日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

お久しぶりです(^^;

2021年11月18日 | Weblog
なんか、ひさしぶりに書くわぁ~(^^;

旅に出ちゃいけん雰囲気じゃったし、○○警察とかイやじゃし(^^ゞ

それなりに、遊びよったけど・・・

ここんとこはまっとったのは、DIYじゃね。

まぁ、それについては機会があったらまたあげるわぁ(^^ゞ

また、どんどん旅に出て写真をも撮ってくるけぇ。




くろだぶし

2019年07月23日 | Weblog
♪さ~け~は~ の~め~ の~め~ の~む~な~ら~ば~♪
酒は飲め飲め飲むならば

子供の頃、正月の集まりで酔った親戚のおっちゃんが歌いよったよねぇ(^^;

大人の余興にひとしきり付き合わんと、お年玉がもらえんけぇイヤイヤ聞きよったよ(笑)

この歌が「くろだぶし」じゃっていうのは知っとったけど、

最後の

こ~れ~ぞ~ま~こ~と~の~く~ろ~だ~ぶ~し~~♪
これぞまことの黒田武士

これが、タイトルの「黒田節」と「黒田武士」をかけとったんじゃねぇ。

これは大人になってから気づいた(^^;

さらに、この歌が「母里太兵衛」が福島正則との酒飲み勝負で名槍「日本号」を勝ち取ったときの歌じゃと知ったのは

わりと最近の話じゃ(笑)


さてさて、長い前振りじゃった(^^ゞ

ここは福岡県朝倉市にある秋月城跡です。

元々は秋月氏の城下町じゃったんじゃけど、その後黒田氏がここに入って「秋月黒田藩」ができたそうな。



「杉の馬場」もともとは馬場じゃったけど、今は桜の名所らしい。

馬場にしては狭いけぇ、当時は両サイドの桜は無かったはずじゃ。



「瓦坂」坂道の土が雨で流れないように、瓦がうめてあった。

この坂を上ってお城に入りよった。

ここは江戸時代そのままらしい。



「黒門」これは秋月城の大手門じゃったらしいが、移築されて残っとる。

新緑のもみじじゃったけど、紅葉の季節に行ったら映えるじゃろうねぇ。



ここにお城があったみたいじゃけど、今は中学校になっとる。

大きなクスノキ?があってすてきな学校じゃった(^^)

ほいで、資料館で質問しよったら、詳しそうな男の人が出てきていろいろ教えてくれた。

秋月氏は長い間大内氏の傘下で勢力を伸ばしとったけど、大内氏の滅亡後は大友氏に攻められた。

そのときは毛利の力を借りて逃げ延びた。

その後秋月に戻り、島津に敗れ衰退する大友氏をみて島津と手を結ぶ。

秀吉の九州征伐で島津側の最前線となって戦うが敗れて、秀吉側の最前線として戦わされる。

「付く相手を間違えたねぇ。」って資料館の人がいよった(^^;

島津に付かずに秀吉に付けばそのままここに居れたかもしれん。

これで、300年あまり続いた秋月での秋月氏は終わるんじゃけど、江戸の中期に黒田氏の跡継ぎとして

秋月氏が養子に入り名前は黒田じゃけど秋月氏の血が戻ったらしい(^^)

詳しく教えてくれたけぇ、「戦国が得意なん?」って聞いたら「私は古代が専門です(笑)」ってハハハ(^▽^)

けっこうな時間お話ししたけぇ、納得して資料館を出たら、

「あっ、○○さんおなか大丈夫ですか?」

どうやら俺が見あたらんけぇ、お腹が痛くてトイレでねばっとると思ったらしい(笑)

お腹は壊してないけぇハハハ(^▽^)

急ぎ登城せよ!

