牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

癒やされる恵みの日々

2017-01-24 18:01:59 | Weblog
使徒の働き5:14-16 そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。
ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。
病が直る。ペンテコステにスタートしたキリスト教会の力強い前進。使徒の働きを読むと、わくわくしてきます。
聖霊が降臨した日、聖霊に満たされた説教で、3000人がアーメンと信じ、バプテスマを受けクリスチャンになりました。
美しの門で40年歩けなかった男が、主イエス・キリストの名によって立ち上がり直された奇跡で、男だけでも5000人が救われました。反対や迫害、アナニヤとサッピラ夫婦の欺瞞と突然死もあり、神のことばは増々広がり、祭司たちも多数クリスチャンになりました。
その前進の理由の一つが、病が直る奇跡。そのいやしの凄さは、ペテロの影にでも、だれかにかかるようにするほど。それらが教勢強化や金銭目的でなく、自然にイエス・キリストの復活の力と、今働く聖霊によってなされたのです。
病が癒される恵みを、祈りによって多く体験し続けています。何よりも、1999年11月、東京都北区での左脳内出血で1ヵ月余の入院とリハビリ治療。その後何事もなく牧師生活。2012年7月、今度は堺市で運転中の右脳内出血と大交通事故。馬場記念病院で1か月治療リハビリ入院。退院後事故現場を写そうと、16000歩も歩き、10月に小脳内梗塞で再入院。幸い恵みに守られ、天国から追い消された牧師と言われながら、言語不自由もハッキリ語れるように回復。
昨年4月1日、歩行中車に跳ねられ、8ヶ月と18日で、通院終わり。
今日で昨年12月からの歯の基礎治療完了。もうしばらくの通院。
何よりも、多くの愛の祈りとご支援により守られ、ありがとうございます。日曜日の午前10時は生駒聖書学院教会。午後2時は大阪エリムキリスト教会礼拝説教。聖書学院チャペル背挙言うや講義も継続中です。
イエス・キリストのすばらしい癒しの働きは、今日も続いています。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


主イエスの復活

2017-01-23 19:31:48 | Weblog
使徒の働き4:33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
十字架と復活により、すべては変わりました。そのことをアーメンと信じて、種子島で人生は変わりました。アーメンと信じバプテスマを受け58年。平安で幸せです。聖書のことばをそのままに、アーメンと信じ続けています
ローマ人への手紙1:16-17 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
3:23-24 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
4:24-25 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
8:33-34 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
10:9-11 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
死を打ち破り復活されたイエス・キリストは、永遠に共にいてくださます。わたしは決してあなたを見離すことも、見捨てることもない。世の終わりまであなたとともにいます。その約束は真実です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

問題や困難の時こそ、最大のチャンス

2017-01-23 19:27:54 | Weblog
コリント人への第一の手紙10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

問題や困難の時こそ、最大のチャンスであり決断の時です。
ひとりの青年は、スポーツの試合で背中を痛め、軍隊を目ざしたが、背中の傷が理由で拒絶されました。それでも彼はあきらめず、身体を鍛え抜き、海軍に。魚雷艇に乗り戦争に。敵の艦隊と接触、、船体は引き裂かれ、彼はまた背中を痛めてしまいました。
それでも彼は、激しい痛みの中、自分の体と仲間の身体をロープでつなぎ、ちいさな島まで泳ぎ、仲間の命を助けました。
その島で彼らは一週間、餓えと渇きに苦しみ、耐えました。軍の司令部は、彼らが全員戦死したと思っていましたが、それでも青年はあきらめませんでした。
青年はヤシの実にメッセージを刻み、自分たちの存在を知らせ、それがきっかけで救出されました。
戦争が終わると彼は、戦死した兄の意思を継ぎ政治家を志し、29歳で議員に。だが負傷した背中の傷の悪化と、何度もの手術で、議員活動の障害となりました。
それでも彼はあきらめず、強い決断をし、人間共通の敵である暴力政治、貧困・疾病及び戦争と戦おうと。そして、人類に英和を、また人々に夢を与えるために、人を月面に送り届けることも実行しました。
その強い決断は、第35代アメリカ大統領を誕生させ、この青年こそ決断のリーダー、ジョン・F・ケネディです。
大統領選のときも、若すぎる、経験不足だと批判され、多くのピンチがありましたが、彼は、今もアメリカの伝説的リーダー。すべてはピンチの時の強い決断から生まれました。人生は早いも遅いもない。今、やることを決断しよう。あきらめないで、今、ピンチの時こそ決断の時です。私は私を強くしてくださるイエス・キリストのよって、どんなことでもできるのです。神のなさることはみなそのときにかなって美しい!
今日も心から感謝しつつ、感謝、感謝、ランランと、百尺竿頭進一歩。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。

栄光への道

2017-01-23 19:25:00 | Weblog
コリント人への第一の手紙10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

