指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『風と共に去りぬ』メイキング

2020年03月03日 | 映画
テレビも、コロナウイルス報道ばかりで面白くないので、『風と共に去りぬ』メイキングを見る。
だいぶ前にNHKBSで放送されたもので、『風と共に去りぬ』のメイキングにもいろいろあり、ABCテレビの『アワー・ワールド』の1939年で放映されたのも持っているが、これは長時間版である。



まず、原作者のミッチェルが興味深い女性である。彼女は、非常に活発な女性で、地元アトランタの新聞記者で、一度結婚したが、夫の飲酒癖で離婚し、結婚式の介添人と再婚したとのこと。
まるで、スカーレットとレット、メラニーとの関係そっくりではないか。
ゼルズニックが原作の映画化権を得て、はじめたのはシナリオ作りと主演女優探しの大キャンペーンだった。
シナリオは、シドニー・ハワードに任せるが、初校は5時間も越えるものになる。
女優探しは、全国で展開され、またハリウッドでも多数の女優のカメラテストが行われる。
中には、ルシル・ボールやスーザン・ヘイワードなど、「違うんじゃないの」と思う女優もいる。
チャップリンの恋人だったポーレッド・ゴダードが有力だったが、ゼルズニックの友人からの紹介で、ビビアン・リーもテストを受ける。
最初の撮影のアトランタの炎上シーンを見学に来ていたビビアンをセルズニックが見て、
「あの女は誰だ!」といってビビアンが発見されたと言うのは、もちろん、宣伝のための話である。
ビビアンは、夫と子どもを捨てて、恋人ローレンス・オリヴィエに走っていたところだった。
このように、ビビアン・リーは極めて意思の強い女性であり、相当に精神的に異常なところのある女性だった。
作品の中で、スカーレットは、メラニーは自分を愛していると誤解しているのが前半のドラマだが、これは明らかに恋愛妄想であり、ビビアンにぴったㇼだった。
後にビビアンは、オリビエと別れたのち、かのウォーレン・ビーティとも恋仲になり、捨てられてしまう。
また、映画『欲望という名の電車』のブランチの名演技も、彼女自身の精神性と合うところがあったからだと言える。

彼女は、まさに適役だったが、レットのクラーク・ゲーブル、メラニーのレスリー・ハワード、さらに女中などの黒人俳優はみな知的な人で、映画の中の役を嫌っていたと言うのは興味深い。
また、原作にある黒人への蔑視や差別的表現は相当に削除されているのは、さすがだろう。
アメリカの白人だけではなく、世界中に公開するハリウッド映画の特性である。
監督は、ジョージ・キューカーからビクター・フレミング、さらにサム・ウッドと代わり、脚本も多数の作家の助力を得るが、ベン・ヘクトの参加が面白い。
ヘクトは、膨大な原作をどう縮小させるのかに困り果て、監督のフレミングとゼルズニックが主役の二人を演じて見せたとのこと。

そして、この映画にはかなりの特殊撮影が使用されている。
映画『キングコング』の成功で、セルズニックは、特撮の効果を信じていて、多くの場面に使っている。
撮影は、テクニカラーで、これは撮影の際に三原色分解し、それをモノクロ・フィルムに定着させる。
それを現像の時に合成するもので、モノクロで保存しておけば、退色することがない方法である。
だが、三食分解して3本のフイルムに撮影するので、カメラは大きくなり、ここでも小型車くらいの大きさである。
日本でもコニカが開発し、日活の『緑はるかに』で使用したが、あまりに大きいのですぐに使われなく、国立映画アーカイブの7階に展示されている。当時、スタッフは「おみこしカメラ」と呼び、男4人で運んだとのこと。
そのテクニカラー・カメラを、アトランタの炎上シーン撮影では7台使ったと言うのだから、アメリカ映画は凄い。
125日の撮影後、編集と音楽を付けて1939年12月に公開される。
日本では、輸入されたが一般には公開されなかったが、元日活等の美術の木村丈男さんの回想では、秘密に多摩川撮影所で幹部の試写があり、「凄なあ」と思ったそうだ。
また、小津安二郎や徳川無声らは、シンガポールでこれを見て、
「大変な国と戦争を始めてしまったなあ」と思ったのは有名だろう。
日本では1952年に公開され、その後も何度も再上映されている。
たしかに凄い映画であることは間違いない。
これを見て、あらためてアメリカが凄いと思うのは、主演女優候補のカメラ・テストはじめ多くの準備段階のフィルムが残されいることで、大ヒット映画『愛染かつら』の完全版もない日本との差である。







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