車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

告知します!

2022年10月28日 21時48分39秒 | 日記
令和4年11月19日(土)~20日(日)に、調布にある武蔵野の森総合スポーツプラザ(サブアリーナ)で、第14回全日本パラ卓球選手権大会(肢体の部)が開催されます。

国内大会情報 | パラ卓球協会 公式サイト

今までは毎年大阪で開催されてきた大会ですが、今年は初めて東京で開催されます。

コロナ禍で中止になったりもしました。

無観客だったり、ベンチコーチすら禁止の大会もありました。

でも今年は有観客での開催となるようです(ただし人数制限は行われるそうですが)。

それでも、コロナ禍以前と同じような環境で試合が出来ることはすごく嬉しいことだし、実にありがたいこと。

既に組み合わせやスケジュールも発表されました。

後は本番に向けてしっかりとコンディショニングを行っていき、当日にベストのパフォーマンスが出来るようにすること。

ただそれだけです。



今までは「国際クラス別パラ卓球選手権大会」という名称で、大阪で開催されていました。

国際ルールに則ったクラス分けが行われ、各クラスのタイトルを競う大会です。

パラ卓球(肢体の部)の実質的全日本選手権です。

これまでこの試合のことを「全日本」と呼ぶ選手も少なくはありませんでした。

その大会の名称がついに、今年から「パラ卓球全日本選手権大会」に変わったというわけです。

この大会は翌年度の代表選考に繋がる重要な大会です。

僕を含め、当事者にとっては人生を左右するものです。



変わるのは名称だけではありません。

大きく変わるもの、それはダブルスです。

毎年シングルスと男女それぞれのダブルスが開催される大会でした。

そもそも車椅子と立位はそれぞれの障害の内容から5つのクラスに分類されるのですが、今までのダブルスは車椅子のクラス、立位のクラスのみにカテゴライズされるもので、障害により分類されるクラスというのは全く関係ないものでした。

しかし今年から国際大会で設けられたダブルスのクラス分けのシステムが採用されることになったので、男女の各ダブルスと、さらに混合ダブルスに車椅子と立位合わせてそれぞれ4つのクラスが設けられ開催されることになりました。

混合ダブルスは国際大会でも今年から新たに設けられたカテゴリーですが、この大会でも同様に設けられることになりました。

ダブルスのクラスの分け方は、各選手のクラスの数字(僕であればクラス3なので「3」)の合計によってカテゴライズされるというものです。

例えば、「男子ダブルス・クラス4以下」の場合、それにエントリーできるのは2人の選手のクラスの合計が「4以下」となるので、クラス2とクラス2の選手のペア、またはクラス1とクラス3の選手のペアとなります(「4」以下であれば出場可能なので、クラス1とクラス2のペアなど、合計2~3でもOK)。

となると、同じクラスでもペアリングによって戦術に大きな違いが生じるので、そうした点も見どころの一つですし、国際大会も含めこのダブルスの形はまだ始まったばかりで世界基準でセオリーはまだ存在していない、いわば試行錯誤の段階とも言えるものです。

そうした点からも面白いことが十分に起こり得るので、それも大きな見どころと言える点です。

興味をお持ちの方、ぜひ会場に足を運んでいただき、それを楽しんでもらえたらと思います。



僕はシングルスと男子ダブルス(クラス8以下)、混合ダブルス(クラス7以下)に出場する予定です。

今から何かをやろうって言ったって気休めにもならない、せいぜい付け焼刃にでもなれば御の字といったところ。

これまでの積み重ねを活かす為にも、あとは本当にただただ適正なコンディショニングを行って当日を迎えるのみだと思います。

季節の変わり目で体調を崩してもおかしくない時期だからこそ、より一層の注意とケアが必要。

試合前で焦る気持ちはみんな同じだと思うけど、だからと言って頑張り過ぎるのはコンディショニングとは言えないから、しっかり体と心を休ませる時間も大切。

かといって対戦相手やライバルたちが練習している時に自分だけ休むっていうのは正直不安でしかない。

いったい正解はどこにある?(笑)

みんなそんな葛藤を抱きながら頑張っている。

それがスポーツ選手なのだと思う。



とにかく、当日をベスト・コンディションで迎えられるようしっかり取り組んでいく。

それに尽きる。

というか、それしかない。

あとは、秋の味覚の誘惑に打ち勝つのみ(笑)

それが一番の課題かもしれない(笑)

さぁ、頑張っていきますよ!

