指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『夕焼け小やけの赤とんぼ』

2020年03月01日 | 映画
2008年に国連アフリカ開発会議に関連して、高校生ミュージカル『やし酒飲み』をやった事がある。
この時、オーディションに来た高校生に「赤とんぼ」を歌ってもらったが、多くの子が、この「名曲」を知らなかったのには驚いた。
もう、教科書には載っていないのだろうか。

                 

1961年の島耕二監督の作品『夕焼け小やけの赤とんぼ』は、渚まゆみの主演作で、彼女は三多摩あたりの女子高生で、地元の不良と付き合っていて、万引きなどをしている。彼女の義父は千田是也、実母は三宅邦子。
不良連中のなかに、一人黒人の混血少年の昇がいて、「くろんぼ」と苛められているが、渚は彼を可愛がっている。
昇の母親は、目黒幸子で、朝鮮戦争で黒人兵の夫を失い、内職で生きている。
三多摩と言うのも、立川、横田などの基地があったことを踏まえているのだろう。

ある時、昇は、盲学校の教室に入ると、片山明彦の山田先生の指導の下、盲の学生が歌を歌っている。
片山明彦は、言うまでもなく島監督の息子で、高倉健と同じ2014年11月に亡くなられている。
片山の熱心な指導の下で、ある日盲目のバイオリニスト和波孝禮が来て、バイオリンを弾くと学生は大変に感動する。
それを見た渚は、音楽会を開いてあげたいと奔走し、日本で一番偉い音楽家の山田耕筰のところに頼みに行くが、秘書の中條静夫に
「先生は忙しいのだ」と軽くあしらわれてしまう。
ところが、狭山湖だと思うが、その土手下の広い広場で、青少年オーケストラが演奏し、さらに消防庁音楽隊、米軍に軍楽隊、さらに自衛隊音楽隊が次々と現れて演奏する。
その中心には、山田耕筰がいて、車椅子姿だが、指揮している。山田は、戦後脳梗塞で倒れていて、映画『ここに泉あり』では、まだ杖を突いて歩いているが、ここではさらに症状が進んだのか、完全に車椅子になっている。
そして最後は『夕焼け小焼けの赤とんぼ』の大合唱になる。
それと土手を歩く渚と少年のカットが交互に描かれるので、「あれっ」と思う。
最後、渚は言う、「山田先生が言うように、いつかできる」と。
要は、この大オーケストラも演奏は、夢であり、現実ではないことが分かる。

だが、この野外でコンサート、フェスティバルをするのは、この後の1969年にはウッドストック・フェスティバルになる。
さらに日本でも、パシフィコ横浜のオープニングイベントして、1991年に私が企画したのが「ウォーマッド横浜91」である。
そして、今のフジ・ロック・フェスティバルになっているわけだ。
渚まゆみが考えたことは、随分と進んでいたことになる。
ただ、それらは山田先生が指揮するようなクラシックではなく、ロック、ポピュラー音楽であるのはどうしたことだろうか。
この映画でも、初めの方で、ジャズの音楽教室が出てきて、石川進の指導の下に渡辺トモ子が歌っているが、会費だけ取るインチキ教室だとされている。
阿佐ヶ谷ラピュタ



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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-03-03 11:08:17
ウッドストックは1969年じゃね?
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ご指摘のとおりでした (さすらい日乗)
2020-03-04 22:21:41
ウッドストックは、1969年ですが、その前からニューポートなど野外の音楽フェスティバルがあり、その集結点としてウッドストックがあったのです。
ある日、突然ウッドストックが生まれたわけではないのです。
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