車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

健常者の卓球仲間との熱い卓球談義

2019年05月28日 23時43分46秒 | 日記
時折ここでも書いているとおり、僕はいつも健常者の方々と練習をしている。

コーチ陣をはじめその皆さんは僕に出会うまで車椅子での卓球はおろか、パラ卓球を見たことが無いという方ばかりだった。

でも、自分で言うのもなんだけど、その輪の中に加えていただいている。

「仲間」として認めていただいている。

最近は自分の練習だけでなく、その仲間の皆さんの練習相手として打たせてもらうことも度々ある。

「良い練習が出来た」

と言っていただけるから、僕にとってはそれが最高の誉め言葉になる。



そんな卓球仲間と、練習の後で食事を共にした際のことだった。

車椅子はもちろん僕一人。

あとはみんな健常者。

その卓球談義に加えていただけるのがまた心底嬉しいのだ。

で、その会話の中で「車椅子の卓球」という話題が出た。

「前にテレビで見たけどさ、車椅子の選手って、ボールをポコーンと上にあげて、相手の手の届かないところに落として点を取りに行くでしょ。しかも(バックスピンで)戻ってくるようなボールで。あんなのはさ、俺らの感覚だと、『ずるい』って思うわけよ。渡邊さんはどう?」

「ポコーンと上にあげて入れば1点。入らなければミスで失点。そんなんで点を取る試合は納得いかないのよ。同じ卓球としてね。」



このコメントを読んだ車椅子(に限らずパラ卓球関係者)で異を唱える方は少なくないかもしれない。

別に僕はこの考えの是非を問うつもりは毛頭ない。

考え方やスタイルは人それぞれ。十人十色で良いと思う。



じゃぁ僕はというと、その意見に賛成。

なぜ?



そもそも、スポーツは勝負の世界。

勝たなければ意味がない。

その為の効率的な手段なのだから、それを否定するのは間違いではないか?

という方も少なくはないと思う。

「相手の弱点を攻める」のはむしろ正攻法だし、日本には古くから「勝てば官軍」という言葉もある。



でも、僕にはずいぶん昔のこととはいえ、健常者での卓球の経験がある。

点を取るのはスマッシュ(などの強打)ということこそが正攻法だと思っている。

そういう「技」を出すことなく、相手の弱点ばかりを攻めて点数を重ね勝利する試合、おそらくほとんどの選手は試合後に自問自答すると思うし、チームメイトに笑顔で胸を張ってベンチへ戻ることは出来ないと思うのだ。

日本にはやはり古くから「武士道」という価値観が存在している。

「道」という、ある意味日本オリジナルの美学だと思う。

結果よりも、その行いの美しさ、潔さを良しとする美学だと思う。

だから、死んでしまったら元も子もないのに「切腹」なんて行為まで存在するのだ。

だからこそ、日本人として「やぁやぁ我こそは!」と正面から、正々堂々と潔い戦い方をするという美学、それを無意識のうちに持っている国民だからこそ、例えそれが効率的であったとしても、それを『ずるい』とする価値観も有していて、得点という結果よりもまず美しい所作を優先するのだと思う。



かつての世界チャンピオンであり、国際卓球連盟の会長も務められた荻村伊智朗氏は、「卓球とは打ちぬいて点を取る競技」だと説明されていたそうだ。

だから、日本卓球の歴史を顧みれば、より多くのスマッシュを打つために?「オールフォア」と呼ばれたプレースタイルが主流となっていた時代もあった。



やはり、打ちぬいて点を取る、それこそが僕も理想であり、本来の卓球だと思うので、まずそれがあって初めて卓球たり得るのだと考える。


日本人の「卓球道」にはそういう美学があって、であればこそ、車椅子特有のそういったプレーを必ずしも「素晴らしい」と心から評価できない価値観が存在しているのだ。



であれば、そのようなプレースタイルで世間一般の日本人の応援や協力、声援を得ることが出来るのだろうか?

「パラ卓球をもっと知ってもらいたい」

と、何かしらの周知活動を行ったところで、そこに魅力を感じるものでなければ興味は引かない。

逆に「あれはどうなの?」と思われるようなものでは、むしろ知られないままの方が良いのかもしれない。



「障害があるけど頑張ってます!」にも、評価されるためにはそのベクトルも大切なのだな、きっと。



結論からして、僕はその場にいてよかったと思った。

そんな価値観を持つ方々と練習をし、時間と空間を共有できていることに喜びを覚える。

というのは、僕もまさにそういう価値観を持つから。

車椅子だから当然できないこともある。

でも、自信をもって出来ることもたくさんある。



「車椅子だから出来ないと思っているんだろ?だったらほら、かかって来いよ、やり返してやるから」



健常者の美学にかなった車椅子卓球で勝利する。

それこそが、僕がお世話になっている方々への恩返しにもなる。

「綺麗な卓球」で大いに結構。

武士道精神にゲリラ戦という文字はない。

それを全否定するつもりはないけれど、主軸を置くべきところを間違えないように、心技体を磨いていく。



卓球が楽しくて楽しくて仕方ない。

さぁ、自分磨きを怠らずに、目標に向かって前進していこう!

