車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

皇居ランの後遺症(笑)

2019年01月31日 21時06分38秒 | 日記
いや、あまり笑えないのだけれど、どうやらあの時の負荷が身体にとっての不良債権となっていたようだ。



それは身体の2か所に及ぶ。



ひとつはプレーに直接関わる箇所で、自分では気づかないものの、コーチから見れば一目瞭然だったらしく、その影響は物凄く大きなものだった。

もう一か所はプレーに直接の影響はないものの、もしそこが痛み、状態が悪化しようものなら日常生活においてはかなりよろしくないぞと思える部分だし、そうなるとプレーにも絶対的に影響を及ぼすところ。

だけど、プロのドクターの施術を受け、一発完治(笑)

前者の箇所は施術後、コーチと練習をすれば「戻った!」とお墨をいただく。

後者の箇所もその瞬間から状態が全然違っている。



プロって本当にすごい。



僕自身ではその変化に気づいていないのに、その体の動きの違いを一発で見抜くコーチもさすが。

普段の練習を見てもらっているので、その変化にはより敏感だし、何よりも、技術も経験も意識も高いプロコーチだからこそ、そうした些細な変化を見逃すことなく指導、注意喚起をしてくれる。

ドクターも、僕が何も言わずとも、僕の体の変化、違いに気づいてくれるし、その注意喚起や修正を施してくれる。

意識の高いプロフェッショナルだからこその、レベルの高い指導があるわけで、僕はすごく助けられているし、恩恵を受けている。



で、皇居ランの負の遺産。



結論からすると、やり過ぎたのだ(笑)

中長距離を走るのは嫌いじゃないし、むしろトレーニングとして必要なこととも思っている。

でも、トレーニング全体を俯瞰すれば、ただその距離を走ればいいというのではなく、その走り方が重要になるということ。

それを誤ってしまったから、今回のこういう状況になってしまったのだと、それこそ痛感。

まだ修正がすぐに効く状態だったから良かったものの、そうでなければ大変なことになっていてもおかしくない。

自分で言うのもなんだけど、これは普段のトレーニングの成果だとも思うし、これまでに学んだケアがあればこそだとも思う。

そこにプロの仕事があったから最悪の事態を避け即座に回復でき、今こうして客観的にブログに綴れているのだ。



皇居ランには、そこにしかない特有の楽しさ、気持ちよさがある。

それを楽しむのは良いと思う。

でも、自身の活動を考えれば、それを楽しむのは二の次にして、まずはもっと効率の良いトレーニングを行っていく必要があると分かった。



ただ走れば良いだけじゃない。

もっと細かく考え、自分の趣旨に合ったトレーニングとして、走るならそのコースも考えなきゃいけない。



今回の負荷がオーバーワークとなったのを反省し、走るのは控えようかなと思ったけれど、「あのコースならもっと効率よく走れる」というところを思いついた。

あとは、そのタイミングを図って走らなければならない。

試合前にそれをしちゃぁ良くないし、試合前の調整に影響を及ぼすようなタイミングも好ましくない。

また、陸上選手のようにレーサー(と呼ばれる競技用車いす)で走るのではなく、あくまでも日常用の車椅子で走るわけだし、姿勢も違えばグローブだって違うのだから、手だけでなく身体全体にかかる負荷も違ってくるし、競技の特性ももちろん異なるので、そういった点も考慮しつつ行わなければ、ただやみくもに走るだけでは逆にマイナスの結果を生むことにもなりかねない。

全てはちゃんと考えて行う必要があるということだな。



それにしても、プロフェッショナルが身近にいて本当に良かった。

すごくありがたい。

支えてくれて、時に導いてくれて、時に背中を押してくれる。

その期待を裏切らないよう、しっかりと取り組んでいく。

そして、それを結果に結び付けていく。



指導してくれる方々が、「あいつは俺が教えてやってるんだよ」と自慢できる選手でいたいし、そうなりたい。



その為には、ちゃんと考え、頭を使って活動し、心技体を高いレベルで兼ね備えた選手である必要がある。



よし、頑張ろう。



ただ頑張るだけでなく、品行方正を心がけ、コートに立つ時も、プライベートで街を歩く時も、いついかなる時も褒めてもらえる人間でいなきゃいけない。



口ではいくらでも言えるんだけどなぁ(笑)

とにかく、まずは頭も使って考えながら真摯に取り組んでいく。

勉強することは山ほどあって楽しい!

