車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

Day off !

2022年02月20日 11時11分37秒 | 日記
超、超久しぶりにオフの日曜日を過ごしている。

肩の力の抜けた、本当にリラックスした、こんな気分で休日を過ごすのは実に久しい。

数年ぶりと言えるくらいに思える。



それは昨日、重要なターニングポイントを曲がり終えることが出来たから。

いや、正確にはただ曲がり終えただけで、その先がどういう道になっているのか未だ定かではないし予断を許す状況ではない。

けれど、何とか無事に曲がり終えることが出来たことにまずはほっと力を抜くことが出来ている。

それが嬉しいし、そうした時間を過ごせていることに心底幸せを感じている。

それはこれまで積み重ねてきたことを確信できたから。

「俺は積み重ねてきたぞ!」

と胸を張れるだけの手ごたえを得られたから。

だから、それがこれからのモチベーションにもなっているし、この先の間違いなく更にハードであろう道のりを楽しみに思っている。

積み重ねているものは積み重なっていた。

まだまだ足りていないものは気づいているだけでもたくさんあって、それ以外に気づいていないものもあるだろうし、積み重ねていくべきものはまだまだの更にまだまだある。

克服すべき課題もたくさんある。

それをクリアするための努力をこれからもしっかりと続けていかなければならない。

その為に、今日一日の特別なオフを楽しんでいる。



オフはいつも意識して取るようにはしている。

でもそれは身体の為、コンディショニングとしてのプログラムであり、オンの為のオフだから、正直精神的に開放されるような時間の過ごし方でもなく、仕事の合間の休憩時間のようなもので、ちょっと意味合いが異なるオフであり、でもその状況がこの数年間ずっと続いていた。

それを、僕の中で大切な位置づけとしていた曲がり角を完璧な形でなくてもなんとか無事に曲がり終えたことで、ようやくクリアすることが出来た。

この感覚は実に久しい。

気を抜くつもりもないし、気が抜けている感覚もない。

けれど、「気を抜いても良い一日を過ごせる」という余裕を持てた自分があり、それが明日からのエネルギーになるとも確信している。



いやぁ、やっぱりオフは大切だ。

精神を開放するオフ。

「充実したオフが良いオンを生む」

というのは僕が20代前半の頃にイギリス人ジャーナリストの記事から学んだこと。

それに倣って僕も過ごしてきた。

けれど、スポーツ活動においては中々そう簡単に行くものでもないなという思いもあった。

今回の経験が僕のそれに大きな変化を与えてくれたようにも思う。

これは良いものを得られた。

それもまた、積み重ねがあったからこそ。

これからもしっかり頑張っていく。



しかし、その積み重ねるべきもの、やればやるほど、範囲は広がり、より深く、より高くなっていき、「こりゃぁ大変だ!」と思わされている。

最近まさにあらためてそう思っていたばかり。

スポーツといっても様々な競技で様々な選手が存在しているけど、トップアスリートと呼ばれる人たちはそのものすごくたくさんある条件を同時にこなす、クリアしているのだと考えた時、あらためて凄いなと思った。

今の僕では耳から煙が出てもおかしくはないレベル(笑)

でもそれを頑張っていかなければならない。

テクノロジーをはじめ、社会は日々進化している。

それは自分を取り巻く環境の変化も意味し、その変化は「進化」となって僕たちを前進させている。

それについていく、乗り遅れない為に自分自身も進化させていかなければならない。

それは「成長」を求められているということ。

耳から煙を吹くようなことであったとしても、その道を進むのであれば、それに耐えうる自分を磨いていかなければならない。

「昔はよかったな」なんて愚痴をこぼすのではなく、今を十分に満喫できる大人でありたい。

その為に、自分を磨き続ける。

磨き続けて頑張り続けて、だからこそ求めるものを得られるのであり、そうした先で後からついてくるのが結果だと思うし、だからこそ、その道の途中で、ふっと息を抜ける瞬間を迎えることが出来るのだと思う。

なんて言うのは簡単だけど(笑)



さぁ、明日からまたしっかり頑張っていこう。

その為に今日をゆっくり過ごそう。

明日からはまたトレーニングもあるけれど、デスクワークもやることがある。

そうして追われるからこそ、クリアした時の時間が心地よいし、その時の一杯が美味しい。

ちなみに今日のオフ、午後は自宅で料理三昧の予定。

我が家の定番であるほうれん草の胡麻和えを作るのと、昨日みつけて衝動買いした菜花の仲間と言う初見の野菜も調理。

更には牛肉と白菜、えのき、ネギですき焼きならぬすき煮を作る予定。

数日分作ってすぐに食べられるよう保存するのが僕のスタイル。

今日のように時間に追われずに調理を楽しめるのもまたリラックスを生む。

それが味わいに繋がればいいけど、それはまた別の話(笑)

というわけで、みなさんもどうぞ良いオフを獲得し、それを十分に楽しんでください。

でも感染対策を忘れずに。

七転び八起

2022年02月13日 21時24分10秒 | 日記
何事もなかなか上手くいかないものだ。

出来るようになった!もう大丈夫!よし!いける!