2019年05月02日 | Weblog
令和元年5月、松山城主より登城の命がくだった(^^;

#令和って江戸時代にありそうな元号じゃねぇ(笑)

「こりゃあ~、急いで行かんにゃいけん。」

広島藩の下級武士二人に、なぜ松山城主から登城の命があったのかはおいといて\(^^\) (/^^)/

しまなみ渡って車で行く、という選択肢もあったけど、GW中ということで渋滞を嫌って自転車で行くことにした。

フェリーを使えば、松山観光港から松山城まで10Kmほどじゃけぇ、自転車で十分じゃろ(^^;


ちなみに、フェリーの料金は片道、大人3600円 自転車430円。

大人二人が往復すると、、、ね、高速とかわらんじゃろ(^^;

今回は、輪行したけぇ、自転車の料金は不要じゃった。

松山までは2時間40分ほど、のんびり行こうかぁ。


天気は今ひとつじゃけど、雨は降ってない。

霧も出とる。


おおぉ~、豪華客船じゃ(^^)

瀬戸内海には似合わん大きさじゃねぇ。


さて、松山へ上陸したら、まず、三津浜へ行ってみた。

むかし、大きな船は港に着けられんけぇ、ここの沖に停泊してここから小舟に乗って乗船したんじゃ。

そう、「坂の上の雲」の時に秋山真之が軍服着て、沖に停泊しとる軍艦に乗るシーンがあったよねぇ。

あのシーンはここから小舟に乗って行ったのを別の場所で撮っとるんよね。

次に、三津浜の「御茶屋井戸跡」


江戸時代に三津浜を港にしとったけぇ、参勤交代の時にお殿様が泊まるところが必要になるんよ。

そのときのお宿が三津浜の御茶屋。


そこにあったのが、この井戸。

今は小学校の校庭にある。


さて、いよいよ松山城の御城下へやってきた(^^)



ここは「秋山兄弟生誕の地」

場所はこのままじゃけど、第2次世界大戦で焼けて同じ場所に再建したらしい。

すでに、気づいとると思うけど、今回は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の聖地巡礼じゃけぇ(笑)

ここからすぐの所にお城へ上るリフトがあるんよ。

昔、この辺までは来たんじゃけど、当時の私は「差し控え(登城禁止)」じゃったけぇ?お城には上がらず下から見上げただけじゃった(^^;

あの頃は、歴史にぜんぜん興味がなかったけぇ、上らんかったんじゃね(^^;



おぉ~、霧の中から城が見えるぞぉ。



松山城は現存天守12城の中のひとつ。

築城したのは「加藤嘉明(よしあき)」。

加藤清正、福島政則、黒田長政らと並ぶ七本槍の一人。

関ヶ原の功績でこの地をもらって、城を建てるんじゃけど途中で会津に移封される。

石高は倍近くになったけど、とばされた感はあるよねぇ。

福島政則もしかり。七本槍の人たちは冷や飯食わされとるよねぇ(^^ゞ



さぁ、いよいよ城の中へ。



加藤嘉明も眼にすることが出来んかった、天守からの景色じゃ(^^)

天気が良かったら、芸州広島藩も見れたんかねぇ。



ほんで、ここは「坂の上の雲」のエンディングのロケ地になっとったところ。

ちょうど正岡子規(香川照之)の立ち位置におるけぇ(^^)



ここは「お囲い池跡」 旧藩時代の水練場じゃった場所。

秋山真之がふるちんで泳ぐ鎮台さんを叱って、けんかしたところじゃね。

残っとるのは、この看板だけじゃけどね(^^;


一日中、エエ子して遊び回ったけぇ、帰りの船の中は・・・



鯛入り にぎりちくわ わさびチーズ味!

