狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

十二月八日

2005-12-04 16:58:19 | 反戦基地
            
今年も、間もなく12月8日がやってくる。某毎日新聞取扱店のカレンダーには、
《旧11.7 とら 大安(木曜日)》としか書いてない。
曹洞宗家庭暦には、乙酉平年
       ◇
皇紀2665年
佛紀2571年
西紀2005年
12月8日はひのえ・とら三碧 成道会・納めの薬師・針供養・事納め・三りんぼうとある。

社団法人某研究所の標語カレンダーの12(之は12月という意味ではない)は、

「病は生きている証し」なる格言があって、《病気は肉体が生きようと病原菌と闘っている生命活動といえる。ああ、頑張っているな、ありがとうと、まずは受け止めよう。感謝が生まれれば肉体にもおのずと力が宿る》。とあった。

 今日は日曜日だし、外は雨催いで寒い。何することもできないので、2000年からの古い日記をひっくり返し、12月8日の記述を開いてみた。無論パソコン保存のみで小生のプライバシーに関する記事は出来るだけ避けた。

2000年(平成12年12月8日)
 朝飯の時、妻がラジオの「今日の出来事」の番組で日米開戦の日なるを聴き、
「ああっ、そうだったゎ!」と口走った。おれも今の今まで、開戦の日だったことに気が付かなかった。勿論今朝の新聞にそれらしい記事なし。

米軍が戦争末期にB29からばら撒いた「落下傘ニュース」の復刻版の小さな記事ありしのみ。(落下傘ニュース)

僕も、戦時中、この「落下傘ニュース」や、「マリアナ情報」は度々見た。日本兵が両手を後頭部に当て続々投降する人の列や、フンドシ1本姿の裸の1人の日本兵を正面から撮った大きな写真もあった。醜かった。
横山隆一の「フクちゃん」の4コマ漫画も掲載され、「軍閥」という語彙が矢鱈に出てきたが、「軍閥」とは何を指すのかよく分からなかったのを覚えている。天皇の記事は1回も見たことが無い。
その他の大東亜戦争関連記事全くなし。(略)

洗面所の鏡に写った己の口元に飯粒が付いていた。それが老醜というものだろうけれど、それを、綺麗に、或いは醜いさまを、季語を入れて五、七、五に表現するのが「俳句」であろう。

昨日、西風強く吹き荒れ、某県立高女子生徒、スカートが短くて(他の高校に比べ特に短し)寒むかっぺと思ったら、スカートの下に鳶が佩くズボン風のジャージみたいなものを付けて歩いていく1団があったのが目についた。(何かの運動部の生徒らしかった)
これも俳句に詠むには無理か。

2001年(平成13年12月8日)                    
大東亜戦争開戦日。これに関する報道殆んどなし。(大東亜戦争)

テレビ朝日夜十一時 《Smaステーション!!女性用立小便器の謎&石原知事を直撃だ》。なんだいこりゃァ?

明日隣村の中央公民館大ホールに、前村長I氏企画・脚色・演出の演劇がある。舞台装置まですべて手作り。愚娘もその一こまに狂言の「小舞え」で出演予定なので、一応舞台装置を見に行く。親バカと言うべきか。

嘗て日本で一番小さい、村の「第九」の合唱つき演奏や、歌劇「椿姫」を公演した実績のある村である。(すべて、前村長I氏が企画・演出・出演した)。

2002年(平成14年12月8日)(日)
朝日新聞投書欄「声」に

《日米の開戦を学校で聞いた》大学客員講師宮澤正幸(72)
《しみじみ同感平和こそ喜び》主婦山本英子(74)
《国家と闘った家永先生の姿》無職小関辰巳(73)

など俺と大体同じ年代の投書が載っていた。さらに茨城新聞のコラム「いばらき春秋」は次のように述べているのを読んでいるのに、俺は今この日記の日付を記入するまで、今日が12月8日であることをうっかりしていた。

