狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

村の芸術家

2007-08-13 16:20:04 | 日録
 わが村に(すぐ近所)お住まいの、朋友T.Y.兄の作品である。(下写真)
 今年(第59回)毎日書道展に出展したこの作品は、佳作入選であるが、去年は優秀作賞入選を果たした。

 本業は理髪業で、毎週火曜日が定休日(月、火曜日と連休の時も多い)だが、少し離れた山の中(林や森を当方では“やま”と呼ぶ)に、自作の工房があって、同好者の指導に当たったり、月に何度かは東京の所属書道会に出席するなど、非常に忙しい方である。

 展示した会場は、上野東京美術館と、やや日をおいて六本木国立新美術館の2か所だった。

 左上画像は、村に農業研修生として来日していた、中国青年の書である。
T.Y兄の理髪店は、店先に、くるくる回る理髪業の「サインポール3色ねじりん棒」だけはあるが、「村の床屋さん」といった方が相応しい小さな店である。

 店内には、兄の作品やら、郷土署名人の書画を収めた額縁がところ構わず飾ってあり、筆や硯等も無造作に置いてあった。
 訪れた中国青年が、これを見てその筆をとって、すらすらと書を認め、筆も硯も道具が立派だなあと褒めていったそうだ。時折、遊びに来て、この他にも何点かの書があるという。


T.Y兄の作品は、「書」には違えないが、刻字の部類に属する。しかも刻字の台木は、農家の藁屋根に使った(おしぼく)の煤竹(すすだけ)であった。この竹を磨くと、素晴らしい艶となる。

 昔は(戦後も)家の中に竈があって、日常の炊事を母屋の中でした。やがて経済が豊かになり、60年有余の歳月を費やして、次第に現在の様な衣・食・住に変化してきた訳だが、兄がこの刻字(篆刻というべきか)を始めたころは、丁度農家が、続々と住まいを建て替える時期でもあった。兄自ら煤で真っ黒になりながら煤竹を蒐集した。
 当時は、100年以上経った藁屋根の農家が、ふんだんにあり、解体作業もほとんど手作業だっのである。
 兄は、町で生涯学習の一環とし毎年行われる、刻字講座の講師も委嘱されている村の芸術家である。
 本業の方も、決して疎かにはしていないということを付け加えて置きたい。