牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

しかし、感謝します

2017-01-21 07:34:58 | Weblog
聖書の約束
コリント人への第二の手紙2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
最近75歳以上を高齢者、65歳~74歳を純高齢者と呼ぶようになったそうだ。
1590万人=人口比12パーセント。100歳以上が6万5692人=うち女性が50,725人。
人生をチャンピオンとして生き続ける秘訣を、聖書はハッキリ教えている。最後の敵である死にに打ち勝ち、天国へ勝利の凱旋をするそのときまでの勝利。
イエス・キリストは十字架に死に、3日目の朝死を打ち破り復活された。そのことをアーメンと信じるだけで救われます。イエス・キリストのことば、信じてバプテスマを受ける者は救われます。の約束の通りです。
あなたがたはこの世では悩みがある。しかし、勇気を出し、勇敢でありなさい。今朝の約束は、しかし、神に感謝します。何事があれ、しかし、感謝しますと信じ告白すれば、自分がキリストによる勝利の行列の中にいることに気づきます。
そして、凱旋行列の勝利者キリストとともにあることに気づきます。強がりでもなく、その愛の手に支えられ、友なる勝利に加えられています。
どこでも、いつでも、どんな時でも、キリストを知る知識の香りを放つ人生です。
後期人生が高貴で香気かおる人生に変えられます。天国に勝利の凱旋帰国するまで、光輝で幸喜
好機の日々を明日の礼拝に備えながらの土曜日。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


寒中お見舞い

2017-01-20 18:13:36 | Weblog
寒中お見舞い申し上げます。
暦の上では大寒。正月の祝い納めの日として、20日正月。人は昔から、太陽や月の巡るリズムを、季節や月日などを知る手がかりにして、生活を営んできました。
聖書の創世記に、「神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた」(1:14-18)とあります。
種子島では、年中緑の季節でした。生駒に来て季節が巡る春夏秋冬を体感。
今日も寒かったが、凍てつく大地と、春の息吹きを感じつつ、今日は3000歩。
この季節いつも、冬来りなば、春遠からじ。雪は降りつつある、春は来りつつある。
暦の上では2月4日が立春、春はすぐです。
快調に、主を待ち望み、わしの翼で元気に舞い上がり、乗り切ります。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝してます。

アーメンで救いを

2017-01-20 18:06:48 | Weblog
使徒の働き 4:12 この方=イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名=イエス・キリストのほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
愛の神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
そのあかしのために、私は宣伝者また牧師に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を教える教師とされました。
キリスト教は世界宗教です。しかし、救いに関しては宗教と言うより、アーメンと言えば救われる、唯一の救いです。
無神論者で何一つ拝まない信じない人間でした。種子島の西之表キリスト教会で、アーメンと信じ洗礼を受けクリスチャンになり58年。恵みのゆえに、信仰によって救われ、自分自身から出たことではなく、神からの賜物=プレゼントです。行ないによるのではありません。だれも誇ることはないもない。神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって、新しく造られたのです。神は、良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださいました。
分け昇るふもとの道は異なれど、同じ高嶺の月を見るかなと言いますが、最後は地獄と言う結果来なるのです。
宗教は、救われるためにあれをしろ、これをしろと要求します。宗教の数だけ救いがあります。それで自己満足の救いで、ほんとうの平安幸せもなく。まだまだ足りないと思い、さらに求め乍ら終局は死です。聖書の救いは、イエス・キリストが十字架上に死に、すべての罪を呪いを死を引き受けてくれました。墓に葬られ3日目の朝、死を打ち破り復活し、アーメンと信じバプテスマを受けるだけです。
主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も数われるのです。
イエス・キリストを信じ、義の道を健やかに祝福され、豊かに永遠のいのちを与えられ神の子とされ、平安で幸せです。宗教に救いがないことを、宗教家が一番よく知っています。救いの道は唯一、イエス・キリストの御名にあります。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

愛の光線

2017-01-20 05:40:21 | Weblog
聖書の約束
祈りは愛
愛の光線=マザーテレサ
主よ。お助けください。
私がどこにいても、あなたの香りを漂わせますように。
あなたの愛といのちで、私の心を満たしてください。
私のいのちが、あなたのいのちの輝きになりますように。
主よ。あなたご自身が、私の存在を完全にしてください。
私と接する人々が私の中に、あなたの存在を感じ取れますように。
主よ。私の中に留まってください。
私も常に、あなたの栄光をこの身に反映させ、兄弟姉妹の光となることができますように。

