牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

顔のおおいもなく

2017-01-22 07:10:55 | Weblog
聖書の約束
コリント人への第二の手紙3:16-18 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
何を見ているかで、その人の顔が変わります。赤ちゃんは、生まれるとすぐ、回りの良かった、おめでとうとやさしい笑顔で包まれます。お母さんの腕に抱かれると、その笑顔と喜び、愛がしかり伝わります。
母の愛を見つめる幼子の笑顔。昨日はじめて初孫を抱き、触った初爺のことがメールで届きました。
わだかまりも不安も消え、雪が暖かい太陽の光を受けるように、春の訪れでした。
人が主イエス・キリストに向きを変えるなら、罪のおおいは取り除かれ、神の義が輝きます。そして伸びやかな自由が聖霊によって輝きます。
昨日、大分刑務所を出所した方から電話があり、嬉しそうに保護観察が終わったら訪ねて来るそうです。マンガや小冊子、著書などを贈り続け、母親からの連絡があったりの数年間。しっかりアーメンと信じはしましたが、主にしっかり向かわないままでは、過去の影に悩まされます。悔い改めとは、反省や後悔ではなく、方向転換することです。
顔の覆い=自分で自分を正当kし、自己弁護と言い訳をかなぐり捨てることが、主に向くならすぐできます。
そのとき、顔おおいなく鏡に向かい、神の愛に赦された「神の子の姿が映ります。そして、聖霊により、栄光から栄光へとキリストの姿へと、帰られていく輝きの日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。m

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