日本をつくってきたもの、それは精神世界の背景となったもの、それはなんであるかという思い。思いやりの精神というのは、実質、日本人に備わったとする理由はあるのか。人を思いやることと言ってみて、それはどうすることなのだろうかと思う。たどれば忖度の文字に思いやりとフリガナをするものがあったりするので、日本語の思いやりに漢字の辞儀を当てて考えてきたのであろうかと思う。孔子の教え、論語で学ぶ仁は人が備えるべきものとして、忠、恕、信、愛、克己の表れを解説する。それをまた、
>忠恕
忠とは自己の良心に忠実なこと(真心)で、恕は他人の身になって考える同情心(思いやり)である。忠を欠いては自律的道徳は成立しないが、忠だけでは独りよがりになる危険がある。忠と恕が一体となって、はじめて仁となる。というふうに、日本語では敷衍されて、解釈を持つ。良心に忠実であることと、思いやりである。さてそこで、仁を説いたのは人間としての道であるが、それはまた君子について述べたものであったから、理想の王となる学問であったか。 . . . 本文を読む