前回、厚狭へ行ったときに近くに「焼野海岸」っていう夕日の名所があった。
この時の天気は山口県だけ大雪で、前回の洞玄寺の写真になったんよ。
ほいで、今回は夕日もねらってみたんじゃ(^^)
現地に着いたのが16時頃。
本日の日没が18時頃、まだ2時間もあるけぇその辺をプラプラ散歩しよった。
寒いけぇ、車の中で休んどったら・・・
うたた寝しちゃって目が覚めたら18時をまわっとった( ̄▽ ̄;)!!ガーン
やべぇ~!
大急ぎで外に出て撮った写真がこれ。
日没直後で空が焼けとった(^^)
まぁ、雲もそんなに良くないし、また行くチャンスはあるじゃろう(^^;
ほいで翌日「妙徳寺」へ行ってみた。
毛利元就の五男元秋を祖とする厚狭毛利家の菩提寺です。
本堂を左側へ進むと墓所があって、その一角に厚狭毛利家関係の墓があった。
このレイアウトはなんだか納得できんなぁ・・・
そう思いながら見たんじゃけど、どうやら後ろに出来たバイパスの影響で動かしたらしい。
名前を見たけど、毛利氏だけじゃなくいろんな名前があった。
家臣の墓も一緒になっているらしい。
それにしても規模が小さいなぁって思ったら、厚狭毛利家の石高は1万石足らず。
本藩の家老、益田氏や福原氏などより石高は少なかったんじゃね。
続いて近くにある「厚狭毛利家居館跡」へ行ってみた。
この票柱しかなかった(^^ゞ
今は某火薬会社の寮になっとった。
明治に入って富国強兵を叫んどったけぇ、たぶんそのときに国が火薬会社を作ったんじゃろうねぇ。
後で調べたら、裏に石垣が残っとるらしい。
それから目の前にあった神社も居館から移築したものらしい。
続いて貞源寺
居館から少し行ったところある、厚狭毛利家三代元宣の室の墓所がある。
山門から見える本堂の向拝口は厚狭毛利家の玄関を移築したらしい。
たしかに、オモダカの家紋が彫ってあった。
さてさて、あとは「焼野海岸」へリベンジといきたかったけど、さすがに今日は帰らんといけんけぇ昼間の景色をもう一回見とこう(^^)
ここは一応瀬戸内海になるんじゃけど、向こうに見えるのは九州(大分)、ずーっと右の方に関門大橋、そして下関あたりも見えるらしい。
いつも見慣れた瀬戸内海と違って島がぜんぜん見えんねぇ(^^ゞ
新鮮じゃけぇ、また来るけぇ。
でも、夕日のきれいな季節はもうすぐ終わるねぇ。
この時の天気は山口県だけ大雪で、前回の洞玄寺の写真になったんよ。
ほいで、今回は夕日もねらってみたんじゃ(^^)
現地に着いたのが16時頃。
本日の日没が18時頃、まだ2時間もあるけぇその辺をプラプラ散歩しよった。
寒いけぇ、車の中で休んどったら・・・
うたた寝しちゃって目が覚めたら18時をまわっとった( ̄▽ ̄;)!!ガーン
やべぇ~!
大急ぎで外に出て撮った写真がこれ。
日没直後で空が焼けとった(^^)
まぁ、雲もそんなに良くないし、また行くチャンスはあるじゃろう(^^;
ほいで翌日「妙徳寺」へ行ってみた。
毛利元就の五男元秋を祖とする厚狭毛利家の菩提寺です。
本堂を左側へ進むと墓所があって、その一角に厚狭毛利家関係の墓があった。
このレイアウトはなんだか納得できんなぁ・・・
そう思いながら見たんじゃけど、どうやら後ろに出来たバイパスの影響で動かしたらしい。
名前を見たけど、毛利氏だけじゃなくいろんな名前があった。
家臣の墓も一緒になっているらしい。
それにしても規模が小さいなぁって思ったら、厚狭毛利家の石高は1万石足らず。
本藩の家老、益田氏や福原氏などより石高は少なかったんじゃね。
続いて近くにある「厚狭毛利家居館跡」へ行ってみた。
この票柱しかなかった(^^ゞ
今は某火薬会社の寮になっとった。
明治に入って富国強兵を叫んどったけぇ、たぶんそのときに国が火薬会社を作ったんじゃろうねぇ。
後で調べたら、裏に石垣が残っとるらしい。
それから目の前にあった神社も居館から移築したものらしい。
続いて貞源寺
居館から少し行ったところある、厚狭毛利家三代元宣の室の墓所がある。
山門から見える本堂の向拝口は厚狭毛利家の玄関を移築したらしい。
たしかに、オモダカの家紋が彫ってあった。
さてさて、あとは「焼野海岸」へリベンジといきたかったけど、さすがに今日は帰らんといけんけぇ昼間の景色をもう一回見とこう(^^)
ここは一応瀬戸内海になるんじゃけど、向こうに見えるのは九州(大分)、ずーっと右の方に関門大橋、そして下関あたりも見えるらしい。
いつも見慣れた瀬戸内海と違って島がぜんぜん見えんねぇ(^^ゞ
新鮮じゃけぇ、また来るけぇ。
でも、夕日のきれいな季節はもうすぐ終わるねぇ。
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