日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

2018年03月06日 | Weblog
次の休みはどこへ行こうかぁ・・・

って考えよったら、マッキーが「また『東行庵』へ行きたいのぉ。」って言よったのを思い出した。

なにやら、資料館でエエもんを見たのをもう一度見たいらしい。

「東行庵」行ったのは、西国街道の旅の時。

もう、10年も前の話しなんじゃねぇ(^^ゞ

ということで、行って来たよ(○゚ε^○)v ィェィ♪



人も車も多くて、相変わらず高杉くんは人気「たかずぎ」ハハハ(^▽^)

ここには、東行(高杉晋作)の墓以外にも、奇兵隊や諸隊の隊士の墓があるんよ。

今回は時間をかけてじっくり見て回った。

白石正一郎の墓や赤禰武人の墓もここにあった。

赤禰武人の墓所は柳井にもあったね。

「赤禰武人?」

マッキーが食いついた。

「本人はどう思うとるんかねぇ・・・」

赤禰武人は三代目JSB・・・・ じゃなくて(^^;

三代目奇兵隊の総督まで務めたのに、最後はスパイ扱いされて処刑されたんよね。

辞世の句に「真は誠に偽に似,偽は以て真に似たり」と残しとるけぇ、悔しい思いをしたんじゃろうねぇ。

墓の横にあった立て看板には

「---- 墓は志士としての復権を願う遺族、関係者により平成7年11月に建てられた。」(一部抜粋)

確かに柳井のお墓は廃れとったし、出身地の柱島のお墓は超マニアックな私たちですら行ったことがないけぇ、

このままじゃ浮かばれんと思うたんじゃろうねぇ。

ナムアミダブツ(-人-)


さて、高杉くんは

おるおる、トレードマークの大きな刀をもって(^^)


高杉晋作と言えばこれじゃねぇ(^^)

ほいじゃが、伊藤博文が言った

「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。・・・」も有名じゃね。

でも、あの文は利助(伊藤博文)がちょっと上から目線でイヤじゃ(^^;


東行(高杉晋作)の墓


「高杉晋作」の像の入り口に新しい「山縣狂介(有朋)」の像があった。

説明文には昭和8年に建てられたが、太平洋戦争の時の供出で無くなったものを2015年に再建したとあった。

鍋釜まで出し時代じゃけぇねぇ。(あっ、ちなみに私はその時代を知りません(笑))


さて、いよいよマッキーお待ちかね東行庵の資料館へ。

すると、マッキーが騒ぎ出す。

「甲冑が無い!前来たとき高杉晋作の甲冑があったじゃろう?!」

私に問いかけるが、甲冑にそれほど思い入れのない私には記憶がない。

「前は確かにあったよ、甲冑が!!」

いつも冷静に見えるマッキーが、いつになく興奮しとる(笑)

それでも、ひととおりじっくり見て出口のところで受付の人に話しかけよる。

「ここに高杉晋作の甲冑がありましたよね?」

人と絡むのをめんどくさがるマッキーにしては珍しく積極的にいきよる(^○^)

どうやら、所蔵品の中には確かに本物の高杉晋作の甲冑があるが、

企画展で今は奇兵隊の隊士に関する資料に展示が変わっているそうだ。

そうなんじゃ・・・ショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック

外へ出てからぼやくマッキー。

マ「東行庵なんじゃけぇ、奇兵隊の資料より高杉晋作じゃろう (○`ε´○)プンプン!! 」

 「まだ、この三味線のほうがええわぁ。」

入り口でもらった資料の収蔵品の写真をみながらつぶやいた(笑)

うん、たしかに高杉晋作と言えば着流しに三味線のイメージがあるねぇ。

俺も三味線を見てみたい(^^)

こりゃ、甲冑を見るためにまた来んといけんのんかねぇ。

まんまと企画展の罠にはまっとるじゃんハハハ(^▽^)

(帰ってから、前回の資料を確認したら高杉晋作の甲冑は確かに展示してあった(^^ゞ)



近くに「奇兵隊陣屋跡」があるというので行ってみた。

広い敷地に銅像と石碑と説明文があるだけじゃった。


当時は十数棟の建物があって、400名の隊士が厳しい調練を受けよったんじゃね。



この隊士は何を考えよるんかねぇ。

「わしらががんばったら、きっとええ時代が来るよのぉ~。」

維新後の未来を見よるんじゃね。

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