届いた手紙の中に同封されていたカードにあり、今日もまた愛の光線を放ち、道行く人を天国へと祈る朝です。
主の祈り
 天にまします 我らの父よ
 願わくば 御名(みな)をあがめさせたまえ
 御国(みくに)を来たらせたまえ
 御心(みこころ)の天になるごとく 地にもなさせたまえ
 我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
 我らに罪を犯す者を 我らが赦(ゆる)すごとく
 我らの罪をも 赦したまえ
 我らを試みに会わせず 悪より救いいだしたまえ
 国と力と栄とは 限りなく 汝のものなればなり
 アーメン

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

金銀はないが

2017-01-19 19:08:08 | Weblog
使徒の働き3:1-10 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」
何と確信にあふれたことばでしょう。牧師として、金銀は私にはないことは事実。助けを求められても金銭的な助けをすることはない。しかし、私にあるものを上げようと言うことはできる。
何があるのか。インマヌエルの主。イエス・キリストを持っている。その奥義は、私の内におられる、主イエス・キリストです。そのイエス・キリストの御名によって祈り宣言するだけです。
ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も何時までも変わらない、永遠に生きておられる主です。
使徒10:38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
イエス・キリストの名によって歩けるようになり、奇跡の歩み始めた人々が多くいます。長い牧師人生で、キリストの名によって自立し、さらに自律して生きる多くの奇跡を見続ける日々です。
まさか、自分に同じことばを宣言し、歩けるように命ずるとは思いもしませんでした。1999年11月、東京で左脳内出血、2012年7月堺市で運転中に右脳内出血と交通事故。おまけに昨年4月1日歩行中、車に跳ねられ顎と頬を20針縫う。右足股打撲で、昨日8ヶ月と18日で整形外科医雪が終わり、日にち薬ですが最後の言葉。すべてが恵みの奇跡です。
聖書通りのことが、自分の身にも起こる恵みで、生かされている幸いです。イエス・キリストの十字架と復活は歴史的事実です。その力は今日も同じです。神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒3:16)
恵みと愛に生かされ、強くされ続ける人生。天国への道を歩き続ける平安と幸い。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。


交通事故の治療終わる

2017-01-19 07:29:29 | Weblog
聖書の約束
4月1日に生駒駅まで歩いていて、信号のない交差点で乗用車に跳ねらた。右足股の打撲と、左顎と頬を20針も縫う大事故。幸い骨折はなく、すぐ救急車で運ばれ、8ヶ月と18日で一応治療終了。
腫れが減らず何ヶ月かは、巻き尺で測り2ミリ減とカルテに記入。整形外科医は笑って、日にち薬。鬱血もまだ引かないまま。左足がきれいなので、同じようになるまでは、日にち薬と微笑む。
毎日、1万歩を歩けるから良しとしよう。2012年7月に運転中脳内出血での交通事故から、運転を止めて交通事故に縁はないと思ったが、歩行中に跳ねられてしまった。
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
テサロニケ人への第一の手紙5:3
何事があれ、すべてのことにありがとうと感謝しながらの、1年8ヶ月余りの通院。
医者や看護師、受付や会計、待合室などでも、出会う方々にマンガや、天国から追い返された牧師を手渡しできた。ひとりだけ拒否されたが、ほかの方は笑顔で受け取ってくれた。
それがどうしたと言われても、キリスト教に接する唯一の機会かも知れない。診察を完了し外へでると、下校の中学生二人。幸を祈り、信じる祈りもしてくれた。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。


平和の国を愛する

2017-01-18 18:46:33 | Weblog
美しい国、平和憲法のある日本を愛する
イザヤ書40:29-31 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、壮年の者もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
今朝の礼拝メッセージで口ぐせを変えようと語る準備をして熟眠。真夜中に、日本のことを美しいことばで感謝せよと、声が響いたような気がした。目覚めとともに、平和憲法のある日本、6852島(本土5島+離島6847島)を象徴する富士山。四季折々の美しい自然に囲まれてすばらしい。種子島は最高。全国津々浦々、生駒市も俵口町も生駒聖書学院も美しい所だ。天皇陛下は、最高の平和憲法を守る人。首相や内閣全閣僚、国会、全国知事、市町村長、各議員、自由に意見を言える各政党すべてが、平和憲法を守る国。日本はステキ、すばらしいFBフレンドもいっぱい。榮義之も日本人。ありがとう感謝しますと、幸せな喜びの朝です。
35歳の時、忙しいと言うな。忙=心+亡で言えば言うほど心が亡びる。今日から口にするなとチャレンジされ、その時から忙しいと言わず、思いを換えて、充実していますと続けて40年。書斎の入り口には、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼を張って舞い上がる=天国まで。聖書の約束を書いてあり、洗面所にもレリーフ。それ以上に、アーメンと信じる心にも、口にもあり、走っても疲れず、歩いても息切れせず、毎日元気で、今日は万歩計10678歩。
すばらしく美しい日本へと思い、口ぐせを変え、日本の未来を変えます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

