日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

深みのある黒を再現する

2010年06月28日 | パソコン
先日、Core i5でパソコンを作ったんじゃけど、そのときディスプレイも新調しました(^^)

三菱電機の安価なモデル(RDT231WLM-S)なんじゃけど、めちゃめちゃきれい!

って画面をコピーして貼り付けても、わからんよねぇ(^^ゞ



見とる人のディスプレイで決まるけぇねぇ(^^ゞ

実際には、シャープネスがきいとる。

ものすごいシャープじゃけぇ、今までのピンアマ写真がちょうどよくなって、ジャスピン写真はカリカリになってしもうた。

それから、コントラストも高くなって今まで黒つぶれしとったところが表現できとったりと自分で見るにはよくなったんじゃけど・・・
みんなが見たらどうなんかねぇ(^^ゞ

最近買った人はみんなこんなきれいなディスプレイで見よったんじゃねぇ。


そういうわけで、こないだから写真の感じが変わったかもしれません。


高杉晋作ゆかりの地を訪ねて・・・下関編Part2 海を渡る

2010年06月27日 | Weblog
さて、昼食後も東へ移動。

赤間神宮


二人は、なにやらよからぬ相談をしとるのか・・・(^^ゞ


そして、前回もでてきた白石正一郎。

#坂本龍馬も下関に来たときにお世話になったらしい。

その旧邸にあった浜門が、この辺に移築したらしいんじゃけど見あたらんねぇ・・・

あ~、看板めっけ!
ほんじゃが、肝心の門がない。
えぇ~、この看板の後ろの切り株!
もしかして、取り壊したの?


あった、看板は表に門は裏にあった(^^ゞ

ほんじゃ、今度は西に向かう。
前回わからなくなった西国街道を正確にトレースするぞ!


ここで、iPhoneが役に立った。

Googleマップで道を確認しながら、、、完璧!

前回は迷いながら進んで、結局どこかで間違えて下の国道に出てしもうたんじゃけど今回はばっちり!

ちなみに、この地図は帰ってからGoogleマップでトレースしたものです。

6時半かぁ・・・

そろそろええ時間になってきたけぇ、帰ろうか?

今日はワールドカップ日本対オランダがある日じゃけぇ(^^)



あれあれ、どうも雲行きが怪しいぞぉ・・・

どうやら門司へ行きたいらしい。

マッキーは、門司で「焼きカレー」を食べたいらしい。

そんなもん、西国街道に大名行列が往来しとった頃には無かったじゃん!(笑)

ほんじゃが、意志は固く門司へ行く羽目になった。


「せっかくじゃけ、人道トンネル通ろうやぁ。」

ワールドカップをあきらめた私はそう提案した。

関門トンネルの歩行者用トンネル。

小学校の修学旅行で通ったよねぇ(^^)



そうそう、この山口県と福岡県の県境でクラスごとに写真を撮った。

懐かしい話をしながら九州へと渡る。



大正浪漫「門司港駅」

ええ雰囲気の駅舎じゃろ。今も現役です。

焼きカレーのお店もたくさんある。

門司名物じゃけぇねぇ(^^ゞ

マッキーはえらい真剣にお店選びをしよる。

そんなに食べ物にこだわる性格じゃったかいねぇ・・・

やっとお店もきまって、入ったら店長はイタリア人風のごっついおじさんじゃ。

ほんで頼んだのが「焼きカレードリア」

けっこうな時間待たされた。



やっと出てきたのがこれ↑

うん、確かにうまそうじゃ。

マ「原田早穂は、大盛りを頼のんどったよ。」

あぁ~、そういうことか!

原田早穂がここに来とったけぇ、同じ店に来たかったんじゃね。

マッキーもミーハーじゃねぇ(笑)


晩飯も食ってやっと帰れる。

下関の夜景がきれいに見える。


帰路に就いたのは日もどっぷり暮れた午後8時過ぎじゃった(^^ゞ



高杉晋作ゆかりの地を訪ねて・・・下関編

2010年06月20日 | 自転車
龍馬伝もほぼ半分終わり、世間は坂本龍馬で相当盛り上がっとるねぇ(^^ゞ

ほんじゃが!長州びいきの私は、ここはあえて高杉晋作で(笑)

こないだ、高杉山城を見に行ったんじゃけど、
高杉晋作といえば、下関!

