まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花しょうぶつまらぬ噂聞かぬふり

2021年06月01日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.4度から27度、湿度は94%から64%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 118/62/78 36.5c-98% 64.6Kg 20.8c-55%-1015hPa 体調に変化はない。だからと言って健康体ではない。介護認定は「要介護2」だから歩くことはできないということになっている。

 

 今日から六月・水無月(みなづき)である。水があるのに水無月とはこれいかに。山があるのに「山梨県」と言うがごとし。晴れの日になめても「飴」とはこれいかに。冬に飲んでも「つゆ」と言うがごとし。一個を食べても「まん十」とはこれいかに、一枚を食べても「千べい」と言うがごとし。この場合の「無」はないということではなくて、「の」という意味らしい。つまり、水の月という意味らしい。

 

 梅雨入りはしたけれど、雨らしい雨は一日か二日だけ。昔のようなジメジメ感もムシムシ感もない。今日だって30度を超すかも、暑くなるかもと天気予報は騒がしかったけれど、そんなに暑くもないし、日陰に居ると肌寒い位だし、木陰に居るとさわやかな気分だった。最近のテレビもラジオも新聞もいい加減と言えばいい加減だ。

 

 で、手前の黄緑の木の枝が梅の木である。その向こうの深い緑は桑の木である。今頃は桑の実がついた頃なのでサルが大挙押し寄せてきて、この桑の木で遊ぶから大変だ。

 

 それはさておき、梅のシロップもいいよと教えられたので、青梅を採ることにした。これは旧の松尾村の道だったところに自生したものらしいが、いつの間にか我が家の物になっているらしい。

 

 それを、高枝切りハサミで収穫するのだが、管理もしないし手入れもしていないので、梅の実は多くはない。

 

 パラリ、パラリと一個や二個を拾い集めるものだから、これでは梅シロップにもならないぞと思いつつ拾っていた。

 

 だから、バケツに三分の一ほどの収穫しかなかった。

 

 それを掃除して・・・、

 

 秤で量ってみたらば、それでも2,450gにもなった。梅シロップは1Kg単位で4㍑瓶につけるから2瓶にもなる計算。これだけあれば十分ではないか。

 

 で、今日のお昼はおそうめんにしてみた。最近の若い方は、食事のことを「ご飯」と言って、パン食でも「ご飯」、「うどん」でも「そば」でも「ご飯」というが、本来ご飯というのは「お米=ライス」のことを言ったもの。だから、犬のドッグフードを「ご飯」とは言わないと思うのだが。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるからやるんじゃない やるからできるようになるんだ」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板から。久保ひろしさんの「やるからできる:人生を劇的に変える思考法」から。物事に、最初からできるものはない。少しずつ、こつこつとやり続けているから、立つ ことも、歩くことも、走ることも、お箸を使うことも、鉛筆を持つこともできるようになった。やってきたからできるようになったのだ。これからもそうだ。できることをやるのは当たり前だ。できないことをこつこつとやり続けていたら、できないこともできるようになるのだと、久保さんは教えてくれた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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