極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

オリーブの木の下でⅡ

2012年08月17日 | 省エネ実践記

 

 

信州自然王国タプナード160gのせて食べるオリーブペースト

【タプナード】

フランスーシンプルで美味なるは、トーストしたパンに塗食べるプロヴァンスの「キャヴィア」
フランスのオリーヴ好きにとっては基本中の基本。ニンニクやローリエ、タイム、マスタード、
またはラム酒やコニャックで風味づけをしてもよい。

材料:黒オリーヴ(種ぬき、塩漬け)、アンチョビー(塩漬けを塩抜きしたものまたは油漬け)、
ケイパー、風味のまろやかなエクスト・ヴァージン・オリーヴ油、塩、胡椒

作り方:黒オリーヴ、アンチョビー、ケイパーを乳鉢と乳棒(材質は伝統的に大理石)ですり
つぶす。オリーヴをケイパーやアンチョビーよりやや多入れるのがコツだが、割合は好みでよ
い。控えめに塩、胡椒し、オリーヴ油をたらしてクリーム状に仕上げる。

   

【アスパラガスのタプナードグリルサーロインステーキ】

材料:グリーンアスパラガス、皮をむいてトリミング、クローブ、ニンニクは皮をむいて潰す。 
新鮮なバジルの葉、松の実、コーシャ塩、オリーブオイル、フレッシュタイムの葉、挽きたて
のコショウ、サーロインステーキ

作り方:軽く塩味の沸騰したお湯の鍋にアスパラガスを置き、柔らかくさっくりと3~4分煮て
水で冷やし水切り
。 半分にカットし、茎の上部を取り外す。 茎の底を切る。アスパラガス、
ニンニク、バジル、松の実、塩をフードプロセッサーでみじん切りしながら、オリーブ油を注
ぎペースト状にする。
小さなボウルに、タイム、コショウ、残りのオリーブ油と塩を入れてお
き、ステーキの上に混合せたものを載せ、アルミ箔で包みグリスする。ステーキを4等分に切
り分け、アスパラガスのタプナードをトッピングする(上図)。

 

 

 

【オリーブの木の下で】

オリーブの木は、寒さに弱く、ことしの冬に2本壊死してしまった。暖かい地方ででしか生育
できないフルーツの木などは、例え一瞬でも冬の寒さに晒してしまうと壊死する経験は、まだ
日本でマンゴの栽培がはじまっていなかった頃、彼女が部屋から苗木を屋外に出した瞬間、み
るみるうちに萎れてしまった。そういった経験から、ブラッドオレンジの苗木は注意深く室内
で越冬させている。さて、ローゼンブラム著の『オリーブ賛歌』の続きを。

さて、第三章「パレスチナとイスラエル」。

三千年前の驚くべき遺物を目にすることになった。古代パレスチナに住んでいたペリシテ人は、
一般に、およそ「ニューヨーカー」の美術批評を手がけるようなタイプではないと見られてい
る。だが実際は、洗練された文化をもつ海の民で、物づくりの技術も高く、最初の中東オイル・
ブームの際にオリーヴ油貿易で富を築いた。三千年前、彼らはガザに近い海岸沿いに広大なオ
リーヴ畑をつくり、石臼を何百と製造した。ペリシテ人は、紀元前十二世紀頃、エーゲ海方面
からパレスチナにやってきた。あるいはクレタ島から移ってきたのかもしれない。彼らは古代
ヘブライ人の諸部族と戦った。聖書に登場する巨人ゴリアテは、ペリシテ人の戦士である。サ
ムソンを欺いたデリラもペリシテ人で、サムソンが復讐のために破壊した建物はペリシテ人の
神殿だった。「パレスチナ」という地名は彼らの名に由来し、現在の住民は、「聖地」より「
パレスチナ」という呼び名を好んで使う。今ではペリシテ人についてはるかに多くのことがわ
かっているが、それは穏和なイスラエル人、ナタン・エイドリンのおかげである。レヴァディ
ム・キブツにある小博物館で、館長を務めるエイドリンに会う。博物館はイスラエル西部の港
町アシュドドから少し行った、テルミクネ遺跡の近くにある。1948年といえばわたしが生まれ
た年だが、第一次中東戦争に行っている間に、ヨルダン軍がキブツを襲い、住民を虜にした。
エイドリンはレヴァディム出身の女性と出会い、彼女の故郷に落ち着いたエイドリンは近くを
歩いていて、テルと呼ばれる丘状の遺跡を発見する。彼は、有能な助手を何人か手配し、掘り
はじめ、遺跡の一角から見慣れた機具の痕跡が見つける。「オリーヴの圧搾機だとわかりまし
た。三十年前にガリラヤで見たことがあったんです。ロバを使うねじ式の圧搾機でした。『う
まくいけば石臼も見つかるぞ』と言いました」間もなく大量の石の鉢と、手で転がしてオリー
ヴをすりつぶすのに使った百ポンド(約四十五キロ)もある花尚岩製の器具とが見つけたとい
う。



