牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

赦しのあるところに神の愛がある

2011-03-27 06:38:44 | Weblog
神の愛は赦しの愛です。愛のあるところに赦しがあり、許すところに愛があります。そのような許しの愛があれば、家族の中に平安と幸せがあふれます。

 友人関係もお互いに許し合うとき長続きします。恋人同士も同じです。隣近所も国内問題や国際社会、地球全体が許しの愛で包まれるよう祈りつつの朝です。

 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4:32)

 神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、つまりイエス・キリストが十字架にいのちをささげ、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているか分からないからです」と祈られました。

 その愛の祈りの中に全人類は包まれているのです。神のご性質は赦して忘れる愛です。その具体的な現れが十字架なのです。

 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ書43:25)
 
 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。(ヘブル人への手紙8:12)

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(ヨハネの第一の手紙 1:9)

それは完全な赦しの愛です。

 わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。(ヘブル人への手紙10:17)

 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。(ミカ書7:19)

 また赦しは恨みを抱かない愛です。

 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(ペコロサイ人への手紙3:13)

 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(テロの第一の手紙4:8)

 赦さないことが祈りの妨げにもなります。

 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
 〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」(マルコの福音書11:2226)

赦さないことは自らを罪に定めることです。

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。

 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。

 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。
 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。

 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。

 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。

 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」(マタイの福音書18:21-35)