繰り返しますが、全日本パラ卓球選手権大会、初の東京開催です。

この機会をお見逃しなく!

って、別に僕は営業している訳ではありません(笑)

車椅子人生初のマラソン大会出場!

2022年10月23日 21時45分51秒 | 日記
ずっと、チャレンジしてみたいと思っていた。

それがマラソン大会。

でも自分からそれを求めはしなかった。

そんな頻繁にではなく時々でしかないけれど、家の近所を6kmくらいジョギングしたり、皇居ランをやったり、ゲートブリッジの往復をやったりはしていたので、10kmくらいの距離なら走れるだろうと思っていた。

一度だけだけど、練習後に卓球場から自宅までの約8kmを走って帰ったこともある。

でも、日常生活で走行するのは歩道かあるいは路側帯。

幅は限られていて歩行者や自転車との離合も度々生じるし、進行方向に対し路面が左右どちらかに傾いていたり(カント)する箇所が実に多かったりもするので、両手でまっすぐにこいで進むことが出来る箇所と言うのは実は思いのほか少ない。

だから、「走る」とか「ペースを維持する」とか以上に「真っ直ぐに進む」ことに対してものすごく気を遣うし、ストレスがかかる。

だからこそ、マラソン大会とかだとのびのびと車道をまっすぐ走れて気持ちいいだろうなぁなんて憧れていた。

もちろんそれは普段使っている自分の日常用の車椅子で。

車椅子マラソンや陸上競技で使用される「レーサー」と呼ばれる競技用車いすを僕は持ってもいないし乗ったことすら無い。

あくまでも自分が使っている自分の車椅子で走ることを前提としていた。

日常の延長線上での「ラン」に憧れていた。



それは夏頃だった。

普段練習で使わせてもらっている体育館に区主催のマラソン大会参加者募集のポスターが貼ってあった。

10kmと5kmで参加出来そうだった。

問い合わせてみると車椅子でも参加OKということだったのでエントリーすることにした。

もちろん10kmでしょう。

と思っていたけど、翌月にはパラ卓球の全日本選手権が控えているので、万が一を考えて5kmにした。



結果的に、その判断は大正解だった。

5kmなんて余裕でしょ、と高を括っていたのだけれど、いやいや、全然そんなことは無く、スタート地点の競技場のトラックからまずカントがあったのでタイヤを漕ぐのは左手のみ。

そもそも、今回のコース、僕は一度も走ったことが無い。

というか、通ったことすらない。

だから、それがどんな道なのか、登りや下りがどうあるのか、路面状況は?とか、そういうデータを一切持ち合わせることなくスタートラインに立ったのだ。

正確には座っていたけど(笑)

だから、「あの辺はこのラインを走る方が良い」とか路面状況だとかコースレイアウトすらも、情報を全く持ち合わせていないいきあたりばったり(笑)

折り返し地点とかコースの案内は表示があるから大丈夫でしょうという超楽観視。

とにかくこぎ続ける、それしか考えていなかった(笑)



コースに出てからは更にそのカントは大きくなったので更に左手のみ。

もうその時点で左三角筋に乳酸を感じる(笑)

右手の推力が加わらない分左手の負荷がより大きくなるから。

「あ、これやばいかも」と思い始めたころに1km地点通過。

もうこの時点で余裕は全くなし。

早速焦り始めたところでそれまでで最大カントの左折箇所。

からの橋のアーチによる上り坂。

といってもわずかな距離だけど、その数十mが結構重くのしかかる。

一気に減速(笑)

