狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

これは贅沢か?

2007-08-19 21:12:18 | 怒ブログ

序章
東条さんの(東条大将というべきか東条首相という書くべきか迷ったが…)写真を見ていると、複雑な思いになる。先日のページに載せた写真の東条さんの晴れ姿は、大東亜戦争1周年記念号の写真週報表紙である。
先ず複雑な感情は抜きにして、この勲章重かっぺ(重量の話)と思うんだよなァ。
今こんな格好で、かりにタクシーを拾おうとしても、敬遠されるでしょうね。
ボクも、幼少年時代は軍人になろうと思ったこともあったんだけど、憬れたのは少尉か中尉どまりで、兵隊の先頭に立って軍刀を振りかざし、「進め!進め!」と号令をかけることだった。大将になってこの東条さんみたいに胸、腹一杯、勲章をつけたいなどとはいっぺんも思ったこと無かったね。
蛇足だけど(畏れ多いが)明治天皇、昭和天皇の御真影もやっぱりこのように勲章一杯のお姿だった。大正天皇の勲章をお付になった御姿は、単行本などで見て知ってはいるが、御真影として拝見した記憶はない。
1.蕎麦の話。 

東條さんの時代から、65年前になるのかなぁ。昭和17年12月2日号の写真週報だから。ガダルカナル撤退決定の頃で、まだそれほど国内はひどくなかった。ボク等は飲食店への出入りは禁止されていたので、よく分からないけれど、そば屋もまだあったのではないか知らん。
またもりそばが贅沢品であったかどうかはますます分らなくなるけれど、今はいちば
ん贅沢品だとボクは考える。

猛暑が一服した18日(土)、妻とT市のある有名そば店へ昼食に駆け込んだ。有名店だったので時間をずらしたんだけど、駐車場はほぼいっぱいだった。
 贅沢を云いばキリがないが、有名店でもハズレある。今日はそのハズレ籤をひいてしまった。そばは作る方も食べる方も、時間が勝負である。
 注文票を持って行ったら、カメラの準備間に合わないほど早く到着した。これが曲者だった。妻は、ミニ天ぷらを付けたので、そばが食べきれない。約半分をボクのせいろに乗せた。
 つゆも、それほど自慢できるようなものではないと思のに、みじめな程量が少ない。ガッカリした。
 ※参考 茨城のそば処では、誰もが一番先に推すのはF市のM・H亭であろう。
下はそこの「そば切り」である。
新そば読本 宮下裕史コロナ・ブックス。

 2.酒の話
  昨日妻と入った有名そば店のカウンターには、カット写真の様に酒や焼酎の壜が並べてあった。
そば店を紹介するムックには、解説のお終いの大概次のような店の内容が付記される。前記、コロナ・ブックスもそうであった。

   店名・住所・電話番号・営業時間
 もりそば         ××円
 天もり           ××円
  ○○           ××円
  ↓             ↓
 酒             ××大吟醸
 座席            ××
 創業            ○○○○年
 粉   産地名  玄そばから自家製粉
 手打ち
 つなぎ     割合
 だし      本節・その他

このように冒頭に酒の銘柄が書いてある処が多い。
ということは、そばに 日本酒・粉・だしは三位一体の関係にあるのかも知れない。
今は生ビールの季節であるけれど、果たしてそば屋にビール置いてあったっけ乎。


結び
日本酒とそばは切り離せない関係にあるとすると、どちらから先に手をつけるべきか?が問題となる。
ボクは迷わずお酒→もりそば、と答えるが、それはトーシローだとさるお方から、一瞥された。
戦争中は衣・食・住どれをとっても不自由と、恐怖の生活に明け暮れた。
いま、このくらいの贅沢は、「しょうがない」ことだと、自分に言い聞かせている。