モチベーション維持

2019年05月21日 00時09分57秒 | 日記
実は今年、海外遠征に関しては非常事態が発生している。

例年のように、希望する国際大会へ希望通りに行けなくなっているのだ。

それは、開催国協会から各国の協会へエントリー数が「いくつまで」と制限された状態となっているから。

明確な理由は分からない。

パラ選手の場合、特に車椅子選手となると、宿泊施設や送迎手段も限られてきて当然なので、そのキャパにも限界があるだろうし、パラリンピック前年となるワールドツアーでは特に各国のエントリー数も増加して不思議はないので、公平を保つ点から国際卓球連盟がそういう判断をしたんじゃないかなぁと個人的には思っている。



それは仕方のないこと。



だけど、選手としては、チャンスが限られてくるわけだし、その僅かなチャンスに向けてしっかりと取り組んでいなければならない。



ただ、試合が目の前にないと、次の大会が明確ではない状態だと、試合に向けて行うはずの練習が、練習のための練習になりがち。

「打って楽しい練習」だけをし兼ねない。

それが超危険。



そんなのは単なる趣味や運動でしかない。



練習をして、積み重ねたものを「試す」場が必要不可欠で、それを試し、評価と改善をして、再度試す・・・

僕の今はその「試す」が乏しい状態なのだな。



ということで、武者修行に行こうかなと思う。

といっても実際の試合とは異なりあくまでも練習でしかないから、それ以上のものは望めないだろうけど。

でも、いつもと違う相手と打つことで、試す場は得られるはず。



出来れば、海外の選手と打ちたい。

海外へ練習に行きたい。

でもさすがにパラ前年はどこもナーバスになっているはずだし、自分にそれだけの価値が無ければ受け入れてももらえないはず。



とにかく、いろんな人と打って、いろんな技を試し、質を高めていくしかないのだ。



幸い新しいアイデアはどんどん浮かんでいるし、それを行動にも移せていて、今現在の活動はとても充実したものになっている。

先が楽しみで仕方ない。

でも、積み重ねたつもりのものがちゃんと積み重なっているのか、有効なものなのかをちゃんとチェックし調整していかなきゃならない。



無いものねだりとか強欲だと言われるかもしれないけれど、「世の中の 人は何とも 言わば言え・・・」ってやつで、僕は目標をもって活動しているわけだから、遠慮することなく、それこそ邁進していかなきゃならない。



とにかく、ちゃんと前を向いて、しっかりと行動していかなきゃならない。

「試合が無いから」

「海外に行けないから」

は、単なる言い訳に過ぎないな、きっと。



ということで、幅広い練習相手を求めて、活動をワイドに行う。

しっかりと思う動きが出来るように、まずは毎日をちゃんと積み重ねていくのだ。

海外のあいつらに思い知らせてやる為に!

アプローチ修正

2019年05月09日 21時03分13秒 | 日記
僕は2020年東京パラへの出場を目指している。

2024年のパリ、その後のロスも当然視野に入れている。

選手生活をいつまで続けられるのかは分からない。

でも、現時点で自分にリミットを設けるつもりは微塵もない。

続けられる限り続けていくつもりだし、成長出来る限り上を目指していく。

それが僕の目標であり、ゴールと言えばゴールになる。



その為にどう進んでいくのか?

どういったアプローチをとるのか?

今まで自分で決めた道を進んできた。

それは間違っていないと確信しているし、手ごたえも十分に得ている。

選手としての自信が持てている。



でも、今日ふと「あぁ、それが足りなかったんだ」とあることに気づいた。

甘えがあった。

最短距離を進むべきだと都合よく考えてはいたものの、それが逆に「逃げの選択」となっていたことを自覚した。



ということで、最終目標は変わらない。

けれど、アプローチというか、通過点をしっかり見定め、そこをちゃんと抑えたうえでなきゃ、自分の望む方向へは進めないぞ、と確信した。



すると、なんだろう、目の前が晴れ渡る感じなのだ。

自分に足りていなかったものをまたひとつ掴めた気がする。

これは大きなもの。

要は覚悟がまだまだ足りていなかっただけなのかもしれない。



僕は脊髄損傷によるチェアウォーカーだ。

車椅子という、障害者でも分かりやすいものだ。

だから、目立つ。

目立つからこそ、恥ずかしくない人生を全うしていきたい。



人生の途中で障害を負う。

いや、もしかしたら障害を負ったのではなく「得た」のかもしれない。

チャンスを得ているのだと思う。

無理矢理そう考えるようにしているのではない。

本心で、そう思えるのだ(笑)

だから、そのチャンスを大いに活かす。



その為にも、まずはしっかりとアプローチ修正。

目標を見失わない。

一歩一歩確実に前進していく。

でも、非情にも時間は止まってはくれないので、それを踏まえたうえでペース配分を行い突き進んでいく。



フフフ、明日からがまた楽しみで仕方ない(笑)

心の中でギアが一つ変った音がしたから(笑)

開けていくぜ!

「考える」能力の向上?