でもそれを超えると今度は下り。

今度は加速。

しかも全くこがない(笑)

多分、それを見たほかの一般ランナーは「ずるい!」と思ったはず(笑)

少し下ってから折り返し、再度橋によるアーチを渡ることに。

今度は長い登りだった。

途中右にカントの付いたところもあり、それが本当に辛かった。

超低速となって、でも進み続け、マスクを外したくなるけどここで止まると余計に辛いからとそこは必死でこぎつづける。

そして頂点を超えてまた下る。

そこでようやくマスクを外し、路面の段差や凹凸に注意しながら、また他のランナーさんとの接触のないように気を付けながら、こがずに進む(笑)

フラットになるとまた右に少しカントがついていて、他のランナーさんとの位置やコースを意識しながら左手、左手、左手、両手、また左手、左手・・・といった具合にこぎ進む。

するとそこでようやく2km地点。

まだ2km!?

心が折れそうだった(笑)

そして折り返すと、先ほど長く下った道を今度は登らなければならない。

でもそれはもう下りながら覚悟は出来ていたので、自然な感じでアプローチ出来ていたと思う。

もちろん酷い減速に変わりはないけど(笑)

なるべくカントの無い両手で均等にこげるラインを選んで進む。

その登りが長く感じたなぁ。

でも、ゲートブリッジに比べれば全然短い。

だからとにかく両手でこぎつづける。

そしてまた下り。

「ずるい!」と思われてるだろうなと思いながら、抜かれた方々を抜き返す(笑)

そして、後はとにかくカントの無いラインを選びながら、でも急なレーンチェンジは他のランナーの方に危険を及ぼすのでそこは後方確認も行いながら無理のない範囲でこぎ続ける。

途中から路面は石畳になったけど、幸いフラットな石畳だったのでペースを落とすことなく進むことが出来た。



実は今回、車椅子の小さな前輪だけ交換しておいたのだ。

以前使っていたダンパー付きのもの。

現状よりも少しタイヤも大きいので路面の影響を受けにくい。

それがその石畳で効果を発揮した。

いや、石畳だけでなく舗装路全般にその効果はあるのだけれど、特に石畳ではその恩恵を受けた。

ダンパー付きで車輪も大きく接地面も大きいから車椅子の動きは少し重くなるけど、転倒のリスクを減らし、路面の段差に対して減速をせずに走れることを考えれば、僕にはその方が効率的だという判断による交換だった。



石畳を終えると最初に超えた橋のアーチ。

このタイミングでこの登りはしんどいぞ!と思いながら必死でこぐ。

そして下る途中での右折箇所。

ある意味ここが今回の一番の思い出になった。

下りの勢いは殺したくない、でも曲がる為には減速しなきゃならない。

遠心力も働くから体重移動もしなきゃならない。

右手はより強くブレーキをかけながら曲がっていく。

すると、自分が思っているよりもラインが膨らんでいく。

結構ギリギリのラインになったと思った。

車椅子マラソンでもコーナーでの転倒シーンを度々見たことがあるけど、それが良く理解出来た気がする。

調子に乗って下っていると、かなりの大きなリスクになるし、周囲に迷惑をかける結果を生むなと痛感。



そして見通しの良いフラットな直線に。

ある意味初めて気兼ねなく両手で真っ直ぐにこげた箇所だった。

気持ちよく走れた。

登りで遅れた分を取り戻すつもりでこいでいった。

一般ランナーを抜くことも出来た。

皇居前のフラットな箇所と同じ感じの気持ち良さ。

そして4kmを過ぎて、スピードが乗ってきたところでまたカント発生。

そして減速(笑)

さらにそこから登りと、カント(しかも結構ある)とが重なる箇所が。

シケイン状に折れ曲がった登りで、その曲がる角それぞれにカントがある状態。

最終局面でこれはしんどいぞ!