そして、ペリシテ人がヘブライ人から奪った「契約の箱」を牛の引く車で運ばせたという聖書
の記述についても調べる。丘を越え、涸れた河床に沿って牛が通っていったと思われるルート
を導き出した。「聖書が天から与えられたものだとは思っていません。だれかが書いたのです。
でもそのだれかは、この土地をよく知っていたに違いありません」そしてエイドリンは、つい
にペリシテ人の首都エクロンの場所を突きとめたと確信する。イスラエル人はエクロンを憎ん
でいた。ペリシテ人はイスラエルのサウル王を殺害し、十戒の石板を納めた「契約の箱」を奪
うと、首都エクロンに持ち帰った。ダヴィデ王は紀元前十世紀初頭にエクロンを略奪したが、
エクロンはオリーヴ油から得た富で復興を遂げた。エクロンはエジプトのファラオと同盟を結
んだが、前603年、新バビロニア王ネブカドネザルがエクロンを破壊し、ペリシテ人を奴隷とし
て連れ去ったとき、エジプトは何もしてくれなかったという。



「オリーヴ油は当時のもっとも重要な産物のひとつでした。オリーヴ油は文明を形づくり、人
々に仕事を与えました。日々の暮らしや宗教儀礼、王の儀式にも使われました。オリーヴ油を
保存するため、大きな陶器産業も生まれました。預言者がだれかを呪うときには、こう言いま
した。「神がおまえのオリーヴを滅ぼされるように』」エイドリンは長年オリーヴの起源を探
ってきた彼によると、エリコでは一万年前のオリーヴの種子が出土した。中東一帯のどこを掘
っても、人々の暮らしがオリーヴ油に大きく依存していたことを物語る遺跡が見つかる。エク
ロンがオリーヴ油を大量に輸出しだした頃には、オリーヴ油はすでに今日の石油以上に重要な
生活必需品になっていた。唯一の灯油であり、食糧であり化粧品や薬の原料であった。頻繁に
身体にオイルを塗る余裕があるかどうかが、社会的地位の指標となった。神殿の供犠にも欠か
ゼない。海の民であったペリシテ人は、自らつくったオイルを簡素な壷に入れ、エジプトや東
地中海一帯に運んだ。712年、アッシリアがエクロンを攻め落とした。アッシリアはオリーヴ
油の生産を拡大し、新たな市場を開拓した。エイドリンの「傑作」を芝生に覆われた近くの公
園で見せてもらった。出土した石の鉢と石材を使って再現したエクロンの搾油機である。フラ
ンスの古い搾油機にそっくりだった。まず、花崗岩でつくられた、巨大なめん棒のような摺り
石を20分ほど前後に転がし、オリーヴの実をすりつぶす。ペースト状になったら、丈夫な草を
編んだ円形マットに載せ、それを圧搾機の木枠の上にいくつも積み重ねる。今ある旧式の圧搾
機は巨大なねじを使うが、エクロンの搾油業者は、長いてこの端に重石を四個結びつけ、圧力
を加えていたという。