お土産にしようと思ったんじゃけど、ビールが目に入ったとたん、つまみに変身した(笑)

近いんじゃけど、なかなか行かん松山。

だいぶ遅れたけど、ドラマのおかげで行けたわぁ。

2009~2011に放送されたんだって。

えぇ~、もう8年も前の話しじゃったヽ(^o^)丿

おのれ~、紀州の奴らめ

2019年04月20日 | Weblog
「おのれ~、紀州の奴らめ許さん!ぼったくっちゃる!!」

と龍馬が言ったか、弥太郎が言ったか、はたまた誰も言っとらんかもしれんけど(^^ゞ




そう、アソコに見えるのは「いろは丸。     ・・・平成いろは丸」です。



平成も終わろうとしているある日、思いつきで鞆の浦へ行った来たんじゃ。

平日じゃったんじゃけど、「一緒に行く!」って休暇を取ってきた人がおって2人じゃったんじゃけどね。

前に来たときも一緒じゃったねぇ(^^;

何度か来たことがあるけぇ、今回の目的地はまだ行ったことのない仙酔島

ここへは渡ったことが無かったんよねぇ(^^ゞ

さっそく、平成いろは丸へ乗り込み「いざ!出航!!

#ちなみに「自転車は乗せられますか?」って聞いたら「乗せられるけど、島には乗れる所は無いよ。(^^;」って言われたんじゃ。

じゃけぇ、自転車は置いて行った。



弁天島を横目に見ながら港へ着いて、少し歩くと向こうの浜へ出る道と山へと続く道があった。

まず、「龍の背中に乗れる場所」へ行けとなっとったけぇ、山側へ進んだ。


看板には、

~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~
 
 仙酔島は太古より、七福神や龍神さまなどの神々が鎮座されていると伝わっています。

七福神は寶船(たからぶね)にのって人生を航海し、この世からあの世に向かうとき、
寶船は龍となり、天に昇ります。
 昔から、龍の背中に乗ることができれば幸せの方角へ導いてくれる伝えられており
人生を全うした者だけが龍の背中に乗ることができるのです。

ここ仙酔島には唯一、現世でも龍の背中に乗ることができる場所かあります。
  それは・・・この橋の向こう側

ただし、この橋を渡り龍神さまの背中に乗るためには、一つだけ守って頂きたいことがあります。
渡る前に眼を閉じ大きく息を吐き、橋の上では息を止めて、静かに、静かに、龍神さまに気づかれ
ないように、そっと渡ってください。

あちら側に着いたら、龍の背中に乗って一つだけ願をかけてください。
 ここ仙酔島にはたくさんの龍神さまがあらわれます。海の道、山の道を歩きながら
あなたはどれだけ出逢えるでしょうか。
ほら、右下の崖からもこちらを見ていますよ♪

あなたの人生がよりワクワク愉しいものになりますように。

  感謝

~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~※~

と書いてあった。

龍の意味がようわからんかったけど、とりあえず設計図どおりやってみた。


彼は何を願かけたんでしょうか・・・(^^)


目をつむって橋を渡るのが意外と怖かった。

龍に見つかったかも(^^;

ほいで、こっちへ進むと自動的に山登りの道になってしまう。



山道を登ると「小弥山」「中弥山」「大弥山」と尾根伝いに進んだ。




ロケのエエ所はあまり無かったけど、鞆の浦が見えたよ。

クレーンがあるところが、今、雁木を整備中の鞆の浦だよ。

島の東へ進む道は通行止めになっとって、海岸線に降りた。



海岸線に続く遊歩道を戻ったんじゃけど、岩場じゃね。

「これは花崗岩ですね。」なんて「ブラタモリ」なら、やるんじゃろうけど、なんかようわからんハハハ(^▽^)

これで、ずっと気になっとった「仙酔島」制覇じゃ(笑)

行ってみて思ったんじゃけど、この、尾根伝いに進む道が上ったり下がったりしとるけぇ、龍の背に見立てたんかねぇ。


ほいで、本土に戻って常夜灯と雁木。



あえて、いつもと違うところからの写真にしてみた(^^;



龍馬らと紀州藩が談判した町家って書いてあるけど、「宮崎駿監督デザイン 御船宿」ってなっとる。

前来たとき作りよったけぇ、古民家を改築して作ったんじゃろうねぇ。

久しぶりに来たけど、平日のおかげか少し静かでゆったりできた(^^)

この雰囲気をずっと残して欲しいね。

萩のシンボルへやっと行けたよ(^^)