と思いながら必死でこぐ。

登ると今度は下る。

そこでまた右折箇所。

しっかり減速して、体重移動もしつつ(でないと、タイヤを空転させるとブレーキも効かない)進行方向を変えて、段差を注意しながら競技場へ帰ってくる。

一般ランナーをアウトから抜きにかかる(笑)

ラストスパートは出来たけど、そこで必死になるのはちょっとカッコ悪いかなと思ったので(笑)、クールに、スマートに、あくまでもマイペースに淡々とこぎ続ける。

そして今度は別のランナーを抜こうとした時、横に並んだ瞬間そのランナーのペースが上がる。

ちぃ!と思った(笑)



そしてゴール。

無事に走り終えることが出来て良かった。

そして、その足で車椅子屋さんに向かい前輪を元に戻してもらう。

翌日からは練習を予定しているので、それに支障をきたしたくないから。



普通に街を走る時、例えば信号待ちなどで止まって水を飲むような瞬間がある。

一呼吸を入れることが出来る。

でも、こうした大会の場合はそれはない。

だから、一呼吸を入れずに走り続けるか、あるいは、自分の意志で立ち止まるかの2択になる。

僕は学生の頃からそうだったけど、途中で歩いたり止まったりするのはかっこ悪いことだと思っている。

だから、よほどのことでもない限り止まらない。

結果的に歩くような遅いペースになったとしても、とにかく走る気持ちでこぎ続ける。

自分に負けずに前に進み続ける。

それをモットーにしている。

今回もそれを実行できたのは良かった。

ただ、もう少しクレバーに走ることは出来ると思うし、そうすることでより効率よく上手に走れるんじゃないかとも思った。



車椅子屋さんでも「日常車で5kmはしんどいですね」と言ってもらえたけど、それで得られるものもその分だけ大きいと思っている。

自身のトレーニングの効果を実感出来たし、逆にどの個所に課題があるかも確認できた。

車椅子で走る僕の姿はそりゃぁ目立ったと思う。

僕を追い抜くランナーの方々からも声をかけていただいたし、沿道のスタッフの方もそう。

「え!?車椅子!?」と声を上げる子供たちも複数いた。

ニュースや記事で見るのではなく、その姿を目の当たりにするからこその影響力だろうし、それが今後の社会のプラスになればとも思っている。



先月フィンランド大会を終えてから、慌ただしい時間はこれでようやく一区切りを迎えることが出来た。

ここからは来月の全日本に向けてより集中して活動していく。

心配なのは今日の身体への負荷(笑)

走り終えた時点で「あ、こことここ」と言った感じで通常ではない疲労感を覚える。

日常生活に支障をきたすような筋肉痛もある(笑)

車椅子屋さんに向かうときも、動きがおじいちゃんのようになっていた(笑)

でも、それだけ良いものを得ることが出来た。

身体への負担があったとしても、それは思考と感情でおつりがくるほど補えている。

さぁ、明日からまた頑張っていこう。

走り終えた爽快感、達成感というのは他に例えようのないものがある。

5kmだけだけど。

そう考えると、車椅子マラソンや陸上の選手達って言うのはとんでもないアスリートだと思う。

今回僕は5kmを大体35分くらいで走ったと思う。

車椅子マラソンは42.195kmを1時間半くらいだから、とんでもない。

その時間ずっと腕を動かしてこぎ続けるのだから、それは物凄いこと。

そんな彼らをリスペクトしつつ、僕は僕のステージを精一杯こぎ続け、前進していこうと思う。

今日は帰宅してから食べたピオーネという黒ブドウがやけに沁みたのだった(笑)

「共生社会」を考える

2022年10月03日 22時17分33秒 | 日記
先日、このことについてパラスポーツと関連付けてお話しする機会をいただいた。

「共生社会」と「パラスポーツ」を紐づけて、というか、くっつけて考えるのは簡単なこと。

人それぞれだとは思うけど、その2つには「障害者」という共通の絶大的なキーワードが存在するので、それを結びつけることはあらためてどうこう言うようなことでもないように思う。



じゃぁその「共生社会」そのものを、もう少し考えなきゃいけないんじゃないの?