こないだの吉田町も、この下関の前振りじゃったんよねぇ(^^)

ほんで、前回行ったのが2008年11月じゃったけぇ、(歴史旅では)2年ぶりの下関ってことになる。

時間がなく、後半焦って回ったけぇ気になっとったんよ。
今回、主に高杉晋作ゆかりの地を回ることになった。

今日も、いつものメンバー。
なにやら、起こりそうな気がする~(^^; あると思います(笑)



「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目は駭然として敢て正視するもの莫し。此れ我が東行君に非ずや。」
伊藤博文が高杉晋作のことを言った言葉じゃけど、ここの高杉晋作像はそのイメージなんかねぇ。
存在感があるというか、やんちゃっぽいというか、怖い顔をしとるねぇ(^^;
日和山公園の像です。



日和山公園の下の道は、晋作通りと名付けられとった。
きっと、遊び好きの晋作がこの道を通いよったんじゃろう(^^;

こっちの晋作像は、おぼっちゃまっぽい感じじゃ。



大歳神社
晋作が奇兵隊発足の際に、旗を奉納した大歳神社。
分限者の白石正一郎はこの鳥居を攘夷必勝祈願で奉納したんと。
回船問屋の主人でありながら、奇兵隊にも参加して資金的にも援助したらしい。


ひょうたん井戸
ってポンプしか写っとらんじゃん(^^ゞ
晋作が隠れとった井戸っていわれとる。
今でも使えるようで、せっかくじゃけ晋作にあやかって手を洗わせてもらった。

官公の使った井戸だと、字がきれいになるとかいうのがあるけど、何が起こるんじゃろう・・・(^^ゞ


27歳の若さで亡くなった晋作最後の地。


奇兵隊が挙兵後、藩の出張所(新地会所)を襲ったのち、ここに立てこもった。
中には、挙兵軍の刀きずがあるらしいが、なにやらイベント中(法事?)でのぞくことはできんかった(^^;

さすがに下関は晋作ゆかりの地がたくさんある。
ほんじゃが・・・
そろそろ、おなかが減ったのぉ~

この時点で、お昼はとおにまわって1時になろうとしている。

「おなかが減った、そろそろ飯にしようやぁ~。」

私の悲痛な叫びは彼らの耳には届かず

「次は桜山町の晋作が療養しとったところじゃ。」

「え゛~、まだ行くんじゃ(^^;」

彼らには、なにやら作戦があるようじゃ。

晋作療養の地


「ほいじゃ、昼にしようかぁ。」

「やったぁ~、飯じゃ。」

「ほんじゃ、門司に渡って・・・」

「まだ行くん?」

ふたりは下関商港から船で門司に渡る作戦をたてよる。

「やだ、やだ、やだ、唐戸市場にしようやぁ~。」

桟橋で寝転がって手足をばたつかせ、だだをこねてみた(笑)

ってそれはウソじゃけど、やっとの思いで昼飯にありつけることになった。

しかし、これがこの後の悲劇につながるとは私は考えもしなかった・・・


さてここは、前に海峡館へ来たときときから気になっとった場所じゃ。

食にはあまりこだわりがないんじゃけど、ここは、評判もよく一度は来てみたかった。

中の市場を見て回ると、にぎり寿司や、海鮮どんぶり、ふくの唐揚げ。

目移りしてしまう。

よっしゃ~、寿司じゃ~(^^)

それと、がんばったご褒美にスーパードライ。



2時をまわっとることもあって、市場はタイムセールスになっとった。

大トロは200円じゃけ買わんかったけど、一貫100円。

ビールをつけても950円。

100点満点のお昼ご飯じゃった。

高杉晋作のルーツを訪ねて

2010年06月07日 | Weblog
先日、萩へ行ったとき、ボランティアの人との話の中で「高杉晋作」の出身地の話しがでた。
「高杉晋作の祖先は広島にあるんじゃろう?」

話し好きなボランティアの人からそういわれた。

ほんじゃが、聞いたことはあるけど、詳しく知らんかった私は曖昧な返事しかできんかった(^^ゞ

「もともと毛利は、広島から移封されたんじゃけ、高杉晋作のご先祖が広島にあっても何もおかしくないよねぇ。」

なんじゃ、その答えは(笑)
こりゃ、ちゃんと調べんといけん(^^;


高杉晋作の祖先は、三次市と安芸高田市の吉田町という説があるが、どちらがルーツか断定するだけの資料がないらしい。
ということは、どちらも正しい?(^^ゞ

ほんで、ボランティアの人が言よったのは、三次のことのようじゃった。
高杉城を居城とする高杉氏。
こちらは、司馬遼太郎も指摘しているらしい。

もう一つの、吉田町の方は毛利氏の配下で高杉山城を居城としとった。

こりゃ、近いけぇ行ってみんといけん(^^)