2019年03月23日 | Weblog
先週、久々の連休がとれたけぇ遊びに行く予定を立てたんよ。

二日目は雨の予報じゃったけど、出かけんのんはもったいないけぇ「萩」へ行くことにした。

初日は天気が良かったけぇ、下道をプラプラ走って行ったけぇ終わってしもうた(^^;

ほんで、夜中に「強風&雨」でどうかと思ったけど、翌朝は雨がやんどる。

「こりゃ、アソコに行ってみよう。」

前から気になっとった「指月山」


萩のシンボルとも言える、指月城の後ろのあの山。

まず、入場料を払って萩城址へ入って、まだ、少し早い桜を横目に奥へ進んでいくと登山口がある。


山頂まで、GPSで軌跡をとってみた。

写真でも分かるように、ほとんど木に覆われてロケがエエ所は全然無いよ(^^;

少し進むと分かれ道に看板がたっとる。

「洞春寺」聞いたことのある寺の名前じゃ。


平に削ってあって、寺が建っていた名残はあるけど、なんもないよ(^^;

#「洞春寺」毛利元就の菩提寺で吉田郡山城へ建てられ、関ヶ原以降、山口へ移転、そしてここへ移転。さらに明治に入って再び山口へ。

郡山城も、山口も「洞春寺」って見たわぁ。

さて、再び山頂へ向かう。

なんだかそれっぽい道を登っていく。

昔も登りよったかねぇ。でもここだと城内じゃけぇ登るなら「羽織、袴に裃付けて」じゃね。

うわぁ~、大変そうじゃ~(^^ゞ

一人でそんなことを考えながら20分くらい登ると山頂に着いた。

ほうほう、これが矢倉門かぁ






二の丸から「要害門矢倉」を見てみる。

せっかくの白壁にいたずらをしとる不心得者がおる。こりゃみんな手打ちじゃの(^^ゞ


本丸にある石には切り出した跡が残っとる。

石の周りに「貯水池」がつくってある。


石を切り出した跡は他にも何カ所かあった。

山頂の石を切り出して、石垣を作れば下から持って上がるより楽じゃねぇ。


これは本丸の東側にある「埋門(うずみもん)」

勝手口かな、、、本丸にご用聞きが来るとも思えんけぇ(^^;、最期にここから逃げ出すためかな?

山頂から唯一見える景色が、本丸の南側から見えるこれじゃった。

萩高校が見えるけぇ、元は家老の屋敷が並んどるあたりじゃね。


二の丸から本丸を見てみる。

一段高くなったところに白壁があって、真ん中の階段の所に「棟門」があったはず。

こうやって、絵図を見ながら、一人で想像しよった(^^ゞ

30分以上おったけど、誰とも出会わんかった。

おかげでじっくり楽しめたよ(^^)


刺身三昧(^^)

2019年02月16日 | Weblog
こないだの連休の時に萩方面へ行って来たんよ。

今年はあったかいけぇ、早めの梅が見られるかなって思ったんじゃ(^^)

ほいで、一発目は道の駅「萩 さんさん三見」へ行ったんよ。

国道191号のバイパス、萩・三隅道路の途中にある、道の駅なんよ。

ちょっと小さめのマイナーな所なんじゃけど、いつ行っても「日本海定食(刺身定食)」(1,080円)が売り切れで食べてないんよ(^^ゞ

気になって、気になって(笑)

今回は、まだあったけぇ頼んでみた。


おぉー!これかぁ~!!

やっとお目にかかれたわぁ~(^^)

お刺身はイメージ通りおいしかったし、小鉢がたくさんあって、いかにも「田舎のおばあちゃんが作った。」って感じの懐かしい味じゃった(^^)



ほいで、次は「萩往還梅林園」へ行った。

まだ、咲いてない木もあって少し早かったかも(^^;


萩へはさんざん来とるんよねぇ・・・(^^ゞ



ほいで、道の駅 萩しーまーとへ行ったら、サザエがおいしそうじゃったけぇ買って帰ったんよ。

こないだもサザエを買って帰ったら、息子が調理してくれてうまかったけぇ、今回は自分でやるつもりじゃったんじゃ。


壺焼き!

