まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

むら長の 墓を訪ねて 黄水仙

2012年02月09日 | ふるさと散歩

 今日も冷たい一日になって、昼間でも3度とか4度にしかならなかった・・・。ま、たまにはこうした涼しい時があればこそ、暖かい春の日が嬉しくもなるというもの。

 

 朝ドラが終わると、テレビもラジオも国会中継になったので、仕方なく朝の散歩に出た。国会も大事なのだろうけれど、どうにもこうにも聞いていて楽しくはない議論ばかりだ。

 

 で、今日もお墓探しに出た。イギリスの「タイムス」という新聞に出ていた「Terawaki kaemon」という人を探すのだが、そんな明治の人を今の島の人は知らない。だから、墓場で調べてみようとしている。「Oka Ryohaku」=岡良伯のことは有名だからすぐにわかったのだけれど、「寺脇」という人が村長なのかどうかもわからない。

 

 これが、岡良伯のお墓だ。庄屋で医者だったそうだから立派なお墓だ。だとしたら、村長の「寺脇」はもっとでかいはずだと考えたが、そんなものは見つからない。

 このあたりの島は・・「両墓制」というお墓になっている。ここは少し前まで・・・砂浜だった。その砂浜に棺を埋葬した。これを「埋め墓」という。そして、こうした立派な石碑は「参り墓」という。二つのお墓を作るから「両墓制」というのだ。

 

 そして、集落ごとにこうした共同墓地になっている。だから、ここ以外にお墓を作ることはない。ここにあるのが、この江の浦地区の全てのお墓だ。だから、ここに必ずお墓はあるはず・・・。

 

 先日の蕗の薹も寒いものか少しも大きくならない・・・。来週になればぐんと大きくなるのだろうか。

 

 で、訪ね着いたのがここ。新しいお墓だが、ここにある「法名碑」には、「寺脇儀右衛門」「明治26年3月9日 56歳」と刻んであった。確かではないが、この人のような気がする。後日、確認するが、「カエモン」と「ギエモン」の音は似通っている。英国人が記録し間違えたこともあるかも知れないし・・。年代的には無理がない。

 

 1時間ほどの散歩が終われば、朝風呂に入って朝酒を飲んで、資料の整理をやっておく。やはり、「現地に行こう」「現物に触ろう」だ。刑事ドラマの「現場百遍」ということもあるし・・・。

 

 今日の昼食の「かまたま」を食べてから、午後の散歩になった。山の家にいてる時と同じように生活をしていると思うのに、なぜか食べ過ぎてしまう・・・。だから・・・ついつい・・散歩ばかりで出てしまう。

 

 ここはこうして大根を長く切って干してあるけれど、短く切って、ザルや網戸を外してその上に並べて置いても早く乾燥するらしい・・。

 

 これもときおり見かけるけれど、厄除けの神事らしい。お宮さんに厄除けのお参りをして、その帰りに、端緒を切って、辻に置いて後ろを振り向かずに家に戻るのだとか・・・。香川県の西部あたりでたまに見かける光景・・・。

 

 昨日も今日も、雪がちらついたけれど、言うと言わんと少しずつ春が近づいているという気配は感じられる。

 

 島は暖かいものだから、雪なんぞ降ったことがない・・と、島のおじいちゃんは言うとったけれど、何年に何度かは雪も降ってそのあたりが真っ白くなったことは記憶に新しい・・・。でも、積もって困ると言うほどには積もらない。

 

 今日の掲示板は今の時期にはぴったりかも知れない・・・。私も・・・この「レキ墓研究」がやがて大きな花を咲かせてくれることを念じている・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


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