牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ただ信じるだけで

2017-01-31 18:47:48 | Weblog
使徒の働き8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
サマリヤの町で大リバイバルが起こり、ピリポがイエス・キリストを宣べ伝え、行っていたしるし=汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったから=を見、神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受け、それでその町に大きな喜びが起こりました。
その働きのさ中に、聖霊がガザ=荒れ果てた荒野へ行くよう導かれました。神のなさることはみなその時にかなって美しいが、人間的には考えられない現実もあります。
だれもいないと思ったガザへ下る道を、エチオピア女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理しているエチオピア人宦官が、馬車でエチオピアへ帰る途中でした。しかも、馬車の中でイザヤ書の巻物を声を出して読んでいたのです。
ピリポは、読んでいることが分かりますかと言うと、宦官は、導く人がなければ、どうして分かりましょう。
ピリポを馬車へ乗せました。
彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
聖書はイエス・キリストについて書かれた神のことばです。ヨハネの福音書5:39―40 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
結果、道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
そこでピリポは言った。もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。すると彼は答えて言った。私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。(8:36-37
そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
初代教会時代、エチオピアはキリスト強国となり、福音宣教に偉大な貢献を果たします。聖地旅行でそのバプテスマの水のある所を感動と共に訪れました。
人生には思いがけないようなことが起こります。迫害だけでなく、成功の絶頂の時でも、原因が分からないようなこと起こります。
個人的には、左右脳内出血、小脳内梗塞、2年8ヶ月前には、49年間苦楽を共にした妻が召されました。
しかし、何事が起ころうと福音が前進する幸いです。昨日も家庭集会で初めて出会った婦人が素直にアーメンと信じてくれました。家族の幸せを祈りました。
ピリピ人への手紙1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



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