狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

乾杯のたび思うこと

2005-12-22 07:59:05 | 怒ブログ
 
久しぶりに「酒」の記事を書いた。
抑々、この「ブログ」を始めた時、タイトル名を考えたのは、故前田俊彦翁の「瓢鰻亭通信」からヒント得て、迷わずにLiberty-note bookの迷邦訳を考案して命名したもので、「どぶろく」に因んで「怒ブログ」なるカテゴリーを設けたのが始まりであった。

 その後「老年反戦委員会」(参照)の(ましま)さんから、大いに啓発されるところがあり、「反戦基地」の部門まで設けたのだが、元々、無学の元零細運送店主の老生に確たる反戦理論などは展開できなかった。

 反戦の意思や行動も、頑強なほどの堅固さに変更はないが、「酒」の文字が出てくると、勇躍乾杯を惹起せざるを得ないのである。

 過般の解散総選挙の当選祝いで、その乾杯風景や、万歳の場面はテレビで何度も見せつけられたが、酒樽の鏡を抜く行事には一度も出合わせなかった。どうも、イカサマではないらしい。然し、酒も飲まずに「万歳三唱」が出来るものであろうか。

イラク自衛隊派遣延長が決まり、再びその雄途に就く部隊も多数おられるはずである。ご苦労様なことだ。歓呼の声に送られた昔の軍隊とは、雲泥の差があるであろう。戦場にブッシュのアメリカと、日本(?)の国益を、生死を賭けて出発しようというのである。

その前途の無事を祈念するする壮行会は、どこかで必ずやっているに違いない。然しこの乾杯音頭の公開写真などは一度も見聞出来ない。報道も尠ない。同列に扱っては甚だ失礼だが、選挙の当選祝いにしろ、壮行会にせよ乾杯は必ず付き物である筈だ。

小生も、同好の仲間たちの集会があるときなど、最高年齢者を理由に、乾杯の発声を依頼される場合が、稀にある。乾杯の発生の場合、前置きがないと何となく格好がつかない。

然し小生はこれらの弁舌に対し、強烈なアレルギーの持ち主である。だから、指名される可能性が予知できた場合、予めメモを用意して持っていく。
今の乾杯は、決まって「ビール」や「ウーロン茶」で済ませることが多いので、そのメモを読上げてから乾杯の発生をすることにしている。

メモの内容は、次の狩野卓也氏(酒文化研究所)の新聞コラムを参考にして、書いたものである。

  <乾杯に想うこと  祈念の時は日本酒で>
<自衛隊のイラク派遣も国会で決定し、いよいよ陸上部隊の先発隊が旅立っていった。その壮行会の様子をテレビで中継していたが、ひとつ気になったことがある。このときにどのような乾杯がされていたかということである。

 古来、再び会えるかどうかわからぬ旅に赴くときには水盃がかわされてきた。だから今回のように壮行の意図が強ければ酒盃で別れを惜しむべきであろう。しかしながら昨今は飲酒運転の取り調べも大変厳しくなっている。自衛隊のイラク派遣の関係者がその帰途に酒気帯び運転で捕まってはしゃれになるまい。

 北海道では日常的な移動手段に自家用車を利用している者も多いはずだ。そう考えると特に深い考えはなくても酒やビールは口にせず、ソフトドリンク(ノンアルコールという意味では水である)で乾杯した人も多いのではなかろうか。あるいは今回の派遣の困難な状況をおもんばかり、あえて水を選んだ人もいたかもしれない。

 場面は変わって私が参加したとある賀詞交換会でのこと。乾杯は当然のようにビールである。別にビールがいけないというわけではない。しかし、大抵の場合には乾杯の発声をされる方の挨拶は長い。この間にグラスを充たしていたビールの泡はほとんど消えてしまい、後に残るのは気の抜けたビールである。

 それに挨拶の最後は「ご来席のみなさまのますますのご発展と健康を祈念して乾杯!」と結ばれることが多い。祈念するということは何かに祈っているわけだ。

格別信仰心は強くない小生だが、こういう場合にはなんとなくカミ様というものをイメージしている人が多いのではないだろうか。もしカミ様に祈るのであればやはりささげる酒は冷やの日本酒が作法にかなっているのではなかろうか。>

 筆者は「酒文化研究所」代表取役 狩野卓也氏で、某新聞コラム「羅針盤」(参照(2004年02月17日)からの引用だが、拙ブログへの引用掲載については「快諾」を頂いた。感謝したい。