狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

アサヒ読本

2006-05-21 22:28:53 | 日録
昭和16年(1941)3月1日、国民学校が交付せられ、70年の歴史を持つ小学校名は廃されて、国民学校の呼び名が誕生した。4月1日よりその初等科1・2年生用教科書が使用されることになり、第5期国定教科書の時代に入る。
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(この項5月22日追記)昭和45年ごろ本屋の店頭に並べてあった復刻「小学国語読本」巻1と巻6の2冊を見つけて買ったのを今なお所持している。
年代はその奥付から判断した数値である。一冊180円であった。そのとき全巻本屋に予約しておいたが、そのまま立ち消えになってしまって、いまこの2冊が手元に残っているだけである。
 貸した本は戻らないのは常識で、貸すときはそれを承知で貸すのだが、巻1はとうとうそのままになって紛失してしまうのが諦めきれず、2回ほど催促してやっと返してもらった。

 表紙に醤油をこぼした跡が大きく付いてしまっていた。あの不快さが今なお忘れられない。

 その後平成になってから古書店で保存用布装帙(ちつ)入り全巻12冊を購入した。「文部省 小学国語読本 (国定第四期・昭和期・通称サクラ読本)全12巻)」(秋元書房)である。
 
 この秩内奥付には前記2冊と同じ昭和45年4月10日印刷、同年4月15日発行と一致した日付であるが、前者は良質の用紙を使い、巻末の奥付に復刻出版社名秋元書房が印刷されてあるのに対し、後者は表紙、奥付、活字、さし絵、本文用紙、表紙の用紙、製本様式まで、当時のままの復元である。

 これは破格値段であった。しかし帰宅して中身を調べてみたら巻9が2冊入っていて巻10が欠本である。偶然ボク自身が小学生時分に使った、表紙のとれてしまっている本物の巻10を持っていたので、一応は全巻揃っていることになった。

 過日反戦老年委員会ブログに、
>昭和18年発行国定国語教科書「初等科国語・八」に、「修行者と羅刹」という、いろは歌の由来を書いたものがある。筋書きを簡単に紹介すると…。 とあるのを見て、ボクは直ちにその内容を察知できた。
 当時の教科書の挿絵まで覚えていた。しかし巻八と言うのがどうも解せなかった。

 そのブログの書き手である、ましまさんのプロフェイル欄を拝見し、よく考えてみたら、氏よりボクの方がわずかばかり歳嵩が大きかったのである。その僅かな差の年月の間に、日本も教科書も大きく変遷することになったのだった。

 昭和16年「国民学校令」により初等教育も臨戦態勢下におかれた。これと戦後との国定教科書を併せて、国定5期「アサヒ読本」(昭和16~20年)・国定6期『暫定本』「いいこ読本」(~24年)として国定4期までとは区別されている。

「国民学校令」では教科は国民科(国語・修身・国史・地理)、理数科(算数・理科)、体錬科(体育・教練)、芸能科(音楽・図画・工作・習字)となり、それらは全体で皇国民としての基礎的錬成という目標達成をめざした構造的なものであった。

 僅かの差でボクは「サイタ読本」ましまさんは「アサヒ読本」だったようだ。アサヒ読本はボクは全くその内容を知らない。
 
 国民学校ではヨミカタ1,2、よみかた3,4、初等科国語1~8となり、巻八は6年生後期のもので、ボクらが読んだ「修行者と羅刹」は尋常科用国語巻読本巻12だった。
ましまさんは、
  アカイ
  アカイ
  アサヒ 
   アサヒ

 ボクらは
  サイタ サイタ
   サクラ ガ サイタ
から出発したのだと思う。
 
 終戦後、修身・国史・地理は授業停止となり、その教科書は回収・焼却された。国語読本も不適当として期された部分を墨で塗りつぶすことになった。これが所謂「墨塗り教科書」である。