牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

シャローム

2017-01-25 18:47:53 | Weblog
イスラエルではシャローム。中近東ではサラーム。お互いに挨拶のことばに平和を持ちながら、殺戮し合う人間同士。平和を求めながら、人間って悲しい存在です。
臆病者の青年ギデオンに、安心しなさい。恐れるな。あなたは死なないとの神の声。 そこで、ギデオンはそこに主のために祭壇を築いて、これをアドナイ・シャロムと呼びました。
アドナイ・シャロム=主の平和は、すべての恐れから解放します。聖書には、恐れるなに類することばが、365回あるそうです。恐れがドアをノックした。信仰がドアを開いた。そこには恐れはいなかった。ということわざもあります。
臆病で弱虫の、いつもビクビクしていたギデオンに、恐れるな。あなたは死なない。全能の神が守りの壁となって、何があろうともアドナイ・イルエ=主の平和が四六時中ある、すばらしい約束です。
本質的な恐れは、第一に生活の不安、何を食べ飲み、何を着どこに住まうか、衣食住の元である経済を恐れます。
二番には、人間関係の恐れです。家庭で学校でお互い人間同士、国同士で憎しみ妬み、その果ては戦争という人殺しまでやってしまいます。愛し合い許し合うことができれば、人間関係が平安満たされます。
三番目は7死の恐れです。人間である限り100%確実なことは死ぬことです。世界第二位の長寿国で、女性は世界一長寿です。しかし、人は死にます。死んだらどうなる、どこへ行くかが、すべての本質的な恐れの原因です。死ぬ問題が解決し、行き先が分かれば大丈夫、平安で幸せです。イエス・キリストの十字架と復活は、死の問題を解決し、アーメンと言えば天国行きの保証です。死を恐れず、死を越えて永遠の天国を知ると大丈夫です。余命一年を宣告された妻と4年間を過ごし、天国が絵空事でなく、理想でもなく現実であることを、その臨終でも平安に満たされ、安らかに静かに召されて行く姿からも、体験できました。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

祈りとみことばに生きる

2017-01-25 18:42:04 | Weblog
使徒の働き6:1-4 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
ペンテコステの日以来、3000人+5000人。さらに毎日救われて仲間の加わり、祭司階級からも続々数われ、ものすごい祝福です。
しかし、人の集まるところには、その数だけの問題が生じます。イエス・キリストや信仰の問題ではなく、人間性の問題です。イエス・キリストは、わたしに躓かない者は幸いです。と言われました。人間となった神にさえ躓く人は躓きます。神を愛し、自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさいを、実行して来たキリスト教会です。
しかし、いつも間にか優先事項が分からなくなり、ヒューマニズム的援助や助けが優先され、隣人第一,神様は最後と言わないまでも、神の義と神の義を第一にせず、自我の満足第一になる傾向もあります。
初代教会は、私たちはもっぱら祈りとみことばの奉仕を優先する賢明な判断をしました。そして、そのke決断の結果、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちが選ばれ、福祉と援助は幅広く拡大し、彼らはイエス・キリストの救いもハッキリ語り続けました。
祈りは目に目えない尊く価値ある奉仕です。みことばの奉仕は、書斎に閉じこもり学問的研究にのめりこむのではなく、みことばの奉仕=福音を伝え、福音により神の国を拡大することです。
ありがとうございます。今日もまた祈りとみことばの天国の一日です。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

日々に幸い

2017-01-25 05:25:12 | Weblog
聖書の約束
イザヤ書63:9 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
苦しむときには、いつも主も苦しみ。イエス様の救いの素晴らしさは、いつでもどんなときでも、復活されたいのちで、いつも、ともにおられます。
イエス様の素晴らしさは、聖書の約束取りです。
マタイの福音書11:28-29 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
ヘブル人への手紙2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
すばらしい聖書の約束に、アーメンと守られ幸です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。