泣いてミルクを欲しがる赤ん坊のように

2017-01-18 18:39:15 | Weblog
使徒の働き2:38-42 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
教会はペンテコステの日に誕生し、福音を聞いて救われ、その日にバプテスマを3000人が受け産声を上げました。
教えを堅く守り=赤ちゃんが生まれると、母乳やミルクが必要なように、イエス・キリストをアーメンと信じると聖書のことばが必要です。泣いてミルクを欲しがる赤ん坊のように、みことばの乳を求めなさい(ペテロの手紙2:2)
交わりをし=赤ちゃんが家族やまわりの人々の愛で囲まれるように。ヨハネの福音書13:34-35 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
そのお互の愛で、世界中にほんとうの愛=アガぺの愛を満たし、世界の愛の理念を高尚に引き上げてきました。互いに愛し合う場が、キリスト教会です。神は愛です、神を愛するように自分を愛し、隣人への愛の最高の現れは、イエス・キリストの救いを提供することです。
礼拝後にお茶や食事をすること、家庭集会でより親しい茶話会など。現代は様々なケースがあります。
祈りをしていた=イザヤ書56:7 わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
キリスト教会は祈りの家です。生駒聖書学院教会も、毎週火曜日から金曜日まで、神学生たちといっしょに祈っています。大阪市内や東大阪市からも駆けつけ祈りを7時まで共にし、聖書朗読やメッセージもあります、
アーメンと信じれば救われます。生まれた赤ちゃんがミルクを欲しがるように聖書を読み。呼吸するようにイエス。キリストのお名前によってアーメンと祈ります。体を動かすように礼拝に参加し、声を上げるように、イエス様に救われた喜びを証し、愛の交わりの中で、受けるよりも与える方が幸いですと、ゴールデンルール=黄金律を実行します。
キリスト教会は、使徒の働き2:46-47 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。恵みと愛との救いが、波紋のように広がり続けています。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

春は来たりつつ

2017-01-18 09:45:42 | Weblog

試練の冬があります。雪も降り、霜や寒さも強くなる。けれどもふと野辺を見ると、か弱いすみれや、ときにはたんぽぽが一輪咲いている。この時期、内村鑑三の詩、春は来たりつつあるを吟じながら散策する。


雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある


春は来たりつつある
春は来たりつつある

雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある



ローマ人への手紙8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

試練の冬があります。雪も降り、霜や寒さも強くなる。けれどもふと野辺を見ると、か弱いすみれや、ときにはたんぽぽが一輪咲いている。この時期、内村鑑三の詩、春は来たりつつあるを吟じながら散策する

ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。

阪神・淡路大震災22年

2017-01-17 19:37:33 | Weblog
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から22年を迎えた1月17です。
震災の朝、下からズンと突き上げるような感じに飛び起き、生駒山に上ると神戸が燃えています。ニュースで地震と知り、神戸の神学生の家も壊れ、電話も通じずでした。。
大災害がどんな形であれ益になるように、山の上で祈った日でした。生駒聖書学院は、関東大震災があったので、存在しています。創立者は横浜で宣教活動でしたが、大震災ですべてを失い、家族で大阪に逃れた結果、奈良県生駒市に現在の生駒聖書学院が完成し、87年の歴史を歩んでおります。
102年前の桜島大噴火の火砕流で村が消失し、その避難先に選ばれたのが、生まれ故郷の種子島原生林でした。切り開かれた鴻之峰で生まれ育ちました。桜島の大噴火がなければ、私は存在しなかったことも大きな恵みです。桜島には縁はないが、その大噴火の結果開墾された村で生まれ育ち、桜島を眺めるたびに思う歴史の重みです。昨年4月14日は益城エリムキリスト教会の益城町を震源地に熊本大地震。教会も住居もまだ修復できず、そのままです。様々な出来事が益になると、軽々しくは言えませんが、どんなことが起ころうとも、すべてが益になることが確信です。すでに大きな祝福が注がれ、阪神地区や熊本だけでなく全日本にリバイバルを祈る日々です。
今日は阿波座の岡田歯科行き。電車は石切駅でストップ。踏切で人身事故発生とのアナウンス。生駒へも帰れず、歯科医の予約時間に遅れそう。思い切って下り坂を4000歩。地下鉄新石切駅まで、杖なしでゆっくり歩き、10時20分から右前歯を12時まで手術。麻酔を打ったので、昼食抜きで帰宅。22日は左前歯の手術。3月までには歯が全部修正治療され、しっかり説教もできるようになる。万歩計は10668歩。今夜も早くから熟睡の夜です。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ書5:3-5)
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。