問題や困難の時こそ、最大のチャンスであり決断の時です。
ひとりの青年は、スポーツの試合で背中を痛め、軍隊を目ざしたが、背中の傷が理由で拒絶されました。それでも彼はあきらめず、身体を鍛え抜き、海軍に。魚雷艇に乗り戦争に。敵の艦隊と接触、、船体は引き裂かれ、彼はまた背中を痛めてしまいました。
それでも彼は、激しい痛みの中、自分の体と仲間の身体をロープでつなぎ、ちいさな島まで泳ぎ、仲間の命を助けました。
その島で彼らは一週間、餓えと渇きに苦しみ、耐えました。軍の司令部は、彼らが全員戦死したと思っていましたが、それでも青年はあきらめませんでした。
青年はヤシの実にメッセージを刻み、自分たちの存在を知らせ、それがきっかけで救出されました。
戦争が終わると彼は、戦死した兄の意思を継ぎ政治家を志し、29歳で議員に。だが負傷した背中の傷の悪化と、何度もの手術で、議員活動の障害となりました。
それでも彼はあきらめず、強い決断をし、人間共通の敵である暴力政治、貧困・疾病及び戦争と戦おうと。そして、人類に英和を、また人々に夢を与えるために、人を月面に送り届けることも実行しました。
その強い決断は、第35代アメリカ大統領を誕生させ、この青年こそ決断のリーダー、ジョン・F・ケネディです。
大統領選のときも、若すぎる、経験不足だと批判され、多くのピンチがありましたが、彼は、今もアメリカの伝説的リーダー。すべてはピンチの時の強い決断から生まれました。人生は早いも遅いもない。今、やることを決断しよう。あきらめないで、今、ピンチの時こそ決断の時です。私は私を強くしてくださるイエス・キリストのよって、どんなことでもできるのです。神のなさることはみなそのときにかなって美しい!
今日も心から感謝しつつ、感謝、感謝、ランランと、百尺竿頭進一歩。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。

倒されても

2017-01-23 07:17:01 | Weblog
聖書の約束
コリント人への第二の手紙 4:8 -9私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません..迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
すばらしい人生にハレルヤ。両手を挙げて感謝です。
米寿は88歳。米という時が八十八と読めるから、寿ことばです。
高齢の方に、もうすぐ米寿ですねと言うと喜んでくれます。あんたはいくつかと聞かれ75歳になりましたと答えると、まだまだ若いとしかられることもあります。
米寿はキリスト教の言葉ですと説明します。米という字の中心に十字架。上に両手を挙げているのは、ハレルヤとアーメンで神様を賛美。両足でありがとう。感謝で大地を踏みしめて生きる。それが米寿ですと、健康と幸せを握手して祈ります。
米寿の「米」という漢字を分解すると、八(ひっくり返して)、十、八となり、末広がりの八が2つ重なることで大変めでたい年。米文化なのでしっかり米を食べて長生きをとの願い。
いずれにしろ長寿者を祝い大事にする良い習慣です。
しかし、人生順風満帆ばかりではなく、七転び八起き、行き詰まりや、人に理解されないような試練続きもあります。
なぜ?なんで?と思うと苦しくもがく日もあります。しかし、苦しめられても窮することなく、途方に暮れても行き詰まらず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びない人生です。
その原因は、イエス・キリストが十字架で死に、3日目の朝に復活し、その死にも支配されない復活のいのちが、アーメンと信じる者とともにあるからです。
朝日が射し込む書斎です。黒雲があっても、太陽の光が照らすと、闇が薄れるよいうに、復活のいのちに支配されながらの1月23日。チャペルメッセージ、午前2時間講義。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。




十字架の日本列島

2017-01-22 18:36:55 | Weblog
イザヤ書42:12 主に栄光を帰し、島々にその栄誉を告げ知らせよ。主は、ご自分の義のために、みおしえを広め、これを輝かすことを望まれた。
日本列島は5つの本島=北海道、本州、九州、沖縄と、6847離島の島国です。400島に人が住み、残りは無人島です。
種子島で生まれ育ち、種子島が好きです。ABCスタジオへ行くと、種子島が来たと言われることもあると、ディレクターに言われたこともあります。種子島の知り合いも、種子島原人と出会ってから、増え続けています。2011年には、種子島の詩人で九州ボランティアラーメン党理事長、濱田龍郎=種子島高校3年後輩と、東関東震災ボランティアで、福島県いわき市で出会い、クリスチャンになってくれました。2013年には熊本県益城町=熊本空港の町に、益城エリムキリスト教会=140坪の敷地に100名収容の教会と3LDK住居をスタートしました。2016年4月14日には、地震で同大が少しずれました。九州災害センターから援助金も受け改修予定。
管理住まいは立ち入り禁止で、新築が必要です。
毎週ライブ礼拝と聖書の学び。現在2名の通信科神学生。一人が生駒聖書学院本科生。
種子島へは、今年も7月最終の日曜日、西之表キリスト教会=池田公栄牧師と、種子島新生キリスト教会=沼田俊昭牧師で、日曜礼拝&夕拝でメッセージ。中学時代の同級生と交歓の時などを予定しています。。
日本列島は十字架のような形をしており、イエス・キリストをアーメンと信じる人が続々起こされることを祈り願っています。Ilove two J’s =Japan & Jesus=日本とイエス・キリストを愛します。
昔、日曜学校に行っていた利、ミッションスクールへ行っていた人に会うと、アーメンと信じて祈ってくれます。初めての出会いでも、挨拶と握手で幸せを祈ると、アーメンと応じてくれます。日本列島が十字架列島になるよう、イエス様を心に迎える祈りの素晴らしい出会いが続きます。
ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛があふれる日本です。感謝してます。



