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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後75年の記憶、海ゆかば

2020-07-10 13:09:05 | 学問

後ひと月ちょっとで、75回目の、終戦の日がやって来る。
70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ
アップした。
忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。
 

名前は忘れてしまったが、怖い先生がいた。
悪い先生ではなかったが、顔が河馬に似ていて、厳しい先生であったそうだ。
そうだ、と言うのは、主に上級生の担当だったらしく、mcnjのような、低学年の生徒には、縁が無かったからである。

戦争も末期であったから、上級生たちは、授業よりも、体育訓練の方が多かった。
いざと言う時のために、体を鍛えておけ、と言うのだろう。
小学校6年を卒業すると、高等小学校へ進んで、2年勉強する。
校舎も同じであった。
体育訓練には、小学上級生(4,5,6年生)と高等小学校生(今の中1,2年生)が参加して行われていた。
その訓練担当教師が、カバ先生であった。
校庭に集合させては、相当厳しい訓練をさせていたらしい。
軍事教練と称して、戦争ごっこのような訓練を、授業に取り入れていた。

南北に二つあった体操場のうち、南の一つは、松本五十連隊の兵達が使っていたから、もう一つは、雨天の時の訓教練と、講堂としての使い道が主であった。
毎週月曜日の朝とか、国の祝い事の時などには、体操場に整列させて、校庭の一角にあった奉安殿(陛下の写真を収めた保管庫)から写真を持ってきて正面に飾って、校長や、軍から派遣されて駐在していた軍人が、訓示を垂れた。

式が終わると、軍歌を歌わせられたのであるが、タイトルの「海行かば」もよく、歌わされた。
mcnjのような低学年生は、歌の意味など知る由もなかった。

ウミユカバ
ミズクカバネ
ヤマユカバ
クサムスカバネ
オオギミノ
ヘニコソシナメ
カエリミハセジ

こんな歌詞であったと思うが、意味は、成人するまで知らなかった。
戦争がおわってからは、歌うことも、思い出すことも無かったからである。

生徒達は歌い始めると、「カバ」のところに来ると、突然、大声を出して、力強く歌ったものだった。
まるで、軍事教練に対する恨みを晴らすかのように。


嬉しい贈り物、土手の花達、2020.7.上旬

2020-07-09 12:00:17 | 学問

ブログのお友達、pokoさんから、うれしい贈り物です。

 

 

 

パン、ケーキ作りのお得意なpokoさんがお造りになられた、ご自慢の、パン、ケーキを、抽選で、送って

くださると言うので、厚かましくも、応募してしまいました。

応募人数に応じて、分野ごとに、あみだくじをお作りになられました。

それぞれ、思い思いに選択されましたが、mcnjは、残り物にして下さいとお願いしておきました。

それが思いがけず、当選でした。

残り物には福がありましたね。

余談になりますが、抽選の前日、ブロ友さんの地理佐渡さんのところへ、コメしたのですが、数字が、

8888と並びましたので、地理佐渡さん、いいことありそうですよと書いておきました。

それが、こちらの方に転がり込んでいく来てしまいました。

 

pokoさん、どうも、ありがとうございました。

 

長雨続きの、土手の花達の様子です。

紫陽は、殆ど終わりかけていますが、遅咲きの紫陽花が、まだ、頑張っています。

 

 

 

 

 

 

 

桔梗も元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

百日草も、咲き進んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリーゴールドが咲き始めてきました。

 

 

 

 

 

薄紫のタイマツソウ。

 

 

他の色のタイマツソウは、終わりかけています。

タチアオイも、これ1っ本だけになりました。

 

 

 

 

雨に打たれて倒れてしまいました。

 

 

 

 

相変わらずのふとどき者。

 

 

 

 

 


戦国70年の記憶(過去ログ)、食糧難

2020-07-08 12:00:00 | 日記

後ひと月ちょっとで、75回目の、終戦の日がやって来る。

70年の区切りとして、5年前に、幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶を、まとめてシリーズでアップ

アップした。

忘れてはならない、あの忌まわしい記憶を、後世に伝えるべく、またここで、アップして置きたい。

 

