日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

暑過ぎる熊本、また行くわぁ(^^)

2018年08月24日 | Weblog
お盆に久々の長い休みが入ったけぇ、遠くへ遊びに行ってきたよ(^^)

というても、阿蘇ははずせんのんよねぇ(^^;



すごいエエ天気で、亀石峠(大分県)から阿蘇五岳がすっきり見えたよ(^^)

まぁ、エエ天気というよりはメチャクチャ暑かったんじゃけどね(笑)

ほいで、初日は「わいた温泉郷」へ行ったあと、瀬の本高原へ。

この日はペルセウス流星群がピークを迎える日。

ゆっくり、流星を眺めるには涼しいところがええけぇねぇ(^^)

瀬の本高原は標高が900メートルはあるけぇ、広島市内みたいに熱帯夜じゃなかった。



流れ星はたくさん流れたけど、今まで見た流れ星で一番大きいくらいのを、2個見たけぇねぇ。

赤い流れ星で、ひとだまかと思ったよ(^^;

1時間も見とったら寒うなったけぇ、撤収した。

ほいじゃが、この絵はどう見ても流れ星には見えんねぇ~(^^ゞ

#あいかわらず、下手な絵じゃ(笑)

ほいで、翌日は阿蘇から移動して熊本方面へ向かったんじゃ。

今回は、海が見たかったけぇ(^^)

ほんで、国道57号線は熊本地震以来通行止めで、まだ復旧しとらんのんよ。

じゃけぇ、ミルクロードから大津方面へ抜けて行ったんじゃ。

そしたら、反対車線(阿蘇方面)が大渋滞しとった( ̄▽ ̄;)!!

まぁ、お盆じゃけぇしょうがないのぉ。

阿蘇方面へ戻るときは、もうちょっと遠回りせんといけんわぁ(^^ゞ


ほいで、ひとつ目の目的地「長部田海床路」

前にも来たよねぇ~(^^;

SNS用にこんなもんができとるじゃん(^^)


海に沈んどった道が、、、

潮が引くと徐々に現れてくる。

その様子をタイムラプスで撮りたかったんじゃけど、暑い!。とにかく暑い!!。

動画はまた今度じゃハハハ(^▽^)



前回来たときにはうっすらしか見えんかった雲仙普賢岳が、すっきり見える。

あそこでねぇ。。。(-人-)

よし、ほいじゃ明るい内に次の下見じゃ。

夕日の撮影スポットは決めとるんじゃけど、、、

前回来たときは、場所がようわからんかって、道が狭いけぇでかい車でウロウロしよったらにっちもさっちもになりそうじゃった。

しょうがない、広いところに車を停めて歩こう!急がば回れじゃ!!

いうことで三脚担いで歩いて上がりよったら、日が沈んでしもうた(^^;

それでもあきらめず、上ってみたら、エエ所にはみんな三脚がたっとったし、駐車場もまだ数台空きスペースがあった( ̄▽ ̄;)!!ガーン

今回はその反省を活かして、昼間に下見をして夕方は早めにスタンバる。

エエ作戦じゃろ(^_-)-☆

ということで、えっちら、おっちら上がってみた。
 ↑
前の車よりでかくなっとるけぇ、ホンマかつかつじゃった。

日陰の展望所で眺めよったら、後ろから来よったジムニーのお姉ちゃんと仲良うなった。



待てよ、今この景色なら夕方は潮はどうなっとるん???

お姉ちゃんが、調べてくれた。

「潮は満ちてますねぇ。」

「( ̄▽ ̄;)!!ガーン」

干潮と日の入りが重ならんと思うとる景色にならんのんよ。

行き当たりばったりじゃダメじゃねぇ(^^ゞ

ほいじゃ、ここの夕日はあきらめて移動しよう。

明日は天草へ行くつもりなんじゃ。

そのお姉ちゃんは、今日天草へ行ってきたけど車がメチャクチャ多かったらしい。

午前中は天草へ向けて、午後からは天草から出てくる方向が大渋滞だって。

天草は基本「入ったら出る。」しかないもんねぇ。

フェリーで脱出という手もあるけど、人が多いこの季節、何便も待たされるのはいやじゃしねぇ(^^ゞ

よし、今から天草へ入って明日は午前中に出てくれば渋滞にかからんね(^_^)b


ほいじゃ、とりあえず温泉じゃ(^^)

