牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

東京では水道水、乳幼児は控えて

2011-03-24 10:10:52 | Weblog
水道水が乳幼児接種を控えるようニュースで聞きました。水が守られるよう祈りつつの朝です。



 東京都が23区と武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の5市で乳児の水道水摂取を控えるよう求めていることを受けて、東京都水道局は23日、550ミリリットル入りペットボトルの水24万本を乳児がいる家庭に提供するとウェブサイトで発表した。

 

 提供先は23区と武蔵野、三鷹、町田、多摩、稲城の5市で、乳児のいる家庭1人当たり3本を提供する。 24日午前中に搬送を開始する。

 

 東京都水道局は23日、葛飾区の金町浄水場から乳児が摂取できる基準を超える放射性ヨウ素が検出されたとして同浄水場の水を利用する東京23区、武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の5市の全域で乳児の摂取を控えるよう求めると発表した。



黙示録22:17 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

いのちの水=エリムキリスト教会

2011-03-24 08:12:44 | Weblog
 聖書には水についての記述がたくさんあります。

 エリムキリスト教会ですが、聖書の記述から取られた名称です。

 出エジプトの大脱出、紅海が割けて海の中のできた道を通って救い出され、喜びの叫びの中を勝利の前進をしたイスラエル民族でした。モーセの姉ミリアムは90歳でしたが、タンバリンを打ちたたき若い娘のたちの先頭に立って歌い踊りました。
 
 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。

 それから3日後、彼らは水が苦くて飲めない状態に直面しました。

出エジプト記15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。

 人生の縮図のような聖書の個所です。罪の世から救い出されたクリスチャンも、アーメンの信じて救われ、救いの喜びにあふれます。

 ところが信仰生活を歩み始めると、イスラエルが荒野を歩いて水が見つからず、やっと見つけた水は苦くて飲むこともできません。

 つぶやき、不平不満、泣きごと、悪口、文句を口にしてしまいます。そこには解決はありません。解決の道を示さないで問題を指摘するだけでは、単なる評論家のことばで混乱をもたらすだけです。

 大地震、大洪水、放射能漏れに支配されている現状で、テレビでも新聞、週刊誌でも国の政策や電力会社に対する批判が、そろそろ声高に言われ始めてています。

 モーセは不思議な方法で苦い水を飲める水に変え、渇きがいやされたように、いま日本は真の神の前に跪き、いままでの高慢を悔い改め、イエス・キリストの十字架と復活の力を得、平安と愛の中でいの入りつつ前進するよう祈っています。

出エジプト記15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 その苦い水の地マラから少し進んだ所にエリムがありました。すばらしい祝福の場所でした。
出エジプト記15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。

 ほんのちょっとの辛抱です。不平不満やつぶやき、泣き言や文句、悪口を言わずに、すべてのことに感謝しつつ進むとき、どのような苦さも十字架のもとに変えられ、エリムに着くことができるのです。

 そこには12のオアシスがあり、憩いの木陰を作るナツメヤシの木70本もある大きなオアシスでした。

 汲めども尽きないオアシス、それがクリスチャン人生の秘訣です。日曜日ごとに礼拝に集う時、天国への工程を進むクリスチャンにとって、そこがエリム、日々のデボーションでの聖書のことばと聖霊に満たされた祈り、そこがエリムと同じような慰めの場なのです。

 そのような天国への行程を進むクリスチャンにとって、エリムキリスト教会でありたいと願いながら、決してく乾かないいのちの水を体験なさってください。

ヨハネの福音書

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 
7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

今日の午後歯、都ホテル喫茶室での集会です。月に一回第三木曜日ですが、先週は沖縄へ出かけたので、三月は今日になりました。午後3時~5時までです。