物理的要因

2019年01月29日 21時59分41秒 | 日記
全ての物事には物理的要因が存在すると思う。

いや、心霊現象とか、第六感的感覚とか、そういうものを否定するつもりはない。

でも、世の中に起こることの大半は、物理的要因を伴うものだと思う。



こと、スポーツにおいては。



テクニカル、フィジカルの部分は誰もが認めること。

用具の良し悪しなんて露骨なもの。

ではメンタルは?

その部分は本人のみぞ知る感覚的なものなので、一概に物理的とは言い難いように思える。

でも、物理的に解決させることのできるもの、物理的要因で解決の糸口を掴めるものでもあるようだ。



その話をすると長くなるので端折る(笑)



大切なことは、より広く深く学ぶこと、知ることで、より理解を深めていけば、ぼやけるようにしか見えていなかった困難なことが、より鮮明に、明確に、立体的に見え、そうなると困難なものではなく「解決できること」として認識できるようになるということ。

そうなると、その解決の糸口は「物理的」なものとして捉えられる。



大切なことは常に広く学び、知識を高めていき、でも常に謙虚に、識者と交流を持ち、学を高めていくことだと知る。



「学盗人」という言葉があると聞く。

本などから知識を得、でも他者と交わることをせず、自分だけ勉強したつもりで偉くなったようにいる人のことを言うらしい。

「学」とはそうではなく、得た知識は人と交流することでより高まり昇華していくものだという。



卓球にも同様のことがいえると思う。

自分だけ勉強したつもりになって、自分よりも卓球を知らない人とばかり交流し、その人たちには上から目線のように先輩面して接するけれど、自分よりもレベルの高い人との交流は自尊心からか避けるというような人も時々見受けられる。

ある意味、日本の村社会主義を象徴するかのようなものかもしれない。



広く学び、広く交流をすることで、より大きな知識を得、大きな世界を知ることが出来るはず。

そうなると、それまで超常現象に思えていたことが物理的なものだと知ることが出来るのだと思う。

人類の歴史がその連続だから。



2013年から始めたパラ卓球。

あの時出来なかったこと、出来ないと思っていたことが少しずつでも出来るようになっている。

「こうやれば出来るんだ」

「あれ、出来るようになった」

ということもあれば、

「あぁ、なるほどね」

と、案外簡単なことに思えるものも出来てきた。



勝負の一年はスタートしている。

取り組むべきことはどんどん細分化され、より質の高いものになっている。

逃げることも出来れば妥協することもできる。

やったふりだけすることも簡単なこと。

でも、周囲は騙せても自分にだけは嘘はつけない。

かっこ悪いのは嫌だ。

せめて、常に胸を張れる自分ではいたい。

だから、出来ることは出来るだけやっていきたい。

常に謙虚な姿勢で学ぶ意識を失わずに、努力を重ねていく。

結果はその後についてくる。

努力が足りなきゃ結果は出ない。



僕が選択した道は間違っていないと確信している。

ただ、他よりも困難が多いだけ。

それは最初からそのつもりでいるので大丈夫。

それを評価し応援してくれる方々が周りにはたくさんいてくださるので、僕はすごく恵まれている。

だから、物理的な解決方法を知ることが出来るのだ。



さぁ、いこう。

目の前に道は伸びていない。

自分で切り開かなきゃならない。

でも、僕には進むべき方向ははっきりと見えている。

結果的に、道はこの足元から伸びているのが分かる。

前へ進むのが楽しくて楽しくて仕方ない。

さぁ、明日もまた前進していこう!