方角はちょっと違うけど、「道の駅 不知火」に温泉があるみたいじゃけぇ、そっちへ移動。

ついでに晩ご飯もたべよう。


貝汁定食 980円

ホンマはお刺身定食1380円が食べたかったんじゃけど、もう売り切れとった(^^;

貝汁もおいしかったけど、貝汁ならドライブインみちしお(山陽小野田市)の方が上じゃね(^^ゞ

ほいで、本日の目的地「道の駅 有明」へ着いたらちょうど夕日が沈みよった(^^)




この時期にしては夕日がきれいじゃった。

ここにも温泉があったよ。さすがにもう入らんかったけど。


翌日は最近世界遺産に登録された「崎津集落」へ行ってみた。

崎津教会


海上マリア像


大江天主堂


世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」っていうのが正式名称で、建物とか集落というより

「2世紀に渡りキリシタンであることを隠したまま信仰しとった」とういうことが世界遺産に登録されたっていうイメージかな(^^ゞ

ちなみに教会はいずれも昭和になってから建てられたものじゃけぇ。

こんな立派な教会があったら、「潜伏キリシタン」にはならんもんねぇ(^^ゞ


ほいで、今度は天草から出て前から気になっとった「三角西港」

こっちは「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されたところ。

萩の反射炉なんかもこれになるんじゃけど、山口県以外の場所は行ったことがなかったんじゃ。

でも、世界遺産じゃけぇ来た訳じゃなくて「坂の上の雲」のロケ地になっとって、それを見たときからすごい気になっとったんじゃ(^^)





潮が大きくて、護岸が少ししか出てないけど雰囲気はあるじゃろ(^^)

ジモピーっぽい人たちが魚釣りしよって、馴染んどったね。

チヌねらいっぽい人もおったよ。

港じゃけぇ、ドンと落ちとるんじゃろうね。


この水路なんかも明治に作られたものみたい。

お勧めコースには「30分散策コース」と「60分散策コース」があったけど、これは今度涼しいときに回るわぁ(笑)

ホンマに今年の夏は暑すぎじゃ~汗;;;

ほいで、夜はどうしても涼しいところへ行きたかったけぇ、瀬の本高原までもどったんよ。

そう、遠回りじゃけど菊池渓谷経由で外輪山を上ってね。

また、連休がとれたらリベンジに行かんといけんわぁ。


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大内義隆自刃に追い込まれる

2018年06月27日 | 歴史
今回は、前から気になっとった長門へ行ってきたよ(^^)

ほいじゃが、その前に・・・


    山県有朋     木戸孝允     伊藤博文

萩も覗いてきた(^^;

萩いうても、今回は浜崎地区なんよ。

萩藩御船倉の近くにある浜崎伝統的建造物群保存地区いうところ。

浜崎といえば、今は漁師町のイメージじゃけど、港町じゃけぇ当時は流通の拠点として商家がたくさんあって賑わっとったみたい。

ほいで、今も江戸時代の建物が複数残っとるんじゃ。


「山村家」元は船具屋さんらしい。

江戸時代は間口で税金がかかっとったけぇ、この間口の建物がどんだけリッチかわかるよねぇ。

今は資料館的な感じで無料開放されとった。

ボランティアのおばちゃんの解説付き(^^)


同じ建物の奥行きです。


すぐ近くに今も現役の船具店がある。

小さな町に船具店が複数あったというだけでも、昔の賑わいが感じられるよね。

このあたりは、過去に何度か来たことがあったんじゃけど、少しずつ整備されて今の方が古い町並がきれいなよ(^^)

まだまだ見所はたくさんあったんじゃけど、今回はメインディッシュが別にあるけぇ次に行った(^^ゞ

次回は、自転車持っていってもうちょっと詳しく回って来るね。

浜崎から少し東にある、「芳和荘」

旅館ってなってるけど、元々は遊郭じゃったんよ。

当時の建物がそのまま、旅館として使われとるんじゃ。

真ん中が吹き抜けになっとって、そこをグルッと回るように廊下がついとる・・・

幕末の志士たちが、斬り合いを始めそうな場所じゃけぇ(笑)