神の従うだけ

2017-01-22 18:20:12 | Weblog
使徒の働き4:19-20 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
神に聞き従う、まっすぐな人生があります。戦争のさ中、天皇陛下とキリストとどちらが偉いか答えよと、愚かな憲兵隊が牧師たちに迫ったそうです。再び憲法改正で、愚かな時代に逆戻りしないように祈ります。
現代日本で最大の平和憲法擁護者は、象徴天皇です。その健康とご家族の平和と守りを祈ります。
イエス・キリストの救を体験し58年。神に聞き従う平安で幸せに歩む日々です。
何事があろうとも、初代教会のように、大胆に福音を語り続けます。あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。アーメン。
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

顔のおおいもなく

2017-01-22 07:10:55 | Weblog
聖書の約束
コリント人への第二の手紙3:16-18 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
何を見ているかで、その人の顔が変わります。赤ちゃんは、生まれるとすぐ、回りの良かった、おめでとうとやさしい笑顔で包まれます。お母さんの腕に抱かれると、その笑顔と喜び、愛がしかり伝わります。
母の愛を見つめる幼子の笑顔。昨日はじめて初孫を抱き、触った初爺のことがメールで届きました。
わだかまりも不安も消え、雪が暖かい太陽の光を受けるように、春の訪れでした。
人が主イエス・キリストに向きを変えるなら、罪のおおいは取り除かれ、神の義が輝きます。そして伸びやかな自由が聖霊によって輝きます。
昨日、大分刑務所を出所した方から電話があり、嬉しそうに保護観察が終わったら訪ねて来るそうです。マンガや小冊子、著書などを贈り続け、母親からの連絡があったりの数年間。しっかりアーメンと信じはしましたが、主にしっかり向かわないままでは、過去の影に悩まされます。悔い改めとは、反省や後悔ではなく、方向転換することです。
顔の覆い=自分で自分を正当kし、自己弁護と言い訳をかなぐり捨てることが、主に向くならすぐできます。
そのとき、顔おおいなく鏡に向かい、神の愛に赦された「神の子の姿が映ります。そして、聖霊により、栄光から栄光へとキリストの姿へと、帰られていく輝きの日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。m

普通の人で世界は変わる

2017-01-21 18:09:03 | Weblog
使徒の働き4:13 彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
2000年前の世界でも、知識階級にとっては、無学な普通の人は、人間扱いされないような階級でした。
パリサイ人や祭司階級=サドカイ人にとっては、ナザレの大工の子イエスや、ガリラヤの漁師たちが、エルサレムで引き起した、十字架に付けられたイエスが、3日目の朝に復活したというニュースほど衝撃を与えました。
自分たちの扇動によって、十字架に付けよと叫んだ群衆が、あれは間違いだった。イエスこそ聖書の約束されたメシアだった。その怒りが自分たちに向けられ、知識階級の身分も地位もなくなるかも知れない恐怖。
ガリラヤの漁師たちの教えを聞いて、何と大勢信じ、男の数だけで5000人にもなりました。
使徒の働きには、そのことが記録されています。
彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、彼らは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、彼らに手をかけて捕えた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。
翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。彼らは使徒たちを真中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。」と尋問しだした。
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行なわれたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
無学の普通の人によって、世界の歴史は変えられ、キリスト教は世界最大の宗教人口を持ち、今日もまた世界中で、アーメン信じますと、バプテスマを受けクリスチャンとなる人々が、増え続けています。日本人が偶像礼拝を捨てて、十字架に死に墓に葬られ、3日目の朝に復活したイエス・キリストを礼拝するようになることを祈り期待します。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



行き止まりなら方向転換

2017-01-21 18:01:52 | Weblog
生駒聖書学院の裏は、山道が多い。今は杖で歩いているので、無茶はしない。以前までは生駒市内のほとんどを歩き、生駒山の中も歩き、しまった!行き止まり。
そんなときは、新しい道を切り開くか、引き返して正しい道へ戻るかです。小川で足を滑らし背中から落ちて、しばらく起き上がれず携帯もずぶぬれで、必死で帰ったことや、大雪の日に脱臼し、救急車で運ばれたこと。山の坂でひっくり返り、トゲがささったことに気づかず、イタイイタイと3ヶ月目に、5センチの竹の先が出てきたことも。
行き止まりから行けないこともないが、いつも引き返します。不思議に道はどこにでもあります。
生活の中にも行き止まりがあり、そんな時は方向転換する、聖書では悔い改めるときです。悔い改めは向きを変えることです。しっかり真の神様に目を向け、イエス・キリストの十字架を見上げて、復活のいのちに生かされ、輝く前進です。
主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。
私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
どんなときにも真の愛ある全能の神は守り助けてくださいます。すばらしい日本に生まれ、生かされていることは幸せです。
ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした。感謝します。