日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

First Drive

2012年03月25日 | Weblog
「次の信号を左に行って。」

「ヒダリ?ヒダリ?

今日は、次男の練習に行って来た(^^)

もう、焦りまくって私の声が理解できんみたいじゃった(笑)



長男の時にも行ったんじゃけど、何年ぶりかねぇ(^^;
当然、楽ちんな郊外へドライブってことで東へ向かったんよ。

天気予報じゃ晴れじゃったけぇ、どっかで弁当買って森林公園あたりで食べようと思っとったんよ。
ほしたら西条方面で雪がちらついてきた.。ooO(゜ペ/)/
気温はそれほど下がっては無いんじゃけどなぁ・・・
どこかのお店で食べようかぁ。

すると、息子が突然「竹原へ行きたい!」って言い出した。
今、標識が出とったねぇ。
あっそうか!「たまゆら」かぁ(^^)

竹原を舞台にしたアニメ「たまゆら」の話を前にしたことがあったなぁ。
というわけで、急きょ行き先を竹原、町並み保存地区へ(^^)



「すげ~、すげ~。」
次男は、口癖ですぐにこう言う。
でも、実際うれしそうじゃ。
自分で運転して、ここへ来れたこともうれしかったみたい(^^)

「あっ、ここあの“お好みやさん”じゃ。ほら、ほぼろ。」

私も“たまゆら”は何度か見たけど、お好みやさんの名前までは(^^;;;;


それから、定番の西方寺へ上がって・・・



次男「あ~、見たことある。」



ここは、日当たりがええんか、桜が咲いとった(^^)



“たまゆら”効果なのか、私が来た中ではもっともにぎやかじゃった。
今日は、観光の予定じゃなかったので時間が無かったけぇ、早々に撤収した(^^ゞ

次男は、「今度は勉強してからもう一回来る。」って。
この古い町並みにも興味があるのか?それとも単にアニメの影響か?
やっぱり歴史じゃなく、“たまゆら”のお勉強じゃろうねハハハ(笑)

ニイタカヤマノボレ

2012年03月10日 | Weblog
「『ニイタカヤマノボレ』じゃ。」

マッキーから命令が下された。

B「じょ、上意でございますか?」

マ「勅命じゃ、勅命が下った!」

勅命なら登らねばなるまい。しかし、マッキーはいつから帝になったんじゃろう。。。(笑)

といきなりトンチンカンな始まりですが、、、



写真は、先日行った江田島のもの。きっと、戦時中のものじゃね。「ニイタカヤマノボレ」にぴったりのイメージじゃけぇ入れてみました(^^ゞ

ほんじゃが、実は今回は戦時中のお話じゃなく、時代はぐっとさかのぼって、戦国。

マッキーに誘われて、「新高山」へ登ってきたんです(^^;

「ニイタカヤマノボレ」は有名な暗号じゃけぇ知っとると思うけど、真珠湾攻撃の時の暗号じゃね。

あちらのニイタカヤマ(新高山)は台湾の山、現在の玉山で当時は日本領で新高山と呼ばれて日本最高峰じゃったらしい。

今回登ったのは、三原市にある山で197mほどです(^^;



元、小早川隆景の居城です。

小早川隆景といえば、毛利元就の3人の息子のひとりじゃけぇ、有名じゃろ(^^)

もともとは、沼田川を挟んで向かい側の「高山城」が小早川家の居城じゃった。

養子に行った隆景が、小早川家を継いだ翌年にこちらの越して来たらしい。

ちなみに、間違って高山城も入り口まで行ったんじゃけど、こっちは登らんかった(^^ゞ


どちらの城も切り立った岩山を削った感じで、防御にはもってこいの地形じゃった。



ほいじゃが、写真を撮るのを忘れとる(^^ゞ

新高山城はよく整備されとる。

たくさんの郭が残っとって、規模の大きさを感じさせるものじゃった。

上の絵から想像してみてね(笑)


Spring has come.

