は疑わしいのでそうする。

ほとんど私は、三遊亭円生と古今亭志ん生しか聴かないので、この二人以外は名人と認めない。こんな調子では「落語通」とはとても呼べないだろうが、最近の「落語家」は、はたして落語ができるのだろうか?と真面目に疑問を感じている。

生活のため、バラエティー番組に出るのはいいが、そちらが本業になっているような落語家が多すぎるような気もする。

さて、楽太郎が不倫の現場を写真週刊誌に撮られたそうで、例によってお決まりの謝罪会見をやっていた。



ちょっと前にも、関西の落語家、桂三枝が妾を囲っていたと会見していたようだが、相変わらず新婚さん相手に馬鹿を言っているようだから、もう世間は許したのだろう。

落語家のエピソードで私が好きなのは、何と言っても古今亭志ん生の高座での逸話だ。あるとき、飲んベイの志ん生は高座に上がって落語を始めようとしたのだが、酔いが眠気を誘ってコックリ、コックリと居眠りをし始めた。

舞台の袖でその様子を見ていた弟子が、志ん生を起こそうとしたその時、客席から声が飛んだのだった。

「そのまんま寝かしといてやれ!」

昔の落語好きたちは、酒や女は芸の肥やしにすればいい、という思いがあったのだろう。「いい芸」を楽しみたい、「名人芸」を味わいたい。ただそれが最優先だったのだろう。そして、その底辺には、「所詮、芸人なのだから・・・」という感覚が基になっていたのだと思う。

楽太郎は、昨日の会見で、「不倫とかけて?」というなぞかけを振られていた。

その回答に、記者たちは笑っていたようだが、出来は『笑点』並みの駄作だった。とても、「座布団一枚」には値しない。



それにしても現代は、落語家ごときですら、一言「これを芸の肥やしとして・・・」と言える時代ではないのか・・・。

近くには、二言目には「謝罪せよ」と言う半島部族がいるが、対して日本人はいつからこれほど謝罪させたがるようになったのか??