狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

メチャラクチャラ博士の迷講義

2005-12-29 15:25:06 | 博物館

   滑稽大學メチャラクチャラ博士について
            (75歳以上の方優先:18歳未満の方要解説者)

 同じ町内に住む、ブロ名平 落人氏が
<いんごう【いんごう】 について辞書で調べたら結果は次の…etc   「因業」 「印形」 「印章」 「はんこ」 「印鑑」 「みとめ」等々。 言葉・名称の意味が記載されているものばかりで期待はずれ!

 僕が知りたい(語源)を調べるにはどうしたらいいのかな…?知ってる方は コメントorトラバ よろしくね!!

 僕の知識では「はんこ」の歴史で呼び名が、当初は「印形」に始まり時代が変わるとともに名称も、順にかわって今に至っているらしいが調べた記憶がないので自信はないんだ。 又、その語源は、「印形」は文字がすべて反対に彫ってあり、捺印して正常な文字になるために、(わからずやで何でも反対する、じじい)のことを例えて(いんごじじい或いは、いんごおやじ)と言うとか…? 語源は「いんぎょう」が「いんごう」となり更に訛って「いんご」になったと以前、博学老人に教えられた。 これで正しいのか、完璧な解答が知りたい。> 
とブログhttp://blog.goo.ne.jp/hekkonet_gg96/
に書き込んできた。そしてその研究結果をTBで送ることを約した。
次がその研究成果である。

 大言海(語源に詳しいとされる辭典)大槻文彦著・冨山房 によれば、

いんごう(名)因業 ①因ト業ト。(因縁ノ條ヲ見ヨ。劉禹錫・碑廣禅師「佛以大慈救諸苦廣起因業故劫濁而益專」 ②頑ナニシテ。苛キコト。心ネヂケテ、情ノナキコト。(悪業ニ因リテ然リトスル意)苛酷「いんごふナ翁(オヤジ)。とあります。

これが正確な語源でしょう。 「いんぎょう」が「いんごう」となり更になまって「いんご」になったとする博学老人は、恐らく
「滑稽大學」(少年倶楽部・大日本雄弁会講談社発行)学長メチャラクチャラ博士の講義から出た学説だと思います。

太宰治「人間失格」に次のようなことが書かれています。
<自分は毎月、新刊の少年雜誌を十冊以上も、とっていて、またその他にも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染(なじみ)で、また、怪談、講談、落語、江戸小咄(こばなし)などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽(ひょうきん)な事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。」 

(註)ナンジャモンジャ博士(略称ナ博士)は少女倶楽部担当教授である。

<少年倶楽部のこの学長「メ博士」(メチャラクチャラ博士の略称)は、実在人物「千葉耕堂氏(故人)」であり、大正十五年の4月号に、「滑稽大學創立10周年記念祭」というにぎやかな催しが展開された。この催しの呼び物として、少年倶楽部から滑稽大學学長メチャラクチャラ博士に銅像が贈られ、その写真口絵が巻頭を飾っている。
 銅像は、当時彫塑会の若き俊英杉本宗一氏(後に日展審査員)によって製作され、日本美術院審査藤井浩祐先生によって完成したものである。その口絵写真の説明文に曰く、
 このたび滑稽大學創立10周年記念祭を挙げるにあたり、創立以来十年一日の如く縦横無尽の頓知奇知を揮って読者に「笑いの学問」を授けられる我が親愛なるメチャ博士の偉大なる功労を表彰せんが為に、茲に銅像を建てて博士とその知恵袋の英姿を永久に祈念せんとす。冀くは博士の禿頭いよいよ輝きを加えて、少年の心を絶えず明るき笑いの中に照らし給え。弥栄 弥栄。 

 次はその講義内容の1こまである。
(問)メ博士、一大難問を呈す。ある人が東京駅で十銭白銅を出して、「北京まで下さい」といった。さあメ博士ならどこ行きを差し上げるか、そんなにふるえていると、上から刀が落ちてくるよ。(東京 土井正雄 特賞1円図書券贈呈)
 これははたして子どもの投書だろうか。当時少年倶楽部は家中の人にも読まれていたので、大人にも子供にも人気のあった滑稽大學につりこまれて、「どれどれ」と、こっそり投書した親父さんもいたようだ。

(答)ヘン、一寸考えたナ。北京まで下さいといったら信濃町(支那の町)行の切符をやればよいのじゃ。特賞に慢心してなまけてはいかんぞ。「少年倶楽部時代 編集長の回想 加藤謙一 講談社」より。