狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

27~8年前の文学賞(酒徒遥かなり?)

2006-04-06 11:59:34 | 日録

地方新聞であるJ新聞文学賞に入選したB・H氏は、現在も同紙上にコラムを定期的に掲載している。とはいっても、ハイキングコースの紹介記事に似た類のもので、文学作品というものからは程遠い感触を受けた。

しかもこの文学賞は約27~8年の話である。いま僕はインターネットの覚えたてで、その使用頻度も多いから、念のため「IE」で氏の名前を検索してみた。

 ソフト開発会社経営者の傍ら、創作活動では各種の文学賞の選考対象にも揚げられている記事が満載していた。

なほ念を期すべく、J新聞社の編輯長に問い合わせたところ、
「H氏もその頃の記事を探しているので、有るんでしたら送ってあげて欲しい」との返事をいただいた。
早速ITに載っていたH氏のE.Mail address で送信してみた。 
序でに僕のブロクURLもお知らせしておいた。

概略次のようなご返事をいただいた。

《すっかり忘れていた記事の写真を見て、いまさらのように、年月の格差を感じました。 (フェー若かったなあ)
J新聞のコラムを読んでいただいているとのこと、ありがとうございます。
最初は一年(10コース)くらいと思ってはじめましたが、いつのまにか、6年続いてしまいました。
やはりここでも、月日の経つのは早いものです。

ブログを拝見いたしますと、”あちら”もお嫌いではなさそうですので、いつか機会がありましたら、あの時受賞されたA氏・J新聞社長と「吟醸酒」を楽しめればと思います。
A氏との文芸誌も是非、拝読させてください。(A氏と文芸誌を出しているとこちらの近況を伝えたことによる)

私は、小説の方は多忙のため、ずっと書けませんでしたが、昨年からすこしづつ時間をつくり、この一年間で、4編ほど書きました。
ここでも、体力の減退を感じます。》

 なお、こちらからお送りした、新聞切り抜き記事内容は次のようなものである。

佳作受賞作品「校 舎」 B・Hさん
『自信はあったが… 就職浪人中に文学修行』(文の中央部に大ポイントの見出し)
《「うれしです。ただ意外な感じがしています。昨年の第一回のこの文学賞にも応募したのですが見事落選。今回の『校舎』は、昨年のよりは自信がありましたが…、でも入賞するとは…」と喜びの第一声。第二回目に入賞したB・Hさん(31)。

 昭和21年T県生まれ、父の仕事の関係で全国を歩き回ったという。T市へ来たのが小学校5年生のとき。それ以後は市内の・中学、高校とT市で過ごす。大學はY大學の工学部へと平凡なコースをたどる。この時代、まだ文学的な感心は薄かった。大学時代はもっぱら山登りに専念。中央アルプスの山々を踏破。相変わらず文学とは縁遠かった。

 なぜ書き書き始めたのか。それは大學4年のとき。大学4年生なら誰しも一度は味わう就職問題。一生の仕事を選ぶだけにその悩みも大きかった。Hさんは工学部で学んだことを生かしたいと志望を情報関係。特にコンピューター関係にしぼった。

当時情報関係は現在ほど盛んではなかった。自分の希望する企業もなく、止むなく来年を待つことを決め、就職浪人の道を選んだ。しかし翌年の45年も希望する企業もなく、再び就職浪人と。46年、2年間待つ甲斐あって現在の会社、K情報サービスに入社。そこでコンピューターを駆使、システム開発を担当。しかしHさんにとってこの空白であるはずの2年間、Hさんは今まで目を向けなかった文学に親しむようになった。とにかく夢中で本を読み漁ったという。戦後文学を中心に手当たり次第。

 当時を述懐して「あのときは1年くらいの就職浪人ならまだいいんですが2年目になると周囲の目もありますしネェー。金も入って来ないから本はもっぱらT市の市立図書館で借りて読みました。戦後の文学に関してなら人並み以上と言う自負はあります。もっとも読んだということに関してですけど。あの2年間は私にとってやはり大きな2年間だったと思います、悔いは残っていません」と話す。
  
今回の受賞作『校舎』は5年前、当時4人の仲間と発刊していた同人雑誌に発表した作品に手を加えたもの。

 流れとしては、ある高校に夜警のアルバイトする学生、そこに一晩泊めてくれーと男がくる。理由を聞いてみるとこの高校が昔兵舎であったころ、男は兵隊としていたことがある。懐かしいから泊めてくれという男と、規則として泊めることは出来ないと突っぱねる学生との会話が淡々と続く。世代の違う2人のやり取りでの中でHさんは、
「人間っていうのは、たとえ戦争という特殊状況の中で生きてきても、戦争を知らないで生きている若い世代も奥底ではわかり合えるはず。それが書きたかった」という。
 Hさんは安部公房氏を信奉する。できれば安部さんの作品『砂の女』『燃えつきた地図』のような作品が書ければ最高という。文章のスタイルもまだまだ、勉強することだらけ、阿部さんのテーマ、文章の書き方では、庄野潤三、小川国夫さんが目標という。

「この受賞を機にこれからもコツコツ書いていきたい、私はもともと話下手、文字に書く方が性に合っている。しかしいくら話下手でも何か言いたいことっていうものはありますから。仕事が忙しい、子供たちが騒ぐから書けないなんていうのは嘘ですよ」と話す。これからは外国文学に全く無縁だっただけに、多くを読んでいきたいと。とくにドストエフスキー。
(中略)
家では良きパパ、会社では優秀なプログラマーと全く平凡な家庭、趣味は山登り、酒。酒は最近は量が減りましたがボトルは4日で1本空くという。31歳》
  
「お酒」という言葉を聞くと天真爛漫の気分になる小生だが、戦中派のA君も、僕と同様、最近健康に自信がなくなって来た。絶好の酒徒との面会は、願ってもない絶好の機会ではあると思うが、やはり老妻に口説かれながらの晩酌の方が、いまは環境にあっているのかなあと慨嘆する昨今である。