2019年05月05日 21時10分25秒 | 日記
卓球競技活動において、いや、それに限ったことではなく、多分人生全てにおいて、自分自身の置かれた立場や活動内容を、その方向性も短期的、中長期的にと、いろいろな角度から考えることが必要不可欠だと思っているし、そうあり続けること、し続けることで、思考能力も日進月歩、一朝一夕とはいかないけれど、少なからず成長していけるものだと思っている。

車椅子で卓球活動を始めて7年目。

最近は自分自身でもその点における成長をより実感できるようになってきた。

今まではおぼろげなイメージだったものが、より明確になってきたし、これまでは人の言葉をお借りして表現していたものが、自分の言葉でも表現できるようになってきたり、一つの動きを見て判断できる幅が以前よりもだいぶ広がっている、より明確なものになっている感覚がある。



あくまでも自分基準でしかないけれど(笑)



何が正しくて何が間違っているのか?

そもそも、自分基準という物差し自体正しいものなのか?

自分の進もうとする方向性は間違ってはいないのか?



自問自答することから、暗中模索、疑心暗鬼な感情も常に持っている。

いや、持っていた。

「自分はこれでいく!」

と、それこそ「心に決めて」、「胸を張って」突き進むのだと決めたのは結構早い段階。

まぁ、若気の至りとか、根拠のない自信というか裏付けのない勢いという感じのもの。

40代の狂い咲きみたいなものかな?(笑)



でも、その根拠のない自信に根拠がつき始めた気がしている。

ようやく、中身が追い付いてきた感がある。



それはなぜ?



自分で言うのもなんだけど、知識という情報がより蓄えられ、それをより早く処理できる能力が養われてきたこと。

そうすることで視野も思考も広がり、より多くの情報を得ることも出来、知識を知恵へと昇華できるような感がある。

考え続けるから答えにたどり着く、そんな感じで、自身の成長を確信しているし、今の活動に手ごたえを感じている。

それは間違いなく、卓球の経験値が上がったからというものだけではなく、これまでのすべてにおける人生経験の賜物でもあると思う。

多分、仕事で養われた集中力と記憶力の恩恵もあり、それが自分の活動を後押ししてくれている。



そして一番大きな違いは、その頭の働きに伴った体の動きがよりスムーズになったというか、頭と体のギャップがより小さくなっているような、それを実感できていることが一番の要因だと思う。

これはコーチとトレーナーの、そのご指導に基づく活動の成果だと実感している。

これもまた一朝一夕でどうにかなるものではないと思う。

でも、積み重ねようとしてきたものに、ようやくそれなりの高さが出来てきたことだと思っているし、これまで積み重ねてきたものが、ひとつのきっかけで開花した、そんな感覚もある。

積み重ねたその高さは、まだまだ足りていないけれど、この実感が大きなモチベーションとなっているのは間違いない。



40代でも身体を成長させることは出来るわけで、脊髄損傷という中途障害であればこそ、自身の体の動きに「ハンディキャップ」は間違いなくあるけれど、その分、自分が持つ可能性も一般の40代より大きいものだと思っている。

いや、思えるようになった。

これは卓球という競技特性にもよると思う。

いずれにしても、今僕はスポーツの恩恵をものすごく感じている。

「失ったものを嘆くのではなく、今そこにあるものを最大限に活かせ!」

は、障害者(中途障害?)のポリシー。

でもそれは身体という物理的なものに限ったことではなく、思考や想像も含め、それこそ自分自身の生命活動全てにおいて言えることであり、そうなってくるとそれは何も障害者に限ったことではなくすべての人に共通するものと言える気がする。



話が大きくなってきた(笑)



まぁそれくらい自分自身の成長を実感できているということで、それだけ思考も高まっているということ。



車椅子である以上、「卓球」といっても一般のそれとは技術も戦術も似て異なるところが多々ある。

某超強豪大学OBの方も「車椅子の卓球はやっぱり全然違ってくるね」と繰り返し言われる。

細かな技術からプレースタイル、身体の使い方、それに伴うトレーニングにおいても、障害を持つ「普通」ではない身体であることもあり、明確な指導を行える人が日本にはいないのが現状。

ベテラン選手も現役として活動を続けているので、経験者が指導者になるというのも未だない。

だから、僕を含め日本の車椅子選手は独自のスタイルで活動を行っている。

仲間であると同時にライバルでもあるから、幕内を見せたくはないという心情も当然ある。

逆に、「俺はこれだけやってるぜ!」と自慢したい心理もあるはず。

いずれにしても、みんないろいろ考えながら頑張っているのだ。



僕も、ようやく今までのものが形になり始めた。

自分が目指し、イメージしてきたものが、ようやく掴めてきた感がある。

そして、さらなるステップアップのために、もっとハードルを上げていく必要もある。

と同時に、ケアもしっかり行っていかなければならない。



これから先が楽しみで仕方ない。

早く自分を試したい。

でも、今はまだその時ではない。

急いては事を仕損じる。

迎えに行かない。

引き付けてしっかり打つ。

頭、そして身体。

良い感じになってきた。

あとは心も鍛えなきゃいけない。

よし、頑張ろう!