積み重ねるべき練習とは

2019年01月24日 22時07分42秒 | 日記
多分、卓球をやっている人はみんな卓球が好きな人。

プロになって、それを生業としている人も、好きだからそうしているのだと思う。

日の丸を背負って世界を舞台に頑張る人も、趣味として地元の大会を中心に頑張る人も、みんな好きなんだと思う。

好きなことを仕事として生きていくことが辛くなって、その道を降りる人もいるだろうけど、そのことと好きかどうかは別問題。

卓球をやってる人はみんな好きだからやってるのだと思う。



それが問題なんだ。



今日、練習をしていて、あらためて思った。

好きな卓球をやるから、やりたいから、誰しも好きな練習ばかりをしがち。

嫌な練習、きつい練習はしたがらない。

それじゃぁ上達スピードは上がらないんじゃないの?

と。

自分自身を振り返ってみて、あぁそれじゃぁダメだなと思った。



台でボールを打つのは楽しい。

強打を気持ちよく打つと心も晴れ渡るし、誰にでも勝てる気がしてものすごく気分がよくなる。

だから、みんなそういう「練習」をしたがる。

でも、本来の練習はそれだけじゃぁないはず。

もっと地味で、きつくて、辛くて、ストレスを感じるようなものも多々あって当然のはず。

一人黙々とやるサーブ練習なんてその典型だ。

ボールを打つだけじゃない。

筋トレとか、ランニングなんかも同様。

さらには、卓球場の掃除や台の拭き上げなんかも含まれると僕は考える。



練習は必ずしも楽しいものではない。

でも、そこに楽しさをみつける、その辛く厳しいことを楽しめるかどうかが道を分けるのだと思う。



楽しくない練習。

辛く厳しい練習。

それを熟して、乗り越えて、その向こう側の景色が目に入ったその時、自分の成長を実感できるのだと思う。



辛く厳しいからこそ、肉体的にも精神的にも疲労を感じるもの。

それにはそれ相当のケアも大切。

筋肉は繊維を破壊することでより大きくなっていくらしい。

人間の成長がそうだとすれば、がっつり負荷をかけて疲れさせて、しっかり栄養を取って休ませて、また負荷をかけて・・・その負荷に慣れてきたら、負荷をより大きくして・・・の繰り返しなのだな。



楽しい練習だけに甘んじない。

都合のいい練習だけをしない。

全てを客観視して、成長のためにマネージメントして、自分を俯瞰して取り組んでいく。

一朝一夕では出来ない。

毎日の地味な積み重ね。

少しずつの積み重ねが高さを生む。

積み重ねたものは自分を裏切らない。



辛く厳しく、楽しくない練習であっても、歯を食いしばって頑張っていこう。

楽しいことと楽しむことは全然違うのだから。



と、自分に言い聞かせる。

僕は卓球が好きだ。

好きだから、辛い練習にも耐えられる。

厳しく思えても歯を食いしばって頑張れる。

いや、まだまだそんなレベルの練習には至っていない。

だけど、楽しい練習だけをやるつもりはない。

好きな気持ちはだれにも負けない。

そんな強い気持ちがあればこそ、耐え抜ける強さもあるのだと思う。



そうやって自分を磨いていきたい。



昨年からの疲労は今ピークを迎えているように思える。

でも、やることはやる。

故障しない程度に。

もう少ししたら一息入れよう。

その先の未来のために。

それまではしっかりと走り続けよう。



僕を厳しく導いてくれるコーチや周囲の方々に深く感謝。

その感謝の気持ちは結果で表したい。

さぁ、頑張っていこう!

