暑さ寒さも彼岸までと言われるが、春分の日(21日)に伝道50周年祝賀会が、京都のエキシブ八瀬で行われました。招待状をいただき、12時開会の会場に雨の中をやっとたどり着きました。
エキシブ会員カードも所有し、内外ともに大活躍中で、生駒聖書学院卒業生でもっとも大きく成功?した牧師の一人です。
開会に先立って司会者は、巨大地震のさ中で祝い会(前からの予定)をどうしようかと牧師が夜も寝ないで病んだことなどを紹介し、被災地や放射能汚染から避難している方々、救援活動に従事する人々のことを祈って開会にしますと宣言しました。
参加者全員が両手を上げて、東日本巨大地震、大津波、福島原発放射能漏れなどからの守りと、日本全国の救いに熱い祈りを捧げました。
最初の祝辞に立った方は、こういう時期だからこそ自己憐憫や被害者意識に撞着することなく、祝賀会を盛大に行うことにより経済効果も上がるし、日本人よ立ち上がれ!とメッセージ。
アメリカからの来賓は、アメリカで50周年を祝う牧師は三分の一もいないことを語り、ユーモアたっぷりに祝賀会の主役牧師を称賛し大喝采でした。
孫たちゴスペルコーラスが、この日のために最長の孫娘(20歳)が作詞作曲した詩篇23篇を11名で賛美し、鳴りやまぬ大拍手でした。
多くの来賓の祝辞に次ぐ祝辞、またスペシャル賛美が歌われ、会場はエキシブの和食ごちそうで盛り上がり続け、12時開始3時30分終宴が4時になり、会う予定の方との約束の時間キリキリで最後の記念撮影は遠慮し、大急ぎで生駒まで走りました。
種子島から生駒聖書学院に来た時から、ほんとによく世話をしてくれ伝道の情熱を吹き込んでくれた先輩で、大げさにいえば恩人でもあります。
信仰は同じでも人生哲学は正反対に違うという思いがありました。いつのころからか疎遠になり、心からの祝辞をと思いましたが、その機会もなくごちそうをいただくだけの祝賀会参加でした。
主の働きに情熱をかけ、全日本だけでなく全世界的に有名になり。これからもなお活躍を続ける牧師夫妻に心からの拍手を送り、ご健康と豊かな祝福を祈りつつ雨も上がったエキシブ八瀬を後にしました。
夕方生駒に帰り、仙台市へトラック一台ともう一台の車で救
援物資を運ぶ(警察の通行許可がやっと出ました)卒業生が訪ねてきました。石鹸やタオル、水シャンップー、薬、紙おむつ、少しでも役立てばと自著もいっしょに積み込んでもらいました。
寄せられた義援金を3教会を慰問するので、それぞれに分けて持って行ってもらい、その中の2教会は半壊以上と聞き、土曜日には仙台から帰るので詳しい情報を待つことにしました。
詩篇
41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。
41:2 主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。
41:3 主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。
41:4 私は言った。「主よ、あわれんでください。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」
41:5 私の敵は、私の悪口を言います。「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」
41:6 たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、その心のうちでは、悪意をたくわえ、外に出ては、それを言いふらす。
41:7 私を憎む者はみな、私について共にささやき、私に対して、悪をたくらむ。
41:8 「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい。」
41:9 私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。
41:10 しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください。私を立ち上がらせてください。そうすれば私は、彼らに仕返しができます。
41:11 このことによって、あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。
41:12 誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。