狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

27~8年前の文学賞

2006-04-04 22:31:46 | 日録
  
 毎週土曜日のZ寺の「朝参り会」の同僚A兄とは、中学も同級であるし、住まいも今は同じ町である。(昭和30年[1955]分村騒ぎの闘争の結果、村の一部は分村した)
 2人とも中卒のまま進学しなかったことにもよるが、親戚同様な付き合いが今なほ続いている。

 余談だが、その頃、終戦で身寄りの無かったT君が拙宅に寄寓していて、エープリル・フールに
「tani (小生を指す)が、交通事故に遭遇。即座に病院に担ぎ込んだが、看護の甲斐なく×時何分息を引き取った…」という葉書A君宛の出したのである。

 A君の母上が、わが子を亡くした事のように泣いたという。A君は香典を持って拙宅に駆けつけてくれたことは、今でもエープレル・フールの語り草になっている。

 そのA君が地方新聞社の『文学賞』に佳作入選した、昭和54年(1979年)のことである。
 A兄の作品はこの地方では名を成しているH画伯の挿絵入りで、毎土曜日毎に14回に亘り大きく掲載された。

 その時、佳作作品として、他の2名の方が(1人は女性)文学賞を受賞した。
 その男性の受賞者であるH氏はその後、その新聞紙上のコラム記事に度々登場した。

 特に深い考えはなかったが、「受賞者の横顔」と題する見出しの新聞切り抜きを
探し当てた機会に、そのコピーを、E・MailでA君と同じ佳作受賞者H氏に送ってしまったのである。勿論アルコール燃料の悪戯だった。