指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『ポルノの帝王 久保新二の愛と涙の大爆笑』 久保新二 石動三六・小川晋(ポット出版)

2015年01月25日 | 映画
1970年代に、日活ロマンポルノを見に行くと、必ず1本は、久保新二出演作品を見せられたものだ。
ロマンポルノの他、外部からの買上作品の3本立となったからである。
首都圏では関係ないが、地方ではやはり2本よりは、3本の方が営業力があったからだろう。

その代表が「未亡人下宿シリーズ」で、実は日活ではなく、1969年のピンク映画、東京興映製作、新東宝興行配給の『貸間あり 未亡人下宿』が最初だったとのこと。勿論、監督は山本晋也。題名でわかるとおり、川島雄三の『貸間あり』に触発されたものだと思うが、見たことはなく、今はフィルムもないとのこと。
その5年後の1974年12月に『セミドキュメント・未亡人下宿』が日活で公開され、ナンセンス・コメディとして大ヒットする。
そして、10年間にわたって16本が作られる。
その中で、久保は、国土館大学(こくどかんだいがく)生として、学生服姿を延々と演じる。
当時は、すでに40代だったはずだが、これは日活では小沢昭一の学生姿としてファンには慣れっこのことだったので、違和感は全くなかった。
未亡人を一番多く演じたのは、劇団三十人会出身の女優の橘雪子さんで、この人は本当に芝居が上手かった。

それにしても、当時久保新二と一緒に出ていた、港雄一、野上正義、堺勝朗らがみんな死んでいると言うのにはあらためて驚く。
久保新二は、山本晋也の監督、脚本家としての力量を認めつつも、その生き方、ピンクは腰掛で日本映画界のメジャーに行こうと言う志向性については、批判的であるようだ。
それはその通りだと思う。


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2 コメント

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Unknown (ss)
2015-01-27 02:34:24
>当時は、すでに40代だったはずだが、

30代ですね。

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/155718/1
意外にも同い年でした (さすらい日乗)
2015-01-27 08:06:42
1948年生まれなので、全く同い年でした。
日活での1作目は、彼は26歳でした。

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