楽太郎と呼ぶほうが馴染みが深いので、そう呼びたくなるのは、こぶ平や桂三枝も同じである。
落語家が師匠の名前を襲名するのは仕来りなのだろうが、こういう連中の芸が円熟して、すばらしいと言えるのかどうかは、どうも私は疑わしいのでそうする。
ほとんど私は、三遊亭円生と古今亭志ん生しか聴かないので、この二人以外は名人と認めない。こんな調子では「落語通」とはとても呼べないだろうが、最近の「落語家」は、はたして落語ができるのだろうか?と真面目に疑問を感じている。
生活のため、バラエティー番組に出るのはいいが、そちらが本業になっているような落語家が多すぎるような気もする。
さて、楽太郎が不倫の現場を写真週刊誌に撮られたそうで、例によってお決まりの謝罪会見をやっていた。
ちょっと前にも、関西の落語家、桂三枝が妾を囲っていたと会見していたようだが、相変わらず新婚さん相手に馬鹿を言っているようだから、もう世間は許したのだろう。
落語家のエピソードで私が好きなのは、何と言っても古今亭志ん生の高座での逸話だ。あるとき、飲んベイの志ん生は高座に上がって落語を始めようとしたのだが、酔いが眠気を誘ってコックリ、コックリと居眠りをし始めた。
舞台の袖でその様子を見ていた弟子が、志ん生を起こそうとしたその時、客席から声が飛んだのだった。
「そのまんま寝かしといてやれ!」
昔の落語好きたちは、酒や女は芸の肥やしにすればいい、という思いがあったのだろう。「いい芸」を楽しみたい、「名人芸」を味わいたい。ただそれが最優先だったのだろう。そして、その底辺には、「所詮、芸人なのだから・・・」という感覚が基になっていたのだと思う。
楽太郎は、昨日の会見で、「不倫とかけて?」というなぞかけを振られていた。
その回答に、記者たちは笑っていたようだが、出来は『笑点』並みの駄作だった。とても、「座布団一枚」には値しない。
それにしても現代は、落語家ごときですら、一言「これを芸の肥やしとして・・・」と言える時代ではないのか・・・。
近くには、二言目には「謝罪せよ」と言う半島部族がいるが、対して日本人はいつからこれほど謝罪させたがるようになったのか??