高杉山城
安芸高田市吉田町西浦
安芸・高杉山城 丘城 (標高 250m/比高 5m) 
ネットで高杉山城の場所を調べたが、得られた情報はこの程度じゃった。

たどり着けるんかのぉ(^^ゞ

山城といえば当然マッキーがナビゲーターじゃ(^^)
ついでに、前回探したがたどり着かんかった「船山城」も行ってみることにした。

iPhoneのGoogleマップに「安芸高田市吉田町西浦」をポイントして行った。
これならだいじょうぶじゃろう。

ほいじゃが、行ってみるとどうしてもわからん。
案内板がないんよ。
しょうがないけぇ、「安芸高田市歴史民族博物館」(郡山城の下にある資料館ね(^^;)に行って、聞いてみた。

さすが!

すごい地図がある。

小さな山城まで載った地図で、こりゃすごいわ(^^)

教えてもらった場所をマップにポイントして、完璧!

じゃ、近い方からまず船山城跡。
前回は県道から曲がるものと思っとったら、1本違っていて旧道沿いにあった。


ほんじゃが、こりゃ看板で船山城跡は、この左の山にあったわ(^^ゞ

#船山城
毛利元就の異母弟、相合元綱の居城。
元就が家督を継ぐとき後継者争いで殺害される。


相合四郎元綱の墓

民家の一角にひっそりと建っとった。



これが、高杉山城跡。
比高 5mを資料館の人もしきりに強調しとった(^^ゞ
山城といえば山にあるイメージじゃけど、ちょっとちがった。

ここはさっき車でぐるぐる回ったよねぇ~(^^ゞ

反対側から見ると、まったくそれらしく見えんのんよ(^^ゞ



これで、今度萩へ行ってボランティアの人につっこまれてもちゃんと答えられるわぁ(笑)

古地図を求めて

2010年06月02日 | Weblog
先日長男が、iPhone用の古地図ソフトを見つけてくれた。

「こちずぶらり」というソフトじゃけど、エリアが限定されとるし、アプリとしての完成度も低いけど、無料じゃった(^^;

まぁ、そのうち完成度があがって来ればと期待して、今もそのまま入れとるんじゃ。


なんだか古地図が気になって調べとったら、GoogleEarthにレイヤーとして選択できるものがあった。

これも、面白そうじゃ。

ほいじゃが、欲しいエリアがないなぁ。

京都みたいなメジャーな所は、どちらもあるんじゃけど、もっと身近なエリアが欲しいなぁ。。。

ネットで探しよったら、萩の古地図を見つけた。

こっちはアナログじゃけど、萩の街は今でもこの古地図で歩けるらしい。

うーん、欲しい!

こりゃ、買いに行くしかない!

ってことで、週末に萩へ行って来ました(^^)

せっかくじゃけ、いつもと違う場所へ、、、


萩駅

レトロな建物じゃろ。

萩駅とはいうても、メインの駅はこっちじゃなくて、東萩駅のほうじゃね。



ほんで、こっちは「玉木 文之進」の家。

前からあったんじゃけど、今回は玄関も開いていてボランティアの方の説明つきじゃった(^^)

上がらせてもらった。

ここでは、お行儀良くしとかんと玉木先生におこられるけぇねぇ(笑)

吉田松陰も玉木のおじさんに厳しくされとったみたいじゃしね(^^ゞ

ほんで、前から気になっとったことがあったけぇ聞いてみたんよ。

高杉晋作の家の近くに、玉木病院ってあるけど、この玉木文之進と関係あるんか?

答えはNoじゃった。

こちらの玉木さんは栃木県(だったかな?)に住んでいて、萩にはいないそうです。

「すっきり!」

長年のもやもやがとれた(笑)

今回は、今までと違って、あちらこちらでボランティアの人を見かけた。

以前より、観光に力を入れとるんじゃろうねぇ。

ボランティアの人もそれぞれ得意分野があるみたいで、それを見抜いて話を振るとみんないっぱいしゃべってくれて面白いよ(^^)

とまらんようになって、話をきるのが大変な人もおったけど(笑)



ほんで、今回の目的「萩の古地図」

これを見ながら、幕末にタイムスリップじゃね(^^)

300円也

安い、タイムマシンじゃ(笑)