ほいじゃが、途中わからんところがあったけぇ聞きよったら、けっきょく全部やってくれた(笑)

前回は途中見とらんところがあったけぇ、今回は見のがさんようによう見とったよ(^^)

「これ、全部壺焼きじゃ多いけぇ、刺身も作っとくよ。」


てきぱきと刺身も作ってくれたんよ。


すげ~、うまそう!!

けっきょく全部作ってもろうたけど、次からは自分でやるけぇ(笑)



俺の好きな肝もちゃんと取り出せるようにしてあった。

これが座っとったら出てくるなんて、もう居酒屋じゃん(^^)

また、サザエがあったら買って帰ろう(笑)

幕末から戦国へタイムスリップ!?

2019年01月30日 | Weblog
今年は予報通りの暖冬じゃねぇ。

時々雪は降るけど、ほかの日が暖かい。

ほいで、こないだの日曜日に野暮用を終えて昼から暇になったけぇマッキーを誘って遊びに行ったんじゃ。

「行ってみたいところがあるんじゃけど。」

近場で気になるところをみつけたけぇ、聞いてみた。

マ「僕も気になるところがあるんじゃ・・・」

おっ、そっちも面白そう(^^)

ということで、ひとまずマッキーの見つけてきた所から行くことにした。

~※~※~※~※~※~※~※~※~

10年ほど前に行った「西国街道」なんじゃけど、崩れとって通れん所があったんじゃ。

どうやら今は通れるらしい。

~※~※~※~※~※~※~※~※~

広島藩の西の端、大竹の「苦の坂」。

そう、2~3年前に四境戦争の戦跡を見に行ったときにも入り口までは来たんじゃけどね、通れんと思っとったけぇ入らんかった(^^ゞ


ほいで、東側の入り口から上って行って、振り返ったところがここ。

竹藪になっとるけど、道だけは確保してある。


峠のてっぺんには案内板が立っとった。

県境側への坂はけっこうきつかった(^^;

「これぞ苦の坂!」と思わせる坂じゃったけど、距離が短かったけぇ西国街道の中ではそれほど難所じゃなかった。

ほいじゃが、長州藩の兵はこれを登っていったんじゃ、これじゃ上からねらい打ちじゃ~などと話しながら歩いた。

残念ながら写真を撮り忘れたんよ(^^ゞ

10年も経ってから行けるとは思っとらんかったけぇ、良かった(^^)


ほいで、本日の2つ目は時代は江戸時代から戦国へとさかのぼる(^^)

会社の「戦国時代」好きのおじさんから、「○○城は行ったことがあるか?」って聞かれたんよ。

「聞いたことあるけど、たぶん行ったことないと思う。」

そう答えたけど、気になったけぇ、帰って調べたけどやっぱり行ってない。

「こりゃ、行ってみんといけん。」ということになったんよ(^^;

その山城は「草津城」

草津城は草津天満宮のとなりの山で、ほんまは西国街道(海)側から登るのが正しいと思うんじゃけど、

山側から階段がついとって、そこを登るとすぐじゃった。


山頂には「草津城址」の石碑と案内看板があった。

曲輪も残っとって、なんとなく山城っぽいんじゃけど・・・

海側をみると、でっかいマンションがあってタイムスリップするにはイマイチじゃった(^^ゞ


以下案内板より
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草津城址と児玉周防守就方の墓

 草津城跡(城山)は山陽本線(1899年)と宮島線電車(1923年)の開通により三分された。戦国時代には西は海老山、
厳島、南は能美島、江田島、東は五箇荘(広島)、江波山、海田市も見渡せる重要な所であった。
 草津城がいつごろできたかはっきりしないが、1456年(室町時代)武田信賢が草津城を攻め落とし、改築して城と
しての形が整ったといわれている。その後、新里式部少輔(大内氏)→羽仁有繁(陶氏)→児玉周防守就方(毛利氏)
→児玉就英→児玉元昌と城主が変わった。
 関ヶ原の戦の後、毛利氏は長州に移り、福島正則が広島城主となると、正則は草津城下の山陽道に大門をつくり、
広島の西の関所とし、草津城をこわしたといわれている。

