狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

『わが愛の記』について ―僕はよほどの通人である?

2006-04-17 22:44:41 | 日録
(4月17日夜記す)

J銀行に行く。系列財団法人の月刊誌「J芸文」が見本に置いてある。

『牛久沼の土に筆を振るう「犬田卯・住井すゑ夫妻の足跡」』と題する特集誌であった。窓口嬢に「頂けませんか?」と訊ねたら、奥席の上司にお伺いをしているようであったが、戻ってきて、
「毎号は差し上げられませんけど…」と言って、「テッシュ・ボックス」のおまけまで付けて頂戴してきた。

 (4月18日朝記す)
 僕はこの有名作家邸(その頃は「宅」といったほうが適切かもしれない)には3~4回お伺いしている。
 最初お会いしたのは、昭和35年ごろで、夫犬田卯がなくなった直後だったと思う。
大作『橋のない川』を書き始めたのが昭和33年だというから、多分その頃だろう。
 この有名作家の書斎で「差し」で文学論争をしたことがあったのである。僕は文学青年を気取って、精一杯の論争に挑んだ。
 わが町で今では世界的大作家になってしまった住井すゑ先生と論争をした人は、後にも先にも僕ひとりであろうと確信する。

 争点は「sex」(先生はこうは表現しなかったが、そのような意味の言葉を使った)と「愛」の関係であった。
先生は前者を肯定し、僕は否定した。嘗て僕が読んだことのある『わが愛の記』を例に挙げ反論した。僕は知らなかったが、この「処女妻」は、最後は問題の夫と終には離婚したことを先生は強調したことを覚えている…。

この『わが愛の記』についてだが、出久根達郎の「古本奇譚」の〝目録殺し〟を引用したほうが説明の近道であろう。

《(略)山口さとのという女性の『わが愛の記』という1冊がある。いずれも戦時中に出版されたおよそ見ばえのしない本であるが、この表題をのぞいただけで内容を察知できた人は、よほどの通人であるといってよい。》

(つまり僕もその〝よほどの通人〟なのである!!)
出久根達郎の文は続く。

《(略)この本は下半身を失った戦傷兵にとついだ〝軍国の処女妻〟の手記集である。ただそれだけの本であるが…(略)『わが愛の記』の山口さとのの(本)は当時美談の人物として評判であったが、この本には横光利一が序文を寄せ、また林芙美子、伊藤整、川端康成らが感動の賛辞を連ねている。

中でも川端のそれは「わが愛の記」と題し、驚くべし、四百字詰原稿用紙で50枚にわたる長文である。山口さとのの本文よりも、戦時中の川端の心情が如実にうかがえるいわば付録のこちらの方がより価値があるといえる。》  

住井先生の書斎には岩波の「鷗外全集」が揃えてあり、床の間に夫君犬田卯の骨壷が安置されてあった…。

最後に住井すゑ『90歳の人間宣言』岩波ブックレットNO.272からの1節。

「文化とは何か」
>万世一系というけれども、途中できれてもいるでしょうし、なかには子どものない天皇もいたでしょうからね。必ず天皇の子どもが男の子が生れてくるとは限らないですから、なにも、万世一系だからありがたいなんていう必要はないのです。人間一人ひとりは、みんな尊い存在なのですから。なぜ、万世一系だから尊くて、万世一系でなければ尊くないのか。このけじめをどうつけるのか、わたしは納得いきませんね。(拍手)

天野波羅ふり酒見れば…

2006-04-17 08:36:26 | 怒ブログ

機能と、一昨日と、中途半端なブログ記事となってしまったが、今日は、朝から久しぶりの快晴
布団も干さねばならぬし、にわにわざっそうがはんもするし、役場に印鑑証明もとりにいかねばならないし、朋友からたくさんの著書が恵贈され、ご返事も書かねばならないし、火がくれれはお酒も呑まなければならないし、今日は有価玉でパソコンを開かないことにした。

パソコンの銚子が悪くて、(壊れたわけでなく、操作ミスだったが…)変な生地を二日続けてしまったが、今夜攻勢するつもり(悪まで「つもり」という不確実な予定に過ぎない)。

取敢えず地下足袋を履いて作業に係る。
そこで余裕の歌一種(書き直し1酒)

天野波羅不利酒見れば貸すがなる三笠の山に井手氏月かも
雨の波羅不利酒見れば貸すがなる三笠の山に井手氏月かも

                  峪之仲麻呂
【付記】
M先生から次のように添削した歌をコメントに寄せて頂いた。

>海女の腹 振り裂け見ればかすかなる 三笠の山に い弟子付き鴨

先生は「日本書記」に造詣が深いお方なので、〝なるほど〟と感銘を深くしたのであった。