中は宿泊せんと見られんかったけぇ、気になった人は検索してみて。


こんな建物じゃけぇ。


「芳和荘」のすぐ近くに「浮島遊郭跡」っていうのをグーグルマップでみつけたけぇ行ってみた。

ほいじゃが何にもないのぉ・・・ってグーグルマップを航空写真に切り替えたら、もう何もないパチンコ屋の駐車場じゃった(^^ゞ


さて、萩から移動して今度は長門。

長門といえば、数年前に安部さんがプーチンさんをもてなした「大谷山荘」がある温泉じゃ。

今回は大谷山荘からもほど近い「大寧寺」へ行って来た。


大寧寺は大内氏最後の当主「大内義隆」の最期の地です。

そう「陶晴賢」によって自刃に追い込まれたんよね。


寺の入り口付近に



「かぶと掛けの岩」


「姿見の池」


さぁ、大内氏の墓へ・・・

あれ?

こんな所に、「関東管領(かんとうかんれい) 上杉憲実(うえすぎのりざね)」の墓があるじゃん。

関東管領といえば、上杉謙信もやっとったよねぇ。

大河ドラマ「風林火山」でガクトがやっとったわぁ(^^;

なんで、こんな所に・・・

なんか、いろいろあって諸国を旅して最後は大内氏を頼ってこっちで亡くなったんだって。ふーん。


さぁ、いよいよ大内義隆の墓所

「大内義隆主従の墓所」

さっきの所から少し上がって、墓所の一番奥にある。

昼間でも日があまり入らない薄暗いところにあった。



一緒にある墓の中に、「二条」「三条」って言う名前がある。

大内義隆って山口に京を作って、公家のような生活をしとったっていうけど、本当の公家も呼んどったんじゃねぇ。




大内義隆、義尊親子の墓が正面に、周りには家臣の墓が並んどる。

ちなみに、普通の墓石っぽいのは墓石じゃなく名前が書いてある墓標で、本当の墓石はその横や後ろにある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」じゃけぇ。


三条公頼卿の墓石には石室がついとる。

この中でも特別身分が高かったんじゃろうねぇ。

大内義隆が陶によって滅ぼされたのは知っとったけど、山口市から逃げてここへ来て、自刃したんじゃね。

そのときに寺も焼失したらしい。

その後、お寺は毛利氏によって再建された。

ふぅー、これで気になっとった大内氏の最期の地は見れたわぁ(^^)

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シシドシ

2018年06月05日 | 歴史
シシドシ?

宍戸といえば 「宍戸錠」!?フルーハハハ(^▽^)

いやいや、 「宍戸刑馬」ムムムこれはまた、マニアックな名前(^^;

#高杉晋作が馬関戦争の講話談判へ行くときに名のった名前じゃね。「アメツチノハジメノトキ、タカマノハラニナリマセルカミノナハ、・・・」
#古事記を暗唱したというあれのとき(^^;

さて、今回は毛利の家臣「宍戸氏」の縁の地へ行ってきたよ(^^)

長州藩で宍戸氏といえば一門家老の筆頭になっとる。

晋作が名のった「宍戸刑馬」からさかのぼること300年。

安芸の国におった頃の宍戸氏、縁の地へ行って来たよ(○゚ε^○)v ィェィ♪


もともと、宍戸氏と毛利氏は仲が悪く何度も抗争を繰り返しとったんよ。

宍戸元源の時代にも、毛利氏と争っとる。




宍戸元源(もとよし)夫妻の墓

ほんで、元就の代に元源の嫡孫「隆家」に元就の娘(五龍局)を嫁に出して和睦したんじゃ。

力を付けてきた元就が、贈り物を持っていったんじゃけどね。


これ以降、宍戸氏は毛利の中で吉川、小早川と並ぶ立場になったんじゃ。


隆家夫妻の墓

元源の嫡男「元家」は元源より先に亡くなっていたため、元源の跡を継いだのはこの隆家じゃった。

隆家は叔父の隆忠を家臣の讒言(ざんげん 人を陥れようとして事実を曲げて告げ口すること。)により殺害しとる。


隆忠の墓

元源、隆忠の墓は、理窓院っていう寺にあるんじゃけど、場所が分からず寺の中をウロウロしとったら、

ちょうど住職が出てきて案内してくれた。

そのとき、寺の歴史とかもちょっと説明してくれたよ。

親切な住職じゃった(^^)


