牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

余録;キュクロペス上の原発

2011-03-14 06:54:48 | Weblog
新聞もテレビもインターネットも、東日本巨大地震を報じています。

 昨朝、大震災写真いっぱいの毎日新聞でしたが、余録に、キュクロペスの上原発とありました。以下転載です。
 
 「キュクロペス」とはギリシャ神話に登場する一眼の粗暴な巨人である。日本人の暮らしは、横たわってまどろむこの巨人の上で営まれていると評したのは、先日の小欄でも紹介したフランスの詩人で駐日大使もつとめたP・クローデルだ

 「東京着任以来、われわれは絶えず大地の身震いや足元の轟音(ごうおん)、ひっきりなしに起こる大火の歓迎を受けた」という彼はついに関東大震災に遭遇する。

 キュクロペスの身じろぎがその上の暮らしにどのような惨禍をもたらすか、重々分かっていたはずの日本人である。

 だというのにどうしたことだろう。どんなキュクロペスの気まぐれにも「安全」だけは保つはずの原子力発電所で、何よりも防がねばならない「炉心溶融」を発表せねばならない事態である。その建屋は爆発で吹き飛び、近くからは高い放射線量が一時検出された。

 東日本大震災の津波は、太平洋岸各地で前日はあった街を廃材が散らばる一面の泥田のように変えた。暮らしていた人はどこに行ったのかと胸を締めつける惨状だ。その救援も進まぬうちに新たな悪夢が人々を震撼(しんかん)させた。

 地震と津波に見舞われた福島第1原発と第2原発の深刻な異常事態である。誰もがチェルノブイリの惨禍を思い起こすのは仕方ない。政府は第1原発の半径20キロ、第2原発の同10キロ圏の住民の避難指示を出した。その最悪の夢が現実になるのだけは防がねばならない。

 人の予測をいつも裏切ってきたキュクロペスを甘く見ての原発災害の危機ならば、先祖代々の地震列島の住人として天を仰がざるをえない。今は惨害の封じ込めに持てる力のすべてを注ぐしかない。

 噴火口の上で遊んでいるような日本の現状を、今回の巨大地震が全国民を目覚めさせてくれるきっかけとなるように祈っています。節電を呼び掛けられ、昨夜からできるだけコンセントを抜きました。

 エリムキリスト教会でも自ら進んで義捐金を用意して礼拝に来てくれた教会員もありました。
 神学生が行きつけの美容室に行ったら、美容師からクリスチャンはこんな時、被災地のために熱心に祈っているんですね、と声をかけられました。

 マグニチュード9の東日本巨大地震を、日本人の叡智と技術等すべてを総動員し、与野党を越えた一致協力で、誰かが漁夫の利を得るのでもなく、乗り越えることを心から願い祈る朝です。

コリント人への第二の手紙

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。