オーバー・ロードとオーバー・ワーク

2019年01月22日 21時48分18秒 | 日記
僕には複数のジャンルの、その道のプロのアドバイザーがいてくださるのだけれど、今日、身体の面でお世話になっている先生にご指摘いただいた。

「オーバー・ワークですね」

とのこと。

要は「やり過ぎ」らしい(笑)

いや、笑ってられない話だ。



身体をチェックしていただいていて、いつもと少し違う点に気づいていただく。

さすがプロ。

だから尊敬できる。

信頼できる。

だからお世話になりたいと思えるのだな。

・・・話が逸れた。



ここ数日間、身体が重かった。

調子が良くなかった。

動かないわけではない。

重いのだ。

12月のタイから帰国して、年明け早々に大切な試合もあったりしたし、その後も新たな練習メニューを始めたりと、本当に完全なオフを取らずにやってたのもあって、「あぁ、疲れがたまってるのかな」と思っていたのだった。



「オーバー・ワークはパフォーマンスを下げます」

というのは耳にはしていたけど、それを体感したことはなかった。

いや、今思えば、そういう状態には度々あったのだと思う。

でもそれを分かっていなかったから、気づいていないだけだったのだと思う。



正直、自分自身の感覚は学生の頃と何ら変わってはいない(笑)

年齢による老いとかハンディキャップを感じたことは今まで一度もないし、それを口にすることもない。

それは言い訳だと思っているから。

だから、あの頃の感覚で何でもやってしまう。

「一晩寝れば」

と思ってしまうのだ。

それが危険なことだと最近は理解でき始めた。

あくまでも客観的視点でだけど(笑)



身体を動かす、必要な栄養素を取る、そして体を休ませる。

もちろんメンタル面も同様だ。

それらすべてをマネージメントしなければ、トレーニングの効果は発揮できない。

「効率よく」

行うこと。

世代的には「根性論」を優先するし、僕もそれが好きだけど、そればかりではダメなことも理解しているつもり。



「ちゃんと休むこともしてください」



はい、そうします。

でもね、「今頃あいつは・・・」と考えると、そりゃぁ不安で仕方ないし、そうなると居ても立ってもいられなくて、不安を解消するためにも身体を動かしたくなるものなんですよ。

多分、みんなそうなんだと思います。

そうでなければ、相当のメンタルの強さですよ。



自分が目指すところはどこなのか?

そこへたどり着くために、何をどうすべきなのか?

その為のマネージメントをしっかり行っていきます。



根性論によるオーバー・ロード美学。

否定はしない。

でも計画性が必要。



身近にプロがいてくれて本当に良かった。



有資格者とか、僕はそういうところで人を評価しません。

あくまでも自分の目で見て判断します。

「あぁ本物だ!」

と思える人こそが僕にとってのプロフェッショナル。

自分の価値観でしかないけど。

だけど、資格を取ることをゴールとしてしまう人が少なくないのが現実。

そこからが本来はスタートで、その先にはずっと険しい道があるし、あるいは道なき道を進まなきゃいけないのだけれど、僕はそういう方々の背中を見て育ってきたので、それを美徳とする癖があり、だからこそそういう人を好んで選ぶのだと思います。



そういう方々に今も出会えることの幸せなこと。ありがたいこと。

自分もそういわれるように、恥ずかしくない取り組みを行っていかなければなりません。

一歩一歩というけれど、そんな悠長なことも言ってられないので、足早の大股歩きで、でも無理することなくマネージメントし、確実に前進していこうと思っています。



今年に入ってから、新たに気づく、学ぶ大きなことが重なっています。

それらを消化吸収し自分のものにする。

その先に僕の進みたい道が伸びているのだし、それが僕の大きな一歩ともなるはず。



さぁ、計画的に、だけどがむしゃらに、一生懸命に、自分を甘やかすことなくしっかり頑張っていきます。

まずは、早く寝よう(笑)

皇居ラン 2019

2019年01月14日 23時29分44秒 | 日記
大手町のジムでフィジカル・トレーニングの講義があったので、その後に皇居を1周してきた。

一年に一度は皇居を走るようにしている。

なぜ?