 草津城主であった児玉周防守就方の墓は小泉家の墓所にある。苔むした古い墓(五輪塔)と後世に建てられたと思
われる大きい墓が二つあるが、莵山にあった慈光寺の境内にあったものは古い墓ではないかと思われる。
 児玉周防守就方は毛利氏の家来で船方奉行ともいわれ、また毛利水軍の将であったともいわれている。
 就方は、厳島の戦(毛利元就と陶晴賢の戦)で毛利の船大将として手柄をたてて草津城主となった。その後織田信長
が石山本願寺を攻めたとき、毛利氏の水軍の将として就方の長男就英が軍船数百艘で、多量の兵糧米を石山本願寺
(後の大阪城)にとどけたことで知られている。
 就方は天正14年(1586年)74才で死亡し、その子「就英」が児玉家第二代の草津城主となった。

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ほうほう、厳島の戦いのときの水軍の将じゃったんじゃね。

ほいじゃ、厳島で「陶晴賢」が自刃した所へ行ったけぇ、あそこで会っとったんじゃね(^▽^)

あそこへ追いつめたのは水軍じゃったもんねぇ。

ほんで、この児玉氏の末裔が203高地のときに出てきた児玉源太郎なんじゃ。

徳山で児玉神社になっとる。

繋がったねぇ(^^)

案内板に「山陽本線と宮島線電車により三分された。」となっとるじゃん。

Google mapで見てみると、、、


あれ~、「草津城跡」ってもう一個あるじゃん。

試しに航空写真に変えてみると

あぁーやっぱり山は続いとる。

山陽本線の向こうにも城跡(曲輪)があったんじゃ。

まあ、近いし墓所も行ってないけぇもう一回行けばええわぁ(^^)

’19 阿蘇じゃ~(^^)

2019年01月23日 | Weblog
こないだ、連休の時に阿蘇へ行った来たよ。

今年初!といいたいところじゃけど、じつは初日の出も見に来とったんじゃ(^^;

寒うなると、温泉が恋しゅうなるんよ。

年寄りじゃねぇ~(笑) 

#ほいじゃが、温泉のために片道400キロメートルも走って来るなんて、ただの年寄りじゃないねぇハハハ(^▽^)

アクティブじじいじゃ。


ほいで、到着した日はいつもの温泉に入って、馬刺で一杯やってとっとと寝たよ(^^;

翌朝の夜明けのためにね(^^)

静かに夜が明けていく。この感じがすきなんよ。

雲がなかったけぇ、朝焼けはだめじゃったけどね。


まあまあの雲海がでとったよ。

元旦の大観峰は人がすごい多くて、夜明けを静かに楽しむ感じじゃなかったんじゃ。

それに比べると、静かでエエ雰囲気じゃったよ。


そして、ご来光。


日が昇り始めると、雲海が少しずつ元気になって動き始めるんよ。


静かだった雲海が、モコモコになって動き始める。

日が昇る前より、雲海の範囲も広がってきとる。

久々に阿蘇での雲海を堪能したよ(^^)

ほいで、今度は、鍋が滝を見に行った。

小国方面にもエエ感じで霧が出とったけぇ、エエモンが見られるかもってちょっと期待しながら。


ちょっとだけ、霧がでとるじゃろ。

ほんまは「凍った滝」に「光芒」なんていうのが見られたらええなぁって思ったんじゃけど(^^ゞ

どっちもなかったわぁ。

今年は暖冬じゃけぇ、凍った滝は撮れんかもね。


ここも、けっこうメジャーな観光スポットになっとって、観光バスとかガンガンにくるんよ。

人が増え始めたけぇ撤収した(^^;

