牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

意味がない

2017-01-27 18:33:38 | Weblog
イザヤ書44:8 恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。
幼いころからの疑問?。なぜ偶像=神社や寺、何でも拝むのかと思い、高校生の時クリスチャンになりました。見えない神こそ真実、神は愛で唯一、それ以外はみんな人間が自分で作り上げた宗教。敬虔で信仰深い日本人が、人間=人殺しや犯罪人を神に祭り上げたり、自然や動植物=大きな木や岩、はては蛇やキツネを拝むのか。初詣に80%もの人が正月にいそいそと繰り出すのか。識字率100%の理性ある国なのに、占いや訳の分からない物に頼るのか。偉大な物、不思議なものを恐れ、同時に敬う気持ちは大切とは思います。その気持ちを天地宇宙の創造者、唯一の真の全知全能遍在永遠不変、聖であり完全で公平の神の父なる神に向けるだけ。その独り子、イエス・キリストを十字架に釘付け、アーメンと言うだけで救いを与え、神の子としてくださり、永遠のいのちを与え天国へ迎えてくださる。復活したイエス・キリストは、アーメンと信じる者の心に宿り、世の終わりまで共にいてくださり、平安と幸せの日々を歩ませてくださる。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。

イザヤ書44:9-20 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。
鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。
彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。
その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。
彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか。』とさえ言わない。

最悪が最善に

2017-01-27 18:12:09 | Weblog

使徒の働き7:59-60 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
殉教者の血は教会の種である。
十字架の上で、父よ彼らの罪をお赦しください。イエス・キリストの祈りが、奥の罪を贖い、赦しの愛が波紋の様に広がり続けています。キリスト教初の殉教者がステパノです。
ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
ステパノと議論しても、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
ついには、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
長い論戦の末、殺してしまえの声が多くなり、
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
その石で打たれると刑罰を受けステパノは潤今日の死を遂げました。その責任者であったサウロの耳に聞こえてきたのは、主よ。この罪を彼らに負わせないでください。
その祈りの結果、サウロは改心し、キリスト教最大の使徒となり、新約聖書にその手紙が13通あり、教えの中心はパウロの手紙にあります。
ステパノの殉教なしに、パウロの救いはなかったと言っても過言ではありません。
最もつらいようなことがなぜ起こるのか、説明できませんし、する必要もないのです。
ありえぬことのみ、ある浮世に、ひとり変わらぬは、ただイエスのみ。
主は捨てたまわず、主に行く身を。主は捨てたまわず、主を慕う身を。アーメン。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。










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十字架の上で、父よ彼らの罪をお赦しください。イエス・キリストの祈りが、奥の罪を贖い、赦しの愛が波紋の様に広がり続けています。キリスト教は初の殉教者がステパノです。
ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
ステパノと議論しても、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
ついには、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
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その石で打たれると刑罰を受けステパノは潤今日の死を遂げました。その責任者であったサウロの耳に聞こえてきたのは、主よ。この罪を彼らに負わせないでください。
その祈りの結果、サウロは改心し、キリスト教最大の使徒となり、新約聖書にその手紙が13通あり、教えの中心はパウロの手紙にあります。
ステパノの殉教なしに、パウロの救いはなかったと言っても過言ではありません。
最もつらいような子おtがなぜ起こるのか、説明できませんし、する必要もないのです。
ありえぬことのみ、ある浮世に、ひとり変わらぬは、ただイエスのみ。
主は捨てたまわず、主に行く身を。主は捨てたまわず、主を慕う身を。アーメン。
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