月曜日の昼過ぎに阿佐ヶ谷ラピュタに行くと、なんと満席。
今や人気のない左翼独立プロの監督家城巳代治の1960年の東映での地味な映画なので、見に来る人などいないと思っていた。
だが、月曜日は国立映画アーカイブが休みで、しかもアーカイブ提供作品は、1イベントに付き3回しか上映できないので、この日に集中したのだ。
絶対に見ようと、昨日は10時前に横浜を出てラピュタで切符を取り、近くで昼食をとる。
見た結果で言えば、そこまでして見るべき作品だったかと言えば、多少の疑問はある。今井正が、やはり東映で作った『あれが港の灯だ』のようなものだろうか。
冒頭、江原真二郎が公衆電話で、何かを断られ、決意して銀行から出てきた女子職員が手に持っていた包みを奪って逃走し、長屋の路地を逃げて塀を乗り越えて広場に降りて、子どもを遊ばせていた女性・佐久間良子と目が合ったところまでが一つの場面。
そこから、なぜ江原が強盗をするまでに追い詰められたかを辿る。
東京の下町の貧困家庭の長男の江原、母は山田五十鈴で、父親はいず、たぶん戦死したのだろう。彼の下に妹と幼い弟がいて、一家は江原の稼ぎに頼っている。
彼が働くのはメッキ工場で、つげ義春が若いころいたような最劣悪な工場で、部品等をメッキ液に漬けて製品を作っている、工場主は殿山泰司。
江原は、ある日に、友達の大村文武に会い、妻が病気で入院費用に困っているといると言われ、集金に廻っていて集めた金の中から、6,000円を渡してしまう。彼は本当に人が良いのである。
給料の前借りで穴埋めしようとしていたが、工場は工員に貸すどころの状態ではなく、殿山に断られ、仕方なく友人で別の工場のトラック運転手の南広に借金を頼むが、これもダメで、結局江原は、強盗をすることにしたのだ。
奪った金28万円の中から補充して集金の使込みは、糊塗しておくが、殿山には集金に手を付けたことを、その会社に行かれて
「とっくに渡したよ」と言われ、首になってしまう。
荷役作業をしている中、ある日町で江原は、佐久間に会ってしまい、「自分はあの強盗犯だ・・・」と告白する。
実は、佐久間はよく憶えていなかったのだが、正直な江原に感動し、彼の行動に付き沿うようになる。
彼女は近所の豆腐屋の娘で、父は須藤健、母は利根はる枝とこれまた独立プロ映画のお馴染み。
江原は、自首する前に、被害者の女子職員に謝罪したいと言い、彼女の自宅の玄関に金を置くがほんの少しの差ですれ違いになり、前の家から出てくる小母さんが戸田春子には笑った。彼女も、東宝争議馘首組の一人で、独立プロ作品の常連なのだ。
途中、酒場で大村文武に会うと、なんと妻は元気で、病気云々は嘘であることが分かり、江原は愕然として酒で荒れる。
憂さ晴らしに入った劇場では、平尾昌晃とオールスターワゴンが演奏しているのは、貴重な映像だった。
その他、江東の町がふんだんに出て来て、都電の他、元城東線も出てくる。この時代は、まだ木造の長屋が多数あったのだなと改めて思う。
最後、江原は、佐久間に付き添われ、被害女性の会社に行き、本人に会い謝罪するが、彼女は意味が分からず大騒ぎになり、駆け付けたパトカーに連行されてエンドマーク。
これは何を言いたいのだろうか。原作は早乙女勝元なので、工員(労働者)は工員(労働者)同士の仲間意識、連帯が第一というのだろうか。
音楽は池野成で、ほとんどギター1本のみ。市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』シリーズ(特に『開戦前夜』)のように、いつもは重厚な響きの池野作品としては珍しい。