と、講演を終えてからふと思った。

「共生社会」という言葉が独り歩きしていて、それを当然のように「理解しているつもり」になっているけれど、果たしてその内容とはいかに?一旦立ち止まりあらためて考える必要があるのでは?と思ったから。

なのでそれを綴っておきたい。

一応の備忘録として。



「障害者」をテーマに「共生社会」を考えた際、誰もが思い描くであろうイメージは「公平」とか「平等」とか「差別なく」といったものだと思う。

まさに「ノーマライゼーション」で、その根底には「障害者にも平等の権利を」という考えがあるからでしょう。

障害者の立場からすればそれは実にありがたい考えで、社会弱者にとっては心強く励みになるテーマであり、誰もが早期の実現を願うものだと思う。



でも、「共生社会」と「ノーマライゼーション」というのは、僕は少し違ってるんじゃないのかな?

と思うのだ。

「共生」のそもそもの意味をググってみたら、「異なる種類の生物が、生理的あるいは生態的に緊密な結び付きを保ちながらいっしょに生活している現象。(日本大百科全書(ニッポニカ)「共生」の解説)」となっていた。

で、「共生」はそこから更に細分化されていた。

まず、共生者の双方が生活上の利益を受ける場合は「相利共生」となるらしく、どちらか一方だけが利益を受けて、もう一方は利益も不利益もない場合を「片利共生」、一方は利益を受けてもう一方が不利益を受ける場合は共生ではなく「寄生」になるらしい。

さらに、「2種類の生物が単に同じ生息場所にすんでいる場合は共生とはいわない」のだという。

それを踏まえた上で「共生社会」を考えてみる。



今日本が目指す共生社会。

その中で障害者のあるべき姿とはどれがイメージされているのだろう?

社会に対して、僕ら障害者は「相利共生」の存在になれているのだろうか?

なれるかどうかは別として、でも僕らがそこを目指さなければ、本当の意味での共生社会にはならないんじゃないだろうか?

「私は社会弱者だから仕方ありません」では相利共生の関係は築けない。

相利社会の一員になれるように、誰かがそうしてくれるのを待つのではなく、自らがそうなれるように努力するのが本当の意味での共生社会なんじゃないだろうか?

自分達の権利を主張するだけでは不十分で、権利と共に責任と義務を負うからこその共生社会となるはず。

「片利共生」の場合、相手の忖度が無ければその関係は続かずに、いずれその関係は切られてしまう。

雇用の関係がそうだ。

不利益は生まないけれど、利益も生まない存在はゼロではなくマイナスに捉えられる。

どちらかが「してあげる側」でもう一方が「してもらう側」であり続けるのであれば、それは今求められている「共生社会」の本来の姿ではないように思う。

それは片利共生でもなくむしろ寄生になりかねない。

自らの権利を主張することが悪いことではない。

でも、権利を主張するのであれば自らが負う義務を果たせ。

義務を果たすから権利が認められる。

と、子供の頃に父から教わった。

共生社会の目指すべきは、正しくは「相利共生」のはずなのだ。

片利共生や寄生が許される関係であれば、おそらくそれは上下の関係。

強く言えばペットと飼い主のような主従関係であり、平等な関係ではなくなると考える。

繰り返すが、目指すべきはそれではない。

少なくとも、僕はそれは嫌だ。



じゃぁ、障害者の僕らは「共生社会」の実現に向けてどういうアクションを起こせばいい?

障害者の僕らはどうあるべきなのか?

