まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

新しき鎌買ってきた立葵

2020年07月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇れたり曇ったりしていた。気温は23.0度から28.9度、湿度は94%から70%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、未明には雨が降る見込みらしい。

 

 101/56/78 36.1c-96% 59.8Kg 24.5c-90%-1005hPa 体調に変化は無いが、手足や指などが筋肉疲労みたい。すこしばかり動きすぎたかしらん。

 

 今朝の朝食である。久々にサンドイッチ風。昔、サンドイッチマン(広告宣伝手法の一つで、人の胴の前面と背中の両方に宣伝用の看板を取り付け、町中にたたずみ、あるいは歩行する広告手法、およびその看板を取り付けられた人のことをいう。人間広告塔の形態のひとつである。)という人がいたが、今でもいるのだろうか。最近のテレビなどでの「サンドウイッチマン」という芸人のことではない。

 

 これは我が家の西側の水路で、「みろく奥池」という池への導入路である。管理は水利組合がやっているが、年に数回しか草刈りなんぞはやってくれない。だから、私がついつい、やってしまうのだ。このブロック塀からが我が家で、その間の「泥揚げ場」は水利組合のものだが、奥方がお花や雑草を植えてしまう。

 

 で、昨日は、南側の20mほどの草刈りをやったところで時間(午前9時)になったのでやめた。気温が高くなってくると暑くてやってられなくなってしまう。

 

 でも、それでは中途半端だと思って、我が家の土地の最南端までの草刈りをやっておいた。この水路の見えなくなるところまでだ。それから先は、大家さん(我が家の土地を売ってくれた人)の息子さんが除草剤で処理してくれている。だから、この水路の右手は耕作放棄地である。

 

 それが終わると着替えをしてホームセンターへ行ってきた。こういうところへ行くと、「何でもあるなぁ・・」と思うのだが、私の欲しいと思う物は置いてない。

 

 こういう、「空き缶クラッシャ-」と呼ばれる物である。我が家はいつも空き缶が多い。だから、我が家の空き缶だけで自治会の集積場が一杯になる。それだし、我が家ででも空き缶はかさばるので困りもの。これで容積・体積を小さくしたいと前々から考えていたことだった。

 

ところがである。そうしたものは、どこにも置いてない。手で潰せばいいじゃないかと言うけれど、毎晩毎晩、それもしんどいものがあるし、足で潰すというのも案外と力がいるものだ。

 

 で、なんだかんだで、要らぬものまで買い込んでしまった。

 

 で、今日のお昼である。昨日がおそうめんだったから、今日はおうどん、「温玉カレーうどん」というシンプルなもの。それに「野菜サラダ付き」である。温泉たまごの作り方がわかったから連日の温泉たまごである。今日は「溶けるチーズ」はなし。

  

 「カツカレー」とか「エビフライカレー」とかも考えたけれど、お値段しそうなのでやめておいた。それだし、あぶら物はアレルギーの可能性もあるのだし。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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