<十二月八日は何の日?と問われて、日米開戦の日を即座に思い浮かべる人の割合は大分減っているのではないか。一九四一年のこの日、日本海軍がハワイ真珠湾への攻撃を開始した
▼この日を境に日本は歴史上最も暗く悲惨な時代に突入する。太平洋戦争の始まりである。「リメンバー パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)。米国では建国以来の屈辱の記憶として、いまなお世代を超えて語り継がれているという
▼六十一年後のきょう十二月八日は、くしくも二十一世紀に入って始めての県議選の投票日。開戦時と現在の時代背景を比較するには無理があるが、社会を包み込んだ閉塞感にどこか似たところはなかっただろうか―>と続く。

しかしそれ以外の日米開戦の記事は全くなかった。テレビ番組にもそれに触れる番組は捜せなかった。

2003年(平成15年12月8日)
今日の新聞もテレビも日米開戦の記事も放映も全く無し。(真珠湾攻撃)

わずか朝日新聞「天声人語」のコラムに『8日は日米開戦の日、そしてレノンの命日でもある』とあるのみである。

夜十時から(二)カラーで記録した第2次大戦(再)という番組があったので見たが、画面はヨーロッパを舞台にした政治、経済、世相が中心の番組であった。

県北に住む畏友M氏の、茨城県人S氏著「常陸国風土記と古代地名」の書評が茨城新聞に載る。

天声人語
<日本がイラクへの自衛隊派遣を断念した。先月、そんなニュースが世界に流れた。そのことについて尋ねられたウォルフォウイッツ米国防副長官は答えた。「日本という国には多くを期待していなかった。軍に関ることでは、常にためらう国だから
▼しばらくして日本を訪れたラムズフェルド米国防長官は「日本は自由主義諸国の中で二番目に大きい防衛予算を持っている」「近年は、軍事面で重要な進展を見せた」と語り、軍事面での日本の貢献をたたえた
▼誤った情報を元に副長官が漏らした感想を長官が打ち消した形だ。長官の言明を公式見解とすれば、副長官の言葉は本音とも言えるかもしれない。日本への「期待」については国防総省のなかにもかなりの幅がある
▼小泉首相が「日米関係や日米同盟の重視」をいうとき、いつも気になるのは、米国とは何か、である。ブッシュ大統領を思い浮かべているのか。共和党政権のことなのか。米国なのか、米国民なのか
▼ベトナム戦争さなかの69年12月、ニューヨークに「戦争は終った」と書かれた大きな看板が出現した。下に小さく書き添えられていた。「きみがそう望むなら」。オノ・ヨーコさんとジョン・レノンの共作で、反戦運動を励ますねらいだった。
▼水戸市の水戸芸術館で開催中の「TESオノ・ヨーコ」展(1月12日まで。広島、東京などへ巡回)に展示されている看板を見ながら思った。あの戦争でも反戦や厭戦の世論が政府をうごかした、と。8日は日米開戦の日、そしてレノンの命日でもある。>
 
2004年(平成16年12月8日)
 残念ながら、この頃パソコンがウエルス攻撃で「バックアップ」を怠った為、再セットアップで記録は全部消滅してしまった。2004年の世相の一部分は残っているのみである。

2004年(11月1日)(月)
 雨催いなり。
 (略)
 茨城新聞の一面は朝日新聞より大きい1ページ抜きの見出しで有る。

『香田さん遺体で発見・バグダッド・首切断、指紋一致・質4日目、最悪結末』

 <イラクの首都バグダットで日本時間の三十一日で未明、首を切断された若いアジア人男性の遺体が見つかり、日本政府は同日午前、指紋などからイスラム過激派武装組織の人質になっていた福岡県出身の香田証生さん(24)と確認した。政府は香田さんを拉致した「イラク聖戦アルカイダ組織」が殺害したと見ている>。

11月2日(火)
 朝濃霧なりき。天気予報が当たって暖かくなる。パソコンをやっていたが、燃えないごみ袋を纏める。ゴミも燃やし木障払の黐の木の枝葉も、宅の南側に置いてあったのだけは一緒に焼べた。