ひとりで行くと、マイペースで行動できるけぇええねぇ。

おまえ、間違えとるじゃろハハハ(^▽^)

2019年01月03日 | Weblog
新年 あけましておめでとうございます。

2019年を迎えたねぇ~

去年はいろいろあったけど、まぁ、今年もぼちぼちやります。

ほいで、年末、年始はひとりで阿蘇へ行って来たんじゃけど、ちょっとバタバタしたんよ。

温泉へ入って、ご来光を拝んで、ほんで温泉へ入って帰ってきた(笑)

まぁ、今月はもう一回行く予定じゃけぇええかぁ~(^^)


ほいで、お休み最後の日はまったりしとった。

天気もエエし、ベランダで外を眺めとったら

おぉ~~!

猫がおる。



猫なんか珍しぃないじゃろ。

ほいじゃが、おまえ!そこ!!



俺がカメラを向けてもあわてもせず、

悠然と見とる。



おまえ間違えとるじゃろ。

おまえはスズメじゃないんで(笑)

「バックミラーにとまる猫」

よく、車の屋根でくつろいどるのは見かけるけど。

そのパターンは初めてじゃハハハ(^▽^)

まぁ、気持ちよさげじゃけぇエエかぁ(^○^)

暑過ぎる熊本、また行くわぁ(^^)

2018年08月24日 | Weblog
お盆に久々の長い休みが入ったけぇ、遠くへ遊びに行ってきたよ(^^)

というても、阿蘇ははずせんのんよねぇ(^^;



すごいエエ天気で、亀石峠(大分県)から阿蘇五岳がすっきり見えたよ(^^)

まぁ、エエ天気というよりはメチャクチャ暑かったんじゃけどね(笑)

ほいで、初日は「わいた温泉郷」へ行ったあと、瀬の本高原へ。

この日はペルセウス流星群がピークを迎える日。

ゆっくり、流星を眺めるには涼しいところがええけぇねぇ(^^)

瀬の本高原は標高が900メートルはあるけぇ、広島市内みたいに熱帯夜じゃなかった。



流れ星はたくさん流れたけど、今まで見た流れ星で一番大きいくらいのを、2個見たけぇねぇ。

赤い流れ星で、ひとだまかと思ったよ(^^;

1時間も見とったら寒うなったけぇ、撤収した。

ほいじゃが、この絵はどう見ても流れ星には見えんねぇ~(^^ゞ

#あいかわらず、下手な絵じゃ(笑)

ほいで、翌日は阿蘇から移動して熊本方面へ向かったんじゃ。

今回は、海が見たかったけぇ(^^)

ほんで、国道57号線は熊本地震以来通行止めで、まだ復旧しとらんのんよ。

じゃけぇ、ミルクロードから大津方面へ抜けて行ったんじゃ。

そしたら、反対車線(阿蘇方面)が大渋滞しとった( ̄▽ ̄;)!!

まぁ、お盆じゃけぇしょうがないのぉ。

阿蘇方面へ戻るときは、もうちょっと遠回りせんといけんわぁ(^^ゞ


ほいで、ひとつ目の目的地「長部田海床路」

前にも来たよねぇ~(^^;

SNS用にこんなもんができとるじゃん(^^)


海に沈んどった道が、、、

潮が引くと徐々に現れてくる。

その様子をタイムラプスで撮りたかったんじゃけど、暑い!。とにかく暑い!!。

動画はまた今度じゃハハハ(^▽^)



前回来たときにはうっすらしか見えんかった雲仙普賢岳が、すっきり見える。

あそこでねぇ。。。(-人-)

よし、ほいじゃ明るい内に次の下見じゃ。

夕日の撮影スポットは決めとるんじゃけど、、、

前回来たときは、場所がようわからんかって、道が狭いけぇでかい車でウロウロしよったらにっちもさっちもになりそうじゃった。

しょうがない、広いところに車を停めて歩こう!急がば回れじゃ!!