続いて、理窓院から川を渡って隣の山にある、宍戸氏の居城 「五龍城」へ。

五龍城は江の川と本村川と二本の川に挟まれた場所にあるんよ。



川の流れに削られたのか、崖が急で山城にはもってこいの地形じゃ。


山城全体はこんな感じで、かなり本格的?(^^;

なぜかGoogleマップと向きが反対じゃ。

登り口は山城の先端で、今は神社の参道になっとる。



参道を上ると最初の曲輪「尾崎丸」に神社がある


宍戸司箭神社


ここの「五龍城址図」がわかりやすかったけぇ、貼っとくね。

五龍城は間伐してあって、曲輪や堀切、竪堀がわかりやすかった。



これが本丸、向こうに見える段は土塁。

これを越えると、10メートルはあろうかという堀切がある。

大変な工事じゃったろうなぁ。

写真じゃ分かりづらいけぇ、気になった人は行ってみて(笑)

これは、五龍城址図がわかりやすいよ。

一番奥の足軽ノ段まで行って引き返した。

この山城はロケの良いところはあまり無く、そういう意味ではイマイチじゃったけど、

当時の面影が沢山残っとって、タイムスリップは出来たよ(^^)


さて、元就が宍戸氏と和睦する際に贈り物を持っていったと書いたけど、

そのときの贈り物が、高橋氏を謀略により滅ぼし手に入れた領地の一部じゃった。

高橋氏の所領は「石見国邑智郡の阿須那・出羽、安芸国の北半分、山県郡の東部」といわれとる。

毛利は手に入れた領地を、石見・出雲進出への足掛りにした



説明文は下の「高橋盛光の墓」入り口にたっとった。


高橋盛光の墓


ここは「軍原」と言われる場所で、この岩の上で「高橋興光」が切腹をしたといわれとる。通称「腹切り岩」

説明文だけ読むと元就が悪い奴に見えるけど、元就の兄「興元」に高橋久光の孫を嫁にだし、

興元の死後は、嫡男「幸松丸」の外祖父として後見人なり毛利家ににらみをきかせとったらしい。

「幸松丸」死後、元就が毛利の当主となるとき、元就の異母弟、相合四郎元綱が謀反をしようとして粛正されとるが、

このとき尼子氏がからんでいたのは有名な話しじゃけど、高橋氏も一枚かんどったという話しもある。

高橋氏の系図に関しては諸説あるみたいじゃけど、元就の「謀略恐るべし」じゃね(^^ゞ

この時代は生き残るためにみんな必死じゃけぇねぇ。

でも、いろんな話が出てきて面白いね(^^)
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連休はここじゃろう!(^^;

2018年05月30日 | Weblog
ひさしぶりになっちゃったけど、GW中盤は・・・

中盤?

そうなんよ、中日(5日)に仕事が入ってしもうたんよ(T_T)

ほいで、振り替えを2日にしてもらって三連休にしたんじゃ。

GWは阿蘇って決めとったけぇ、行ったんじゃけど2日は天気予報通りの雨。

雨はいけんかったけど、平日ということもあって交通量は少なめじゃった。

到着ヽ(^o^)丿

午後3時、無事に大観峰へ着いた!

ほいじゃが、これじゃ~


#まぁ、ええかぁ時間がかからんかったけぇ(^^ゞ

この日は早めに温泉に入って、一杯やったわぁ(^^)

もちろん、肴はこれ!



馬刺

お気に入りのスーパー「みやはら」じゃ。

去年はGWに来たら売り切れで食べられんかったけぇ、迷わず買うたよ(^^)

さて、2日目は・・・

雨こそ降ってないけど、あつい雲に覆われとった。

ときどき雲の隙間から日が差しよったけど、じゃけぇ夜明けは撮らんかった(^^ゞ

この時期は、山の緑もきれいなんよねぇ。



よっしゃ~!雨の後は滝じゃ!

