指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

陸上も海も同じだった 『小倉昌男 祈りと経営』

2018年06月15日 | その他

森健の『小倉昌男 祈りと経営』を読んだ。ヤマト運輸の社長小倉昌男の経営と家族についてで、非常によく書かれている。

彼の家族がいろいろと問題があり、そこは他の本には書かれていないそうで、よく調べてあり、ノンフィクション大賞になったのもよくわかる。

              

だが、私が一番感じたのは、小倉のヤマト運輸が、1960年代以降に陸上運送事業について行った国(運輸省)との争いのことである。

それは、私が横浜市港湾局に行って感じたものと同じだった。

今は、どうなっていつか知らないが、かつて日本の公共岸壁は、すべて特定の港湾運送事業者に運輸省から事業免許が与えられていた。

それは極めて厳密なもので、横浜市港湾局が所有する公共ふ頭で、横浜市が利用する時でも自由にはできないのである。

私が、この仕組みを知ったのは、中国の上海港との友好交流事業で、「中国工芸・美術作品展」という上海港の関係者の美術・工芸品を横浜三越で展示した時だった。中国の言わば素人の美術・工芸品の展示など意味があるのかと私は思った。

だが、実際は逆で「中国の普通の人の作品が見られるのは珍しい」とのことで大変に好評だった。

物は、中国から運ばれてきて山下ふ頭に上げ、市営の上屋の事務所の倉庫に入れ、その後会場に持っていく手筈だった。

ある日、物が来たというので、上屋の事務所の倉庫に担当者と行った。すると、上組の係長が来て、

「あんたら何をやっているんだ!」と言う。

「ここは市営上屋の事務所の倉庫なので、今度港湾局の事業で使うものを一時置いたのです」と担当が言うと、

「誰の許可を得て、ここに入れたんだ!」と怒鳴られた。

平身低頭し、事情を説明して事なきを得たが、たとえ市営上屋の事務所の倉庫であろうが、運送事業の許可を得た上組の許しを得なければ、誰であってもしてはならないのである。

この時の担当職員は、山下ふ頭にいたこともあるので、問題は十分に分かっていると任せた私が認識不足だった。

事情を理解すると上組はよくやってくれ、会場への往復作業もすべて無料でやってくれた。

要は、話が分かれば気持ちよくやってくれるのである。

こうした仕組みは、野口悠紀雄先生がいう「1940年体制」の一つであり、戦争のための「国家総動員体制」の一つとして、港湾輸送事業法を改正し、「ワン・バース、ワン・事業者」に整理し統制したのであり、それが戦後もずっと続いていたのだ。

新たな事業者が新規に参入するために、「国から事業免許を得るためにはどうしたら良いかと言えば、輸送実績が必要」と言うのだから笑えるではないか。

本来、免許がなければ事業はできないのだから、輸送実績云々は無意味なのである。

この本によれば、佐川急便は、密かに無免許で事業を行って実績を作り、それを根拠に国に免許申請をしたそうだが、さもありなんと思う。そうでもしなければ新規の免許は取れないのである。

ヤマト運輸は、そうではなく国との小倉の堂々たる論争、さらに免許を持っている事業者から免許で買うという方法で、拡大したのだそうだ。

まったく国は、1940年代から変わっていなかったのだなとあらためて思った。