まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

じんじんと梅雨降りしきり爪を切る

2021年05月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、梅雨前線が西日本を北上するため、雨や雷雨となっていた。気温は18.5度から23.8度、湿度は98%から86%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、午前中は梅雨前線が西日本を南下するため、朝まで雨や雷雨となる見込みで、昼前からは気圧の谷の影響で曇るらしい。

 

 114/63/79 36.2c-98% 64.8Kg 22.2c-69%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 昨日の「ためしてガッテン(NHK)」で、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のことをやっていたが、呼吸が荒くなるとか重いものを持てないとかいくつかの共通点はあったのだけれど、毎回、レントゲン検査を受けているのに、そういう指摘は一度もなかった。

 

 私の場合は、心不全で画像左のように肺が縮小しているために、呼吸困難になるらしいので、COPDとは関係ないなぁと眺めていた。でも、若い頃にはたばこを40本から60本もを吸っていたのだから、そういう症状にはなっているのかも知れない。

 

 ということで、今日も朝方は「エンディングノート」の修正作業をやっていた。多くの場合、記入日を今年の6月に修正するものだった。大勢にかわりはない。

 

 芸能人のどなたかが、「やりたいことはやって済んだ」というようなことを話していたようだが、そんな気分である。やりたい放題にやって済んだ。やり残したことは何もない・・・という思いである。

 

 財産目録もエンディングノートの修正作業も済んだ。

 

 今日の午前10時からは月に一度のケアマネさんの訪問日であった。で、近況報告から昨日の市民病院でのいきさつの報告をしておいたし、明日の香川医大付属病院での診察予定のお話もしておいた。

 

 このケアマネさんは3月からの担当なので、改めて私のことを話しておいた。私の心臓病、心不全症候群はステージDの最終位置にあること。今度、何かあれば心臓は回復しないこと。

 

 こういうことで、心臓移植や補助人工心臓は年齢的にもムリなんじゃないかということだったし、人生の最終段階のケアになるとの説明だった。もう、後はないのである。症状のコントロールを地道に続けるしかない。

 

 昨日の市民病院でも指摘をされたが、右のような「心膜炎」が進んでいるが、これに対する手術はできないし薬もないことを確認している。この心外膜の硬化で心臓が動きにくくなって水分処理ができないことも香川医大付属病院で告知されている。

 

 そんなことよりもである。昨日、市民病院の内科の看護師さんから携帯電話に連絡があったのだが、私の車のスピーカから着信音が流れ、応答したら、看護師さんの声が車のスピーカーから聞こえるのには驚いた。私は何も設定なんぞしておらず、何をどうしていいかわからずに右往左往したことだった。結局、車から降りて、車外から連絡し直して通話できたのだけれど、iPhoneにしたら、そんなことができるのかと、ケアマネさんと大笑いしたことだった。Bluetooth®が何なんだかまるで分かっていない私であった。

 

 富山からの氷見うどんは到着したが、今日はつつましやかにシラスご飯になった。右はアナゴ入りの卵焼きである。

 

 おうどんは、早速にののさまにお供えしておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「金が欲しさにいのちを忘れ、いのちなくなりゃ金いらん」という毎田周一さんの言葉から。いつも御世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。毎田周一(まいだしゅういち)(1906-1967)は、日本の仏教思想家・詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年 長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。他にも◎愚禿とは最も鋭利なメスの切り先だ。◎自分とは、最も身近にある他人だ。自分を持て余すというぢゃないか。◎貧しさそのものは不幸ではない。富めるものと比較するとき、不幸になる。などがある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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