牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

80歳の牧師を訪ね、光輝高齢者です!と聞く

2011-03-10 08:43:55 | Weblog
 今年度で生駒聖書学院教授を退いてくださった教授を自宅にお訪ねしました。

 数年年前久しぶりにお会いしたとき引退しましたと挨拶され、生駒聖書学院で今までの経験(40年牧会や聖書学院院長経験、超教派理事長や各界リーダー、さらに良い夫婦生活)など、神学生たちに牧師の心得とお願いすると、快く引き受け子年度まで8年間、早朝よし遠方あら駆けつけてくださいました。

 今年で80歳、まだまだお元気ですが、少しゆっくりしたとのことばでした。奥さまとのお二人暮らし、窓の外には桜並木と緑の木々がいっぱいの広い公園。

 奥さまがきれいな字で書かれた紙を取り出し、これどう思います?と聞かれました。

 光輝高齢者とあり、文字通り光り輝く笑顔で楽しいお交わりの時でした。後期高齢者という言葉定着してしまった感があり、嫌だと思っても年を重ねると老人になる定めはさけられません。

 100歳以上が四万人を超える日本です。
 
 最後の講義の時、アンチエンジンぐスペシャル、明日から始める!ボケない、寝たきりにならない「生活改善12カ条」を差し上げました。

 奥さまはその12カ条をきれいな字で書きだし、読んだ日から実行しておられました。特に、
朝食にネバネバ(納豆、オクラ、ながイモ)をとあるのは長年実行しておられるとのこと。

 普通の豆よりも小粒の方が良いし、黒豆の納豆もあるとしばらく納豆談議に花が咲きました。

 年齢を重ねるとますます光り輝く牧師夫妻の姿に感動し、光輝高齢ということばがお似合いですねとお別れしました。

 曽野綾子著「老いの才覚」(ベスト新書)と三浦朱門「老年の品格」(海竜社)夫妻の本を思い出し、もう一度読んでみようと思いながらでした。

 曽野綾子さんは、「今の年寄りは30年前、40年前に比べると、生物学的に15歳くらい若いのだそうです。平均寿命が延びているだけではなく、身体的にもまだ若い。壮年期がとても長く、60歳あたりが、ちょうど折り返し地点だと思うんですね。実は、人生はまだ半分ある「第二の人生」の始まりなのです。と書いありました。

 年を重ねると年齢を重ねるだけでなく、光輝になりさらに高貴で幸喜にあふれ、好奇心に満ちて好機をつかみ、香気あふれる天国にもっとも近く生きていたいものです。

詩篇

92:10 しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。

92:11 私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。

92:12 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

92:13 彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

92:15 こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。