2012年03月04日 | Weblog
庭の紅梅が咲き始めた(^^)

こないだから、つぼみがふくらみはじめとったけぇ気になっとったんじゃけど、

今日、咲いとるのに気が付いた。



3月に入ったけぇねぇ。

このまま暖かくはならんと思うけど、春は確実にやってきとる(^^)

まぁ、私にほんまの春が来るのは4月じゃけどねぇ(^^;

忙しいときは、「4月に入ったら遊ぶぞぉ~!」って考えるだけでパワーが出るけぇ(笑)

単純!ハハハ(^▽^)

さぁ、4月になったらどこに行こうかなぁ・・・

ってその前に、山積みになっとる目の前の課題を片づけんといけん(。ヘ°)ハニャ

平氏ゆかりの地(王泊)

2012年03月01日 | Weblog
1日長い2月も終わって、3月に入ったねぇ。

仕事の忙しい時の1日長いのは、損してるのか?はたまた得してるのか?(^▽^)

GW中の4月が1日長くて32日まであったりしたら、絶対得しとるよねぇ。

ってことは、やっぱり損したんかねぇ(^^ゞ


ところで、先週末にマッキーと再び倉橋へ行って来たよ。

中国新聞に、早瀬大橋の下に「平家口碑」があるって書いてあったけぇ、見にいったんよ。


まず、第二音戸大橋の工事の進み具合を確かめて・・・



こないだと何も変わってないね(^^ゞ

別に、第二音戸大橋のファンってわけじゃないけど、まぁせっかく来たんじゃけぇってことで(^^)

呉側は、汐音しおん(元の音戸ロッジ)の下に着くんじゃね。

倉橋側は山を削っとるけど、どこに降りるんかねぇ。


おぉ、ここからこないだの毛利家、縁の寺「法専寺」が見えるわぁ。



ってことで、早瀬大橋の方へ回ってみた。

これかぁ・・・

これしかないじゃん(^^ゞ



近くの案内板にはこう書いてあった。
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「王泊・大君の地名と平家口碑(へいけこうひ)」

 この付近は、文治元年(1185年)2月、屋島の合戦で敗れた平氏が安徳天皇を奉じて
海路西へ落ちていく途中、ここに停泊。王泊・大君の地名はそれによると伝えられています。
「能美島志」に、「王泊・大君邑に在り、昔清盛、未だ隠渡(音戸)をさく開せざりしの時、
往来の船舶多く速瀬(はやせ)の海を通る。或いは潮汐(ちょうせき)の漲(みなぎ)るを
候(うかが)い、或いは順風を待つの客船皆此裏に泊す」と記されています。

 平清盛が音戸の瀬戸を開くまでは、船の多くはここを通り、潮待ち・風待ちの船もここに
泊まったと伝えられています。

 その時代、広島はまだ開けておらず、畿内(きない)から海路宮島に行くには遠回りに思
えますが、当時、江田島湾を形成する江田島と能美島は離れており、ここから江田島湾を通
って宮島方面に向かったとも考えられています。

 「平家口碑」は、この地のいわれを後世に伝えるため、昭和56年4月、当時の大柿町と
大柿町観光協会により建てられたものです。
                                     江田島市

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このあと、源氏に追いつめられ壇ノ浦で平氏とともに入水したんよね。

そういやあ、昔は「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」なんて言よったけど、最近は平氏の滅びて

源氏に政権が移った1185年っていう説が有力みたいじゃけど・・・

今、学校じゃどうやって教えよるんかねぇ?(笑)

とは言うてみたものの、私が学生の頃にはこんなことはちっとも興味がなかったけぇ

年号なんか覚えとらんかったけぇ、なんも問題は無いんじゃけどねハハハ(^▽^)



「ほいじゃが、この橋の下じゃ流れが速くて停泊はできんよねぇ。」とマッキーが言い出す。

そりゃそうじゃ、碑はここにあるけど実際に泊まった所は別な所じゃない?



早瀬大橋の下は潮の流れが早くて、停泊に適した場所には見えん。

魚はよう締まっておいしそうじゃけど(^▽^)

地図を見ながら少し南へ移動すると、あるじゃん王泊(^^)



ちゃんと、入り江になっとって、そこに王泊の地名があった。

なっとく!(笑)


幕末以外はあまり興味がないといいながら、

大河ドラマが始まるとちゃっかりはまってしまってる自分がいる(^^;

ちょっと前まで、「平家」と言えば「新平家物語」くらいしか思いつかんかったのに。

あっ、もちろんお菓子の方の新平家物語じゃけぇ(笑)