そこをしっかりと見定めたうえで「共生社会」を訴えなければ、目指さなければ、気が付いたら誤った方向へ進んでしまっていたということになりかねない。

障害者がただ自分の権利を訴えるだけの「共生社会の実現」は駄々っ子と同じだと思う。



結論からすれば、「胸を張れる社会人であれ」ということか。

「自立」を目指して頑張っていく。

僕らがその意志を持って頑張っていかなきゃ、いつまで経っても社会におんぶにだっこのままだ。

大切なのは出来るかどうかではなく、そうやって頑張っていくかどうか、そういう姿勢であるかどうかにあると思う。

でなければきっと、障害を言い訳にしてしまう。

障害があるから出来ませんではなく、どうやったら出来るのかを考えて行動することが大切なんだと思う。

そういう障害者はかっこいい。美しい。

そういう障害者だからこそ、「共に生きていこう」と思ってもらえるはず。

そういう「人」だからこそ、応援してもらえる。親身になって助けてもらえる。

もし、頑張っているけど出来ないってことがあれば、そんな時は、何か困ったことがあれば、手伝ってもらえばいい。助けてもらえばいい。

そして、それに対して感謝の気持ちをきちんと伝えればいい。

逆に、相手が困っていれば何か自分に出来ることをして助ける。

ほんの些細なことでいい。

物理的に「何かしてあげる」のではなく、話を聞くだけでもいい。

それで相手が「気が楽なった」と言ってくれれば、それで十分に「助けた」ことになるし、「支えている」ことになる。

あなたの存在を感謝される。

そういうことは身体に障害があったって問題なく出来ることだし、そういう関係性は誰にでも築くことが出来るはず。

そこに障害は関係ない。

そういう関係が共生社会っていうんじゃないかなと思う。



知的障害や精神障害の場合はまた異なるだろうから一概に言えることではない。

でも身体障害の場合は大半がそう取り組めると思う。



「共生社会」の正しい在り方を今一度確認すべきタイミングなのかもしれない。

これから行動制限もどんどん解除されていき、社会がより大きく動き出すだろうからこそ、その前に確認しておかないと、この先で「あれ?」となるかもしれない。

共生社会もバリアフリーも、社会や健常者が障害者の為に動くだけでなく、障害者側からも同じ目的に向かって動いていかなきゃダメだと思う。

トンネルは双方向から掘ったほうが早く貫通する。

そのトンネルは誰の為?何のために掘ってるの?

そっちからは掘らないの?

それに対して、「障害があるから出来ません」と言われるのと、「出来るだけ頑張ってみます」というのでは、与える印象が全く異なる。

前者であれば、掘ってくれてる方々のモチベーションはガクンと下がって然り。

それが人間社会だと思う。



なんてことを考える。

僕を含め一人一人が出来ることは全体からすれば極々わずかなもので誰も気づかないような些細なもの。

選挙の一票と同じ。

でも、チリは積もって山になり得るのだ。

山は異次元から突然現れるものではない。

この世に存在するものが積み重なって形となるのが山なんだ。

ひとつのきっかけ、僅かな動きがやがて流れを作って大きな力になる。

歴史を鑑みれば革命と言われるものがまさにそのようだ。



と、自分なりに共生社会を考えてみる。

この考えは時間が経てば変化しているかもしれない。

社会の変化と共に大きく変わるかもしれない。

いずれにしても、自分のライフスタイルは変わらない。

信念を持って生きていたいと思う。

カッコいい障害者でありたい。

障害者っぽくないチェアウォーカーでいたい。



さぁ、これからの日本社会がどのように変化していくのか。

これは対岸の火事ではない。

私事として日々意識しながら、当事者として考えながら、毎日を過ごしていきたい。

そうやって常に感謝の気持ちを持って謙虚に真摯に活動を続けていく。

共生社会の実現の為に、微力ながら僕も頑張る。

僕の微力でも、それはここに確かに存在している。