狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

続原爆忌

2007-08-09 21:33:37 | 怒ブログ

そして8月6日午前8時15分、Bー29「エノラ・ゲイ号」が広島に原爆を投下、大本営は翌7日「1、昨8月6日広島市はB29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり2、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり」と発表、8日付朝日新聞は、「落下傘つき空中で破裂ー人道を無視する残虐な新爆弾」、翌9日付同紙は、「敵の非人道、断固報復ー新型爆弾に対策を確立」と報じたが、一瞬にして死者は実に24万人(推定)に達した。
 
8月8日にはソ連が対日宣戦布告(モロトフ外務人民委員が8月9日以降ソ連が日本と戦争状態に入る旨の宣戦布告文を8日夜佐藤大使に通達)、この報に日本が接した9日午前、最高戦争指導会議構成員会議が開かれ、ポツダム宣言受諾のための条件について、「皇室の安泰」とか、「本土占領の制限」などといった議論が行われているさ中の11時2分、今度は長崎に原爆が投下された。
 
西部軍管正司令部は、「1、8月9日午前11時頃敵大型2機は長崎市に侵入し新型爆弾らしき物を使用せり 2、詳細目下調査中なるも被害は比較的僅少なる見込み」と発表、これを10日付西日本新聞が報道(朝日新聞の報道は12日付であり、しかも小さい見出しであった)したのみであった。だが長崎の死者は12万人を超えた。
 
長崎原爆投下報道の代わりに、10日付朝日新聞は、「東西から国境を侵犯ー満州国内へ攻撃開始。我方、自衛の邀撃戦展開」とソ連の対日宣戦布告を大見出しで報道した。同日情報局総裁下村宏は「戦局は最悪の状態」との談話を発表、陸軍大臣阿南惟幾は、全軍将兵に「死中活あるを信ず」と訓示し、「・・・・全軍将兵宜しく1人も残さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の精神を再現して醜敵撃拭に邁進すべし」との激を飛ばすのみであった。(敗戦前夜の松山:(たむたむ(多夢・太夢)のページ(田村のホームページ)


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の扉のお言葉に甘え、長文を無断引用させていただきました。tani山人九拝