うん、単なる思い付き(笑)

でも、卓球を始める前から「車椅子で皇居を走る」というのを目標にしていた。

その当時、勤務地が丸の内というのもあったからだと思う。



それで、卓球を始めてから、ダイエットにも成功し、フィジカルにもある程度自信が持てたところでチャレンジし、それ以来毎年必ず走るようにしている。

1周約5km、1/3が上り、1/3が下り、残る1/3がフラットなコース。

自分をチェックする為に走るような感じ。

幅の限られた歩道で、歩行者も少なくないし、走るランナーやジョガーには後ろから追い抜かれるから、前だけでなく後ろも常に意識していなければならない。

また、車椅子であるがゆえに、足元(路面)も絶えず意識していなければならない。

というのは、わずかな段差で躓いて、前に転倒などということも大いにあり得るから。

歩道に上がる段差、木の根が押し上げたアスファルト、点字ブロックや路面の継ぎ目やくぼみにもタイヤを取られたりするので、そういう個所も見落とさないようにしなければならない。

さらには、前後ではなく左右の路面の傾斜にも注意が必要で、その傾斜で車椅子の向きが変わってしまうし、方向の修正には減速が生じてしまう。

そういった場合、後方から追い抜きをかけるランナーの迷惑になりかねないし、急な減速や進路変更などは他のランナーの迷惑や危険行為にもなるので、後方確認をしつつ、タイミングを見ての減速やライン取りが必要になる。

また、歩行者を追い抜く際にも同様で、後方確認と路面の確認をし、タイミングを見極めたうえで、上り坂でもその時は猛ダッシュで追い抜く。



そんな感じだから、ただ体力があればというだけでなく、ある程度のチェアスキル(車椅子操作)も必要不可欠になる。



だからこそ、自分を確認するのに都合がいい。

それがちゃんと出来ているか、その時そう出来る力があるか。

以前と比べてどうか。

だから、毎年一度は走るようにしている。



今年は、軽めとはいえフィジカルトレーニング後のランニング。

腕立て60回やダンベルやチューブでのトレーニングもいくつかやった後だった。

でも、その疲労感は全くなかったし、走り始めも軽やかに感じた。

去年よりもより軽やかだったし、特に上り坂も余裕をもって登れた。



僕はジョギング・ペースは嫌いなので、走るときは自然とほぼマックスのペースでこいでいる。

レースではないからペース配分なんて気にしない。

その時の自分試しなので全開でいく。

間違いなく、去年よりも良い。

チェア・ワークも自分なりとはいえ機敏に操作出来ていた。

フラットなところも、去年よりも良い感じで走れていた。

体力の向上には自信が持てた。



長距離を走るのは忍耐力を養うことにもなるという。

5kmで長距離なんて言うと笑われるけど(笑)

でも、その走り方によってはフィジカル的にはマイナスになりかねないらしい。

それもちょっとは頭の隅で意識しつつ、あくまでもトレーニングの一環として走る。

実に気持ちよかった。



路面状況も様々な箇所がある一般の歩道だからこそ、トレーニングになるのだな。

恥ずかしながら、翌朝から両方の三角筋、右側の僧帽筋、左の上腕三頭筋が軽い筋肉痛。

トレーニングもあったからだと思う。



ジムのトレーナーの先生からも、僕の身体の動きの成長を褒めていただいた。

「前よりも良くなってますね」

と度々言っていただいた。

プロのトレーナーの言葉なだけに、それはものすごい励みになる。



試合が近いとなかなかこういったトレーニングは出来ないけれど、出来るタイミングで必ずやっていきたい。

その時の自分を確認するために。

過去の自分よりも今の自分の方が勝っているのだと確信するために。

胸を張るために。



今年の遠征は早ければ3月にスタートする。

それに向けて既に走り出している。

もちろんスプリント・ペースで。

今の僕には多角的にプロフェッショナルの方のサポートがついている。

チーム・ワタナベとでも言えるような体制が整いつつある。

まだまだ足りない部分もあるけど、まじめにしっかりと、周囲から評価していただけるような活動を行い結果を出していけば自然と、その足りない部分は補えてくるものだと思う。



さぁ、毎日毎日を計画的に過ごしていこう。

積み重ねていこう。

扉はもう開きかけている。

向こう側の光はこぼれ始めている。

この暗い部屋には眩しい光が差し込んできている。

と、自分を鼓舞しつつ、頑張っていこう(笑)



3月までにもう一か所、皇居よりもハードなところを走るつもり。

それも自分ルール。

今年の自分が楽しみ。