いうことで三脚担いで歩いて上がりよったら、日が沈んでしもうた(^^;

それでもあきらめず、上ってみたら、エエ所にはみんな三脚がたっとったし、駐車場もまだ数台空きスペースがあった( ̄▽ ̄;)!!ガーン

今回はその反省を活かして、昼間に下見をして夕方は早めにスタンバる。

エエ作戦じゃろ(^_-)-☆

ということで、えっちら、おっちら上がってみた。
 ↑
前の車よりでかくなっとるけぇ、ホンマかつかつじゃった。

日陰の展望所で眺めよったら、後ろから来よったジムニーのお姉ちゃんと仲良うなった。



待てよ、今この景色なら夕方は潮はどうなっとるん???

お姉ちゃんが、調べてくれた。

「潮は満ちてますねぇ。」

「( ̄▽ ̄;)!!ガーン」

干潮と日の入りが重ならんと思うとる景色にならんのんよ。

行き当たりばったりじゃダメじゃねぇ(^^ゞ

ほいじゃ、ここの夕日はあきらめて移動しよう。

明日は天草へ行くつもりなんじゃ。

そのお姉ちゃんは、今日天草へ行ってきたけど車がメチャクチャ多かったらしい。

午前中は天草へ向けて、午後からは天草から出てくる方向が大渋滞だって。

天草は基本「入ったら出る。」しかないもんねぇ。

フェリーで脱出という手もあるけど、人が多いこの季節、何便も待たされるのはいやじゃしねぇ(^^ゞ

よし、今から天草へ入って明日は午前中に出てくれば渋滞にかからんね(^_^)b


ほいじゃ、とりあえず温泉じゃ(^^)

方角はちょっと違うけど、「道の駅 不知火」に温泉があるみたいじゃけぇ、そっちへ移動。

ついでに晩ご飯もたべよう。


貝汁定食 980円

ホンマはお刺身定食1380円が食べたかったんじゃけど、もう売り切れとった(^^;

貝汁もおいしかったけど、貝汁ならドライブインみちしお(山陽小野田市)の方が上じゃね(^^ゞ

ほいで、本日の目的地「道の駅 有明」へ着いたらちょうど夕日が沈みよった(^^)




この時期にしては夕日がきれいじゃった。

ここにも温泉があったよ。さすがにもう入らんかったけど。


翌日は最近世界遺産に登録された「崎津集落」へ行ってみた。

崎津教会


海上マリア像


大江天主堂


世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」っていうのが正式名称で、建物とか集落というより

「2世紀に渡りキリシタンであることを隠したまま信仰しとった」とういうことが世界遺産に登録されたっていうイメージかな(^^ゞ

ちなみに教会はいずれも昭和になってから建てられたものじゃけぇ。

こんな立派な教会があったら、「潜伏キリシタン」にはならんもんねぇ(^^ゞ


ほいで、今度は天草から出て前から気になっとった「三角西港」

こっちは「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されたところ。

萩の反射炉なんかもこれになるんじゃけど、山口県以外の場所は行ったことがなかったんじゃ。

でも、世界遺産じゃけぇ来た訳じゃなくて「坂の上の雲」のロケ地になっとって、それを見たときからすごい気になっとったんじゃ(^^)





潮が大きくて、護岸が少ししか出てないけど雰囲気はあるじゃろ(^^)

ジモピーっぽい人たちが魚釣りしよって、馴染んどったね。

チヌねらいっぽい人もおったよ。

港じゃけぇ、ドンと落ちとるんじゃろうね。


この水路なんかも明治に作られたものみたい。

お勧めコースには「30分散策コース」と「60分散策コース」があったけど、これは今度涼しいときに回るわぁ(笑)

ホンマに今年の夏は暑すぎじゃ~汗;;;

ほいで、夜はどうしても涼しいところへ行きたかったけぇ、瀬の本高原までもどったんよ。

そう、遠回りじゃけど菊池渓谷経由で外輪山を上ってね。

また、連休がとれたらリベンジに行かんといけんわぁ。