日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

急ぎ登城せよ!

2019年05月02日 | Weblog
令和元年5月、松山城主より登城の命がくだった(^^;

#令和って江戸時代にありそうな元号じゃねぇ(笑)

「こりゃあ~、急いで行かんにゃいけん。」

広島藩の下級武士二人に、なぜ松山城主から登城の命があったのかはおいといて\(^^\) (/^^)/

しまなみ渡って車で行く、という選択肢もあったけど、GW中ということで渋滞を嫌って自転車で行くことにした。

フェリーを使えば、松山観光港から松山城まで10Kmほどじゃけぇ、自転車で十分じゃろ(^^;


ちなみに、フェリーの料金は片道、大人3600円 自転車430円。

大人二人が往復すると、、、ね、高速とかわらんじゃろ(^^;

今回は、輪行したけぇ、自転車の料金は不要じゃった。

松山までは2時間40分ほど、のんびり行こうかぁ。


天気は今ひとつじゃけど、雨は降ってない。

霧も出とる。


おおぉ~、豪華客船じゃ(^^)

瀬戸内海には似合わん大きさじゃねぇ。


さて、松山へ上陸したら、まず、三津浜へ行ってみた。

むかし、大きな船は港に着けられんけぇ、ここの沖に停泊してここから小舟に乗って乗船したんじゃ。

そう、「坂の上の雲」の時に秋山真之が軍服着て、沖に停泊しとる軍艦に乗るシーンがあったよねぇ。

あのシーンはここから小舟に乗って行ったのを別の場所で撮っとるんよね。

次に、三津浜の「御茶屋井戸跡」


江戸時代に三津浜を港にしとったけぇ、参勤交代の時にお殿様が泊まるところが必要になるんよ。

そのときのお宿が三津浜の御茶屋。


そこにあったのが、この井戸。

今は小学校の校庭にある。


さて、いよいよ松山城の御城下へやってきた(^^)



ここは「秋山兄弟生誕の地」

場所はこのままじゃけど、第2次世界大戦で焼けて同じ場所に再建したらしい。

すでに、気づいとると思うけど、今回は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の聖地巡礼じゃけぇ(笑)

ここからすぐの所にお城へ上るリフトがあるんよ。

昔、この辺までは来たんじゃけど、当時の私は「差し控え(登城禁止)」じゃったけぇ?お城には上がらず下から見上げただけじゃった(^^;

あの頃は、歴史にぜんぜん興味がなかったけぇ、上らんかったんじゃね(^^;



おぉ~、霧の中から城が見えるぞぉ。



松山城は現存天守12城の中のひとつ。

築城したのは「加藤嘉明(よしあき)」。

加藤清正、福島政則、黒田長政らと並ぶ七本槍の一人。

関ヶ原の功績でこの地をもらって、城を建てるんじゃけど途中で会津に移封される。

石高は倍近くになったけど、とばされた感はあるよねぇ。

福島政則もしかり。七本槍の人たちは冷や飯食わされとるよねぇ(^^ゞ



さぁ、いよいよ城の中へ。



加藤嘉明も眼にすることが出来んかった、天守からの景色じゃ(^^)

天気が良かったら、芸州広島藩も見れたんかねぇ。



ほんで、ここは「坂の上の雲」のエンディングのロケ地になっとったところ。

ちょうど正岡子規(香川照之)の立ち位置におるけぇ(^^)



ここは「お囲い池跡」 旧藩時代の水練場じゃった場所。

秋山真之がふるちんで泳ぐ鎮台さんを叱って、けんかしたところじゃね。

残っとるのは、この看板だけじゃけどね(^^;


一日中、エエ子して遊び回ったけぇ、帰りの船の中は・・・



鯛入り にぎりちくわ わさびチーズ味!

お土産にしようと思ったんじゃけど、ビールが目に入ったとたん、つまみに変身した(笑)

近いんじゃけど、なかなか行かん松山。

だいぶ遅れたけど、ドラマのおかげで行けたわぁ。

2009~2011に放送されたんだって。

えぇ~、もう8年も前の話しじゃったヽ(^o^)丿