(略)1時から図書館前で不要本の無料配布あり。俺が行ったのは10分ぐらい前だったが、次第に人が集まり長き列をなしたり。読書会で顔を合わせるAおばさんアルバイトなのかな?配本のお手伝いであった。

(略)某家から昨日の産経新聞もらってくる。
[産経抄]
<イラクの武装勢力に拘束された若者の運命は無残な悲劇で幕を下ろしたが、この際きちんと区別しておかなければならないことがある。テレビで話す街頭の声のなかには、非道残虐な犯人とイラク国民とをごっちゃにしている人が少なくなかった

▼米国人や韓国人など人質の首を切断した武装勢力の多くは、イラク人ではなくイラクに流入する外国人テロリストである。そのことはきちんと弁別しておきたい。彼らの真のねらいは「自衛隊撤退」にはなく、混乱を作って自己の存在を政治的に主張することにある
▼今度の事件で政府がそうした武装勢力と交渉できなかったことで、「一人の国民の命も救えなかった」と、したり顔で非難する人がいる。しかし国籍も不明な群盗並みの犯人とどうやって取引しようというのか。机上の空論というほかない
▼また報道やコラムに若者の横死を悼むあまり、彼の善意?を美化するような論調も目立つ。しかし今必要なのは「厳冬の山に夏の軽装で出かけた」(フリーカメラマン宮嶋茂樹氏)に等しい日本人の国際的無知と非常識に対する反省と戒めでなければならない
▼そうでなければ若者の死は尊い教訓として生きてこないだろう。その点でいえば、九州・直方市の彼の両親が同市を通じて社会に向けて発したメッセージは、極めて思慮に富むもので、だから強く人の胸を打ったのである
▼若者を支えた多くの人びとに心労をかけたことをわびて感謝の気持ちをのべ、さらにイラクに一日も早く平和が訪れることを祈っていた。この春の日本人人質事件の家族の反応とは、天と地ほどの差がある。若者に両親に似た分別と常識があれば、悲劇は起こらなかったろうにと惜しまれてならないのである。>

7月4日(日)
朝から暑し。久し振りに布団を干す。
親戚の建前たり。(略)

7月11日(日)
「争点なき参院選」
  < 田原氏政局の現状を分析
来年4月に「筑波学院大学」へ名称変更する東京家政学院筑波女子大学(門脇厚司学長)の開学プレイベント連続公開講座が十日、つくば市吾妻の同大講堂で開かれ、学生や地域住民ら約五百人が参加した。

講座は全十回の予定で今回が二回目。ジャーナリストでTVキャスターも務める田原総一郎氏が「政局の現状と近未来展望」と題して講演。

田原氏は翌日に迫った参議院選挙について「今回の選挙は争点なき選挙」とキッパリ。
年金問題やイラク自衛隊派遣などに触れ、「国会で全く論議されていない。国民に判断する材料を与えていない」と口調を強めた。また、小泉総理発言をジョークを交えて話し、「日本の政治が変わらないのは国民がつまらない政治家を選ぶからだ」と〟田原節〝>

今日も猛暑。創価学会のHさん浜四津当選のお礼参り、すでに当日無数に立てた立て看板は全部とり払われているのには魂消る。共産党も謙虚に見習うべきだ。
(略)灯刻村内散策。選挙は今回も棄権した。

選挙速報。当選者の万歳がテレビに映る。
このあとジュースで乾杯するのか?酒の無い乾杯なんて、俺には想像がつかない。それにしても、創価学会が岡田(自)、立正佼成会が郡司(民)ヘンなことになってしまった。創価学会に土下座をした自民候補が当選した。
新聞で見ると、今回の選挙で比例区候補者の県内得票は、

①浜四津敏子 公明   139,324
②白  真勲 佼成会  13,937
③福島 瑞穂 社民   13,399
⑯大門実紀史 共産    3,721

間もなくやってくる2005年12月8日 の新聞記事や、テレビ番組に注目したい。