と思っても、そうはいかずにまた振出しに戻るような挫折感を味わうことを繰り返す。

二度あることは三度あるっていうし、七度あることは八度あるということだ。

僕は見事にそれを繰り返している。

転んで転んでまた転ぶ。

七回転んでまた起き上がる。

でも逆の見方をすれば、起き上がってもまた転んでしまうということか。

じゃぁもう頑張って起き上がらなくてもいいじゃないか・・・と弱気になっちゃうこともあるかもしれないし、あっても不思議なことじゃない。

でもそこでマインドBが耳元で囁くのだ。

「え?もうきらめちゃうの?かっこ悪くない?」

と(笑)

だからまた起き上がる。

なんだかんだと理由をこじつけて、でもそれは決して言い訳ではなく、反省点と言う建設的な材料を獲得した上で、上を向いて起き上がる。

そしてまた転ぶ(笑)

それを繰り返すのだ。

「よっしゃ!もう大丈夫!」

と思っても、残念ながら絶対は無い。

自分で言うのもなんだけど、成長は出来ていると思う。

そういう評価もいただいている。

けど、試合で勝たなきゃ意味がないのだ。

最近あらためて思った。

卓球とは、11点を先に取ったほうが勝つ競技なのだ、と。

どれだけ技術があったって、上手くたって、11点を先に取らなければ勝てない。

上手いとか下手ではなく、良い体つきをしているとかファットな体系とかでもなく、スポーツマンシップにあふれているとかアスリートマインド云々とかでもない、ただ先に11点取ったほうが勝ち、なのだ。

それをしっかり認識していなければ、ここぞという時に判断を誤りかねない。

その判断を誤った結果・・・転ぶ。

あぁ、考えただけで恐ろしい。

そうしない為には、自分でどうにかするしかない。

卓球と言う競技はシングルスだと基本一人で判断し、行動しなければならない。

タイムアウトという他者に相談できる時間は1試合のうち1度の1分間のみ。

もぐもぐタイムなども無いのだ。

全ては自分次第。

その為に、常日頃から自分を磨く。

でも、磨くところ、磨き方は様々あって、どれが最も効果的で近道なのか、それも後になってみなければ分からない。

で、トライして、その選択を頑張って、そして・・・転ぶ(笑)

それが人生だ。

セ・ラ・ヴィ



なんて悲しみに明け暮れているわけではない(笑)

七転び八起。

同じことに躓くのではなく、新しい一歩を踏み出したからこそ、新しい何かに躓くのだ。

そしてそれを超えて、また新しい何かに躓く。

それを繰り返す。

繰り返していく。

そうやって前進していく。

躓いて転ぶことを繰り返しても、そうしながら確実に前に進んでいるのだ。

それはきっと上り坂なんだと思う。

険しい山道で、ところどころリスクの高い箇所もあるのかもしれない。

それでも、懸命に歯を食いしばりながら前に進み続ける。

何度も何度も躓きながら。

でもきっと、ふと気づいたときに、そこから見える景色はものすごく美しいものだったりするのだと思う。

そこまで進んできたからこそ、登ってきたからこそ、見える景色があるのだと思う。

まぁ最初からそれをあてにするのもなんだか違った気がするけれど。

良い景色なんてのは結果的なものであり、本来目指すものはそれじゃぁないのだから。

いずれにせよ、転んでも転んでも起き上がり、前に進む。

それに尽きる。



そしてその起き上がる力、それは自分の力なのか、他の誰かの力なのか?

案外そこが大切な気がする。

起き上がるのか、起き上げてもらうのか。

そもそも、前進しようとする力・エネルギーは自分のものなのか?あるいは他から来るものなのか?

そこが大切だと思う。

先述した「躓く」は、自らの足を動かし前進するからこそ躓くものなのだと思う。

両下肢完全麻痺の車椅子の僕が言うのもなんだけど(笑)

自分の力で前進しない人は、言うなれば人の敷いたレールの上を進んでいるようなもので、オートウォークやオートスロープの上を進んでいるようなもの。

その上にいる間、躓くことはない。

対して自分の力で歩く人は、様々なシーンで躓くことになる。

それも様々なもので躓くのだろうな。

いろいろ所で様々なものに躓き転びつつも、起き上がり自分の力で前進する。

それが自らの「命」を「運ぶ」ということ。

そしてオートウォークの上を進む人は、自分以外の誰かの力で自分の命を「運んでもらっている」ことになる。

「運命」をどう捉える?

