まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春の山 朝風呂の窓 開け放ち

2012年02月11日 | 自然ありのままに

 今日はいい天気で晴れ上がったのだけれど、気温は上がらず・・・数度から8度どまりでやや風も冷たかった。

 

 朝の間は・・・掃除をしたり、ゴミ出しをしたりしながら朝の散歩にも出た。しっかりと動かないと・・おなかもすかないし、食欲も出ないというもの。島を歩いても、目新しいものがあるわけではないが、とりあえず1時間程度は歩いてみた。

 

 これは・・・広島神社の境内にある「灯油倉庫」で、沖にある「羽節:はぶし灯台」の点灯用の灯油を入れていた倉庫で、英国人技師の指導によるものだそうで、初期灯台や待息所などと同じような建て方になっている。

 

 今までは気にもならなかったのだが、実はこの倉庫、海からは100mほど入った高台に立っている。よく考えてみたら、この倉庫から灯油を容器に入れて、伝馬船(手こぎの小型木造船)で沖まで油を届けるのには奇妙な位置にある。ということは、昔には、このあたりまでが海であったのではないか・・と考えた。当然・・すぐ東の墓地は海岸沿いの砂浜であっただろうし、レキの墓も海岸近くにあったに違いない。

 

 そう考えると・・・明治から150年ほどで、100mも海が遠くなったことになる。そんなことを考えながらの散歩になった。

 その後は朝風呂に入り、缶ビールを飲みながら・・・「下関戦争」とか「四境戦争」についての資料整理をやっていた。イギリスやフランス、オランダ、アメリカなどの列強は薩摩や長州などとこぜりあいを繰り返していたみたい。尊皇だ攘夷だという混乱の時代やったんやねぇ。

 

 こうした列強と戦をやっても勝ち目はない。日本という国は開国から明治という時代に突き進んで行くんやね。だから・・・示威行動、威嚇行動をしながら瀬戸内海を航行して、大砲から実弾を島や山めがけて発射したんやろうね。

 

 今日のお昼はカレーうどんになった。もちろん・・・という訳でもないが、大塚の「ボンカレー」だった。麺さえしっかりとしてれば、こういうものが手軽でいい。

 

 午後からも・・・お墓探しやら、見残しはないかとか、レキ墓観光コースはどう歩けばいいのか・・みたいなことを考えながらの散歩になった。時期が良くなれば、メンバーで現地を歩きながらの勉強会もいいかも知れないと考えてのことだった。

 

 そうそう、昨夜、この近くの岡さんという方が、島四国の86番札所の志度寺の石仏を見つけたよ・・・という連絡があった。少し暖かくなったら歩いて現物を見たいものだ・・。でも、一人で山に入るのは怖いので、誰かと行かないとね。広島支所に写真を預けたというので、月曜日にでも見せていただきたいもの。

 

 これは・・・瀬戸内に残る風習で、「七郎為朝御宿」と書いてあって、「我が家には、強いお客様がお泊まりだから、悪い人は入ってこないで・・」という合図らしい。

 

 で、今日の掲示板はこれ・・・。わかってはいるのだけれど、ついつい、あんな人はいなくなればいい。とか、あんな人は消えてしまえばいい・・と、つぶやいてみたくなるもの。私の命が惜しいように、すべての人の命もまた尊ばれなければならいというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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