まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

悔いもあり 未練も残して 落ち葉かな

2011年11月15日 | 自然ありのままに

 物忘れと認知症とは違うのだと・・・よく聞く言葉なのだが、ま、最近はものごとをよく忘れる。書類とか本とかが分からない。「塩飽史年表」が必要だからと探しても探してもない。島の家かなぁと・・島の家に行ってもない・・。帰ってきたら手元に置いてあったりする・・・。万事がそのような調子だ。

 

 今日は久々に晴れたから・・お布団を干した。風が強かったから飛んでしまうかなぁとおもったけれど、きもちのいいほどに乾いてくれた。

 先日・・島に行ってきたのはご案内の通りで、さぬき広島での話題というと、例の「中井初次郎」と「英国士官レキの墓」だ。ま、どちらも触れたくない話題なのだが、そうも行かない様子。

 

 これが・・・英国士官レキの墓だ。詳しいことはリンク先でどうぞ。この英国士官レキと、その乗っていた船の関係がややこしいので、そのあたりを、関係する資料やら年表やらで整理しようとした訳だ。

 で、冒頭の・・・「あれがない・・」、「この年表がない・・」ということで・・・ばたばたとした半日。

 

 ま、かいつまんで話すと、幕末の頃に英国海軍の軍艦が瀬戸内海でのお仕事中、レキという士官が亡くなった。それをみんなで、さぬき広島の海岸に埋めた。木の十字架も建てた。それから二十数年過ぎたころ、レキと同僚だったジョンは艦長になって、この海域に来た。そこで砂浜に降りてみると、そこには立派なお墓が建っており、時期のお花が供えてあった。そこで感激したジョン艦長は帰国後、この村宛に感謝状を書いて贈った・・・という話だ。

 

 それに似た話がある・・。幕府の軍艦「開陽」に乗っていた海軍士官の中井初次郎もまた艦上で倒れて亡くなった。遺骸は石巻のさるお寺に埋葬されて、開陽艦全員による盛大な葬儀が行われた。それから百数十年を経た今年、東日本大震災の影響でお寺は壊滅した。そこを訪れた市長は中井の墓前に参詣して感激したが、今もって、誰も募金をしようと立ち上がらない。

 ここで、島をあげて、市をあげて、募金運動でも展開したら、あの、ジョン艦長の感謝状のような美談になるのになぁ・・と思った。

 

 さて、今日は・・坂本龍馬の176年目の誕生日になるらしい。龍馬のふるさと高知ではいろんなイベントが行われたらしいが、そこまで行こうという・・・龍馬ファンでもない。

 

 で、今日は東かがわ市方面に向かったもので、今日のお昼はここになった。東かがわ市の旧の白鳥(しろとり)町と引田(ひけた)町の町境近くにあるセルフのお店。「本格手打ちうどん宮川」だ。

 

 で、いつもは「かけ小」ばかりを注文しているもので、今日は変わったものを注文してやろうと頼んだものがこれ・・・。

 

 代わり映えのしないざるうどんみたいだけれど、これで550円。「なんですか?これ・・・」というと、土佐のカツオ節が盛り上げてあるので、「土佐のあつもり」というのだそうだ。お出汁のほうにはたまごの卵黄が入っている。う・・・ん・・だったな。ま、おいしいことはおいしかったし、文句をいうべきところもないが・・・。「だから、どうだっていうの・・・」みたいな印象だった。

 

 今度は・・・「巣ごもり」でも注文してみっぺかぁ・・・。

 

  もう、そういう時期かねぇ・・・。ま、クリスマスが終わらないと・・・この一年・・・という気持ちにはならないのだけれど、落ち葉はそろそろ散り出すものねぇ・・。

 ま、悔いもあり、未練も残して・・散るのかも知れないね、私は・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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