僕は前者でありたい。

これは子供の頃に読んだ漫画に書いてあった言葉(笑)

「自分の力で」

自分で探そうとすれば、求める答えは案外身近にあったりもするし、棚ぼた的に簡単に見つかったりすることも少なくない。

誰かに探してもらおうとすれば、その説明に時間を割き、協力者を求めて彷徨い、その結果によって関係性に大小の波を生じさせることもあり得る。

何が正しくて何が間違いなのかは人によって異なるだろうしその時々でまた異なって然り。

でも僕は自分の有り様を貫いていきたい。

七転び八起。

それでいい。

起き上がってまた前に進んでいくのみ。

しかしなかなか思うようにはいかないものだ・・・(笑)

全日本選手権を見て思う

2022年02月05日 22時49分55秒 | 日記
今年の全日本選手権も凄かった。

様々な面でものすごく勉強になった。

いつも以上に学びを得られた、収穫が多かったと思っている。

なんて偉そうに言うのは恐縮だけど(笑)

コロナの影響が凄まじかったのは残念だけど、そんな中でもベストパフォーマンスを発揮するために選手たちがどれだけ頑張ったのか、耐え忍んだのか、それにはいつも以上の敬意を表したい。

健常者の卓球とパラ(特に車椅子)の卓球は違うと常々耳にするし、僕自身それを否定するつもりは毛頭ない。

今回の全日本の様々な試合を見ていてそれはつくづく痛感させられた。

だからこそ、僕はどう成長していくべきなのか、磨いていくべきなのか、それを再確認できたし、更に強い決意を抱くことが出来た。

やっぱり、「かっこいい卓球」がいい。

見る人が「おお!すげぇ!」と歓声を上げるような卓球がいい。

車椅子だから、障害があるから出来ない、仕方ないではなく、だからこそ同じように出来ればそれ以上の評価を得られる訳だし、感動を与えることが出来るのだ。

それでいく。

それを貫こう。

初志貫徹だな。

パラ卓球スタートのきっかけを与えてくれた同級生の洞ノ上君に再会した直後、思い描いた僕の車椅子卓球のスタイル、それでいく。

その為に僕はずっと積み重ねてきたし、それは今も継続出来ている。

その手ごたえも少しずつ積み重なっていて、小さかったピンポン玉は僕が望んでいたような人たちをも巻き込んで雪玉のようにどんどん大きくなっている。

これまで通りで良い。

このスタイルで良い。

かっこいい卓球を車椅子プレーヤーとしてやっていこう。

その為の自分磨きを行っていこう。

世の中の 人は何とも 言わば言え 我がなすること 我のみぞ知る

とかっこよく言いたいところだけど、もはや我のみではなく我がチームとなっている。

雪玉(笑)

それを今まで以上に自覚できているからか、ここ最近は自分の意識の変化を実感している。

これまではそんな風に考えなかったのになぁと自分で思うのだな。

それも磨きがかかった結果だと実感しているし、成長の証だと思っている。



そんな思いを与えてくれた今回の全日本選手権。

本当にかっこよかった。

「アスリート」の姿をまざまざと、ありありと見せてもらった。

ただ自分が楽しんでやるだけなら内容はどうあったっていいと思う。

でも、スポンサーや応援してくれる法人個人のサポートをいただいているのであれば、楽しくやる以上に結果が求められる。

それがスポンサーメリットに直結するから。

でも、「道」という概念を尊く思うのが日本人のアイデンティティだと思うから、結果は大切だけどある意味それ以上にその内容やスタイルを大切にするのが日本人だと思うし、パラスポーツであるからこそそこにより大きなスポンサーメリットが存在していると僕は考える。

武井壮さんの言葉でさすがと思った一言がある。

「スポンサーは小遣いをくれる人たちではありません」

そうなのだ。

だから、自分がどうプレイするか、そしてそれを結果にどうつなげていくのか、それが大切なんだ。



自分がそういう選手でいるか。

それは結果やプレイスタイル云々といっただけのことではない。

まさに生き様そのものだと思う。

玄関のドアを開けてから帰宅してドアを閉じるまで、自分は360度常に見られている。

観察されていると思った方がいい。

観察されて恥ずかしくない姿でいなきゃいけない。

簡単なことじゃないけど。

少なくとも全日本選手権で熱戦を繰り広げたトップ選手たちはそういう生き様をしていると思う。

観察されているからじゃなくて、強くなりたいから、思い描く理想の自分になるための行いが結果的にそう見えるのだと思う。

それがかっこいいという生き様なんだな。

僕も頑張る。



このコロナ過で今のところは変わらず練習できているけれど、そこにもいつ変化が生じてもおかしくはないし、自分自身の感染がいつ起きてももはや不思議ではない。

ただ体調管理というコンディショニングを行うだけでなく、感染予防というコンディショニングも今まで以上に不可欠だから、そのストレスは更に輪をかけて大きくなる。

が、それもまた選手みんなイコールコンディション。

全日本選手権とまさに同じ。

しっかり頑張っていく。



早く試合がしたい。

いろんな人たちと打ちたい。

その為にも、今は耐え忍んでいくしかない。

限られた範囲の中で、最大限に頑張っていく。

それもまた積み重なっていくもの。

淡々と、粛々と、前進していこう。

そして、少しでも早いコロナの終息を願う。