きっと増水してエエモンが見れるぞぉ~!


んん?

原尻の滝へ来てみたけど、ぜんぜん普通じゃった(^^ゞ

まぁ、天気は回復してきてエエけど。


いつもの虹も見えるよ(^^)

ここまで来たら、「沈堕の滝」も行ってみよう。


「雄沈堕」


「雌沈堕」

河原まで降りたんじゃけど、以前より足場が悪くなっとって大変じゃったわぁ。

たぶん、大雨の時に崩れたんじゃねぇ。

ほいじゃが、カメラと三脚担いどったんじゃけど、予想外に疲れたわぁ。

足腰が弱っとるんかねぇハハハ(^▽^)


ちょっと遅くなったけど、お昼ご飯は「道の駅 すごう」内の「丸福」とり天定食!(^^)

よし、明日のために阿蘇へ戻ろう。

なんか、車が多いなぁ・・・

そうか、世間は今日から四連休かぁ~(^^;

やっとの思いで大観峰まで戻ったけど、道路も駐車場も車であふれとった。


すっきり晴れた阿蘇五岳。

気持ちエエ天気じゃ(^^)

ほいじゃが、人混みを嫌ってすぐに下へ降りた。

でも、「道の駅 阿蘇」は車がいっぱいで停められんかった。

しょうがない、先に温泉じゃ(^^;

1時間後に戻ってきたけど、やはり駐車場はいっぱい。

そういえばGWはいつもこんな感じじゃったわぁ。

晩飯買って大観峰へ上がった。

5月とはいえ、標高1000m近いけぇまだまだ寒いわぁ。

FFヒーターいれて、ぬくぬくの車内でビールじゃ(^^)

ほんで、することもなくなったけぇ、早めに寝た。

「ビュー ドン グラグラ」 強い風で目が覚めた。

外を覗いてみると、空には星はなくどんよりしとる。

#こんなに風がある日は雲海もだめじゃのぉ~

そんなことを考えながら、また寝た☆+.゚+ZZzz(○-Д-)ォャスミ+.゚+.☆



午前4時、夜明けをねらって起きてみた。

外を見ると、真っ黒い雲がたれ込めとる。

こりゃ無理じゃ、寝よ(^^ゞ


5時頃再び目が覚めたけぇ、車内から携帯で撮ってみた。


つまらん夜明けじゃろ(^^;

すっかり日が昇って6時過ぎに外を覗いてみた。

「おぉー、晴れとるじゃん(^^)」

「あら?ライダーがそこにおるじゃん。」

阿蘇RHのメンバーが朝練に来とる。

年末は会えんかったけぇ、いつぶりじゃろう(^^)

外へ出て挨拶する。

そういえば、広島で忘年会をしたとき会った人もおるのぉ(^^)


サザエさんのエンディング風じゃねハハハ(^▽^)

まだ7時にならんけぇ、車は少ないよ。


連休中じゃけぇ、渋滞覚悟で早めに帰ろう。

ライダーともお別れを言って、早めに阿蘇を出た。

国道を通らず、ちょっと遠回りじゃけど広域農道を走って帰路についた。


最後にくじゅう連山が見える丘で阿蘇にお別れ言うた。

「また来るけぇ(^^)」

この天気じゃったら、もう一日くらい居りたかったのぉ。

帰る頃になって、すっきり晴れた(T_T)

小倉南から高速へ乗ると、車は多いが混んではない。

「事故渋滞にはかかりませんように(-人-)」

関門橋の手前で渋滞(^^;


やはりね。

車は完全に止まってしもうた。

じゃが、チョロチョロ進みよる。

なんとか30分ほどで渋滞を抜けて、あとは無事広島まで帰れたわぁ。

天候的にいまひとつじゃったけど、まぁ、温泉も入ったし、阿蘇の雄大な景色で癒されたけぇエエかぁ。

三連休があったらまた行くぞ(○゚ε^○)v ィェィ♪
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萩はエエわぁ~(^^)

2018年05月16日 | 歴史
津和野、津和野と続けて行ったけぇ、GW前半は萩へ行って来たよ(^^)