流れ出た油は大きな素焼きの壷に入れ、水と分離させた。壷の側面には穴がいくつもあり、木
の栓でふさいでいた。分離を速めるため、湯を加えることもあった。一日二日置くと、表面に
油が浮き上がる。栓を抜き、余分な水を排出する。青銅のひしやくで油をすくうと、壷の底に
は澱と水だけが残った。エイドリンの見積もりによると、エクロンの大規模な採油所は百十四
にのぼり、一日四時間、三か月間稼働したとして、それぞれ1シーズン7トンから10トンのオ
イルを生産していた。合計千トンである。人口がせいぜい七千人とすれば、売る分は大量にあ
ったが、今では一本のオリーヴも残っていない。エクロンが破壊されたとき、ほとんどが消滅
した。当時、農家はオリーヴの本の間に小麦を植えていた。侵略軍は千匹のキツネの尾に松明
を結びつけて畑に放し、あとには焼け焦げたおびただしい切り株だけが残った。残った木も寿
命が尽き、あるいは風雨に痛めつけられて枯れていった。出土した遺物や、搾油機の見事な実
物大模型を前にしても、南のネゲヴ砂漠へ向かって広がるこの埃っぽい乾燥した大草原と低木
地が、かつては見渡すかぎりみずみずしいオリーヴ畑に覆われていたとは信じがたいと著者の
ローゼンブラムは言う。そして、エイドリンは将来、オリーブの木を植えこの場所に古代の採
油所を再現する夢を語る。

オリーブ油による繁栄は貧富の陰影を否応なしに深くするゆえ争いごとも絶え間なく続く。太
陽エネルギーの恩恵はその恩恵に預かる人類がそれを歪める。そう思ったとき中東の石油はオ
リーブ由来ではないかと冗談半分ではあるが頭を過ぎった。



【未知の宝庫 日本深海】

海洋研究開発機構の小林英城主任研究員らの研究チームは、マリアナ海溝チャレンジャー海淵
の世界最深部(深度、10,900 m)に生息するヨコエビ(学名:Hirondellea gigas, 和名:カ
イコウオオソコエビ)の生態解明に取り組み、タンパク質、脂質、多糖類などに対する分解活
性を解析したところ、新規で有用性の高い消化酵素の検出及び精製に成功したという。
カイコ
ウオオソコエビは、植物性多糖を分解するセルラーゼ、アミラーゼ、マンナナーゼ、キシラナ
ーゼといった酵素を保持し、それら酵素の反応生産物であるグルコース、マルトース、セロビ
オースを大量に体内に含有し、超深海の植物を分解、栄養としていることを突き止める。
また、
これら酵素は高い反応性を有しセルラーゼは、オガクズやコピー用紙等を分解して直接ブドウ
糖(グルコース)に転換する、極めて生産効率の高い新規酵素であり、かつまた、優れた安定
性を有することを発見したという。このことで、トウモロコシなどの穀類ではなく、木材等の

天然バイオマスや廃紙等を常温でのグルコース生産の可能性をもつものとして世界的な成果と
になりうるだろう。  


特開2012-147754 生きた微生物の固定化方法および調製方法


 
カイコウオオソコエビが保持するセルラーゼが、木材や紙類を含めた多種多様なバイオマス全
般に対して、高いグルコース生産性を有していることを明らかにしたもので、木材等と反応さ
せることによって、エタノールの原料であるグルコースを容易に取得できることから、再生エ
ネルギーとして期待されているバイオエタノールの生産等に大きく寄与することが期待でき、
 
また、エネルギーを利用せず、枯れ木等から直接グルコース生産が可能であることから、生産
したグルコースを食品に加工することで、世界の飢餓地域の栄養改善にも利用できると考えら
れるという。さらに、本セルラーゼは天然由来のセルロースだけでなく、一般紙のような加工
されたセルロースでも、室温でグルコースを生産できることから、本酵素の利用範囲が非常に
広いことを示した。
カイコウオオソコエビからは、セルラーゼ以外の酵素も検出され、有意か
つ多様な特性が期待されるところですが、それら酵素は不安定であるため、研究の進展速度が
セルラーゼに比べ遅れいて解析方法等の多角的に検討を進めて行くとのこと。
 

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