腹が減っては、戦は出来ぬ。
戦争中なのに、食糧難であった。

米などは、もう、無かったと思う。
食べる物は、全部国が統制して、戦争を遂行するために使っていたと思う。
一般人の口へ入れる物は、国が配給していた。
大体、一家の人数に応じて配分されていたが、品物も、公平に行き渡るほどは用意されていない。
配給がある日は、隣組数軒が集まって、話し合って分け合っていたようだ。
家庭の好みなどもあったのだろう、要らないものや、要る物などを交換しあって、丸くおさめあっていたようだ。
我が家は、6人兄弟の大家族の方だったから、母は、不味くても、量の多い方を選んでいたようだった。
思惑通りに配分された時は、嬉しそうに、持ち帰っていた。

学校へ通う道路わきに、ヒマが植えられるようになった。
南方の石油基地をアメリカに抑えられて、原油の輸入が、思うようにならなくなったたのである。
飛行機を飛ばす、ガソリンにも、事欠くようになっていた。
ヒマの実から、ひまし油をとって、飛行機を飛ばそうと言う作戦である。

ある日、高学年生が、校庭に出て、鍬をふるっていた。
校庭を耕して、サツマイモを植えると言うのである。
グランドは、すべてサツマイモ畑に代わり、生徒たちは、その脇の、狭い通路を通って教室に入って行った。
その通路の両脇にさえ、トウモロコシがびっしりと植えられていた。
生徒達は、授業はほどほどにして、農作業に駆り出される毎日であった。

低学年のmcnj達は、草取り位が仕事であった。
午後の授業を休んで、熱い日中の日差しの中、せっせと、草取りをしたものである。
作業が終わると、駄賃に、一握りのサツマイモの茎をくれると言う。
母に渡すと、喜んでくれるので、それがうれしくて、小さい手の平に、茎が潰れるほど思い切り握って、家へ持ち帰って行った。


韓国の散歩道

2020-07-07 12:10:12 | 学問

ブログを始めて、16年目に入っております。

表題は、mcnjが、ブログを開始したころ、よく使っていたタイトルです。

HNを含めて、ブロ友さん達には、説明させていただきましたが、新しいブロ友さんも増えてきましたの

で、もう一度、おさらいさせていただきます。

 

現役引退後、8年後でした。

丁度、日本で、ブログが始まったばかりのころでした。

ようやく、落ち着き始めたころでしたので、やってみようかということになりました。

現役を引退したと言っても、月の半分は、韓国暮らしでした。

日本の会社に入社後、技術系にも拘わらず、海外関係の仕事ばかりやらさせておりました。

韓国もその一つでした。

韓国との付き合いは、40年以上になりますが、最後の3年間は、関連会社に出向して、技術指導をして

おり、そなまま、向こうで定年を迎え、居残ることになりました。

向こうの仲間が、もっと、教えてもらいたいユーザーがあるので、一緒にやろうと言うのです。

その仲間たちと、共同で興した会社が、mcnkorea(mcnk)でした。

m:mun(文)、c:choi(崔)、n:mcnjの頭文字です。

ユーザーを指導していると、この薬品は、何処で手に入るのかと、良く聞かれるので、日本製の薬品だ

が、韓国産もあるはずだと答えると、お前が、日本で調達してくれないかと言うので、日本に、

mcnjapanを設立したのです。

HNの由来は、ここにあります。

長くなりますので、続きは、おいおい説明させていただきますね。

 

mcnjが、最後に出向していた会社は、mcnjが勤務していた日本の会社の関連会社で、韓国全羅道の、財

閥でした。

韓国では、当時、7,8番目の財閥でしたが、現在では、5,6番目に出世しています。

石油化学系の最大手で、傘下に、アシアナ航空も持っております。

 

kokorowo

 

 

アシアナ航空の機内誌からです。

,

 

 

 

韓国女性の心を、鷲掴みにした、この男、「王の男」で主演した、イ・ジュンギ。

鷲掴みにされた、日本女性も、たくさんいたそうです。

美男俳優のきっかけとなった、花男(ファナム)でした。

 

 

 

 

韓国慶尚北道、安東市の近くにある、河回村(ファフェイマウル)は、朝鮮半島最大河川、

洛東江(ナクトンガン)の上流にあります。

周囲を、3/4位川に囲まれた村で、大変に、景色の良いところです。

韓国ドラマにも、よく登場してきます。

英国の、エリザベス女王が、初めて見ました。韓国を訪問された時に、是非、行ってみたいと、所望され

ました。

 

今、放映されている、韓ドラ歴史物、「大王世宗]のロケシーンにも、登場しています。