昔はGWと言えばバイクで萩へ来て、レンタサイクル借りてプラプラしよったよ(^^)



ということで、今回も自転車を持ってきて散歩じゃ。

車は中央公園の駐車場(310円/一回)へ止めて、この近くから責めるぞ。

というても、何度も来とるけぇノープランでお散歩じゃ(^^)


ジャジャーン。

円政寺


「利助!」
晋作くんの声が聞こえてきそうじゃね(^^)

円政寺は高杉くんの家のすぐ近くじゃけ、利助(伊藤博文)と遊びに来とったみたい。


晋作くんが苦手じゃった天狗の面。


晋作くんと利助が鼻を撫でとったって書いてあるけど、、、

きっと晋作くんがまたっがって、ビビリ(シツレイ(^^;慎重派)の利助が「やめようやぁ、おこられるよぉ~」なんて言よったんじゃない(笑)


菊屋家住宅


菊屋横町

高杉くんや、利助、木戸孝允も近所じゃけぇ、こんな景色を見たんじゃろうねぇ。


おっ!人力車。

ほいじゃが、これは明治とか大正っぽいよね(^^)


高杉晋作生家

200石取りじゃけぇ、それほど大きな家じゃないね。


近くに晋作広場っていうのがあって、晋作くんの銅像がある。

珍しく、まげ姿じゃ。

ざんぎり頭のイメージが強いよねぇ。


つづいて、「北の総門」

これより中は三の丸で、通称「堀内地区」と言われとる。

暮れ六ツから明け六ツまではこの門は閉められて、鑑札のある人以外は入れんらしい。

ちなみに明け六ツは夜明け前の明るくなる頃、暮れ六ツは日没後の薄明るい頃じゃけぇ、季節によって違うんじゃ。

ほいじゃ、日が暮れたら飲みに行かれんじゃん( ̄▽ ̄;)!!ガーン

大丈夫じゃ、ワシはきっと下級武士じゃけぇ堀の外に住んどるわぁハハハ(^▽^)


益田家物見矢倉

となっとるけど、蛤御門の後御腹を召された三家老の一人、「益田親施(ちかのぶ)」の旧宅です。

やはりでかい。

ほいで、その近くにあったのが


周布家長屋門

周布家と言えば、周布政之助を思い出すが、ここは政之助の本家です。

知行は1350石とけっこうもらっとる。

家老ではなく、大組筆頭の家格で分家の政之助の所は200石あまりもらっとった。


ほいで、問田益田氏の白壁。

益田氏の分家とはいえ、知行は4000石あまり。

本家は12000石じゃけぇ~(^^;


これは旧郵便ポストではなく、その隣の石碑。

ここは「国司親相(ちかすけ)(信濃)旧宅地」

おぉー、でた例の三家老の二人目「国司氏」

二人とも、徳山で御腹を召されたよね。


そこからすぐの所に、「福原家屋敷門」

三家老の三人目、福原越後の屋敷じゃね。

当たり前じゃけど、みんな近くに住んどったんじゃねぇ。


萩城のすぐ近く、天樹院。

移封されたときの藩主、輝元の墓です。


堀内の鍵曲(かいまがり)


平安橋

この橋のたもとに「平安古の総門」があった。

三の丸へ入る門は全部で3つ。

#もう一つの「中の総門」の場所はようわからんかった(^^ゞ


児玉家長屋門

徳山の児玉源太郎もここと同じ「安芸児玉氏」の末裔みたいじゃ。


忠孝をはげまし、夫婦兄弟諸親類にむつまじく、召仕之者に至る迄憐愍(れんみん)
を加ふべし、若(もし)不忠不孝之者あらば可為重罪事(じゅうざいたるべきこと)。

こんな感じで、幕府や藩からの「御触」が掲げれられる。

萩往還、赤間関街道、石州街道の起点で、防長の一里塚の基点にもなっとった。

高札場は2010年に、江戸時代当時のものが復元されとる。

堀内界隈をグルッと回った感じじゃね(^^)

天気が良かったら、自転車で巡るとちょうどエエね。

萩は何べん来てもええわぁ~(^^)



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