車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

乗り越えよう!個々の意地と底力で!

2021年01月29日 11時46分29秒 | 日記
https://youtu.be/k4XbQlLXeOg

「乗り越えよう スポーツの力で」

昨年夏頃だったかな?

コロナ禍での応援動画協力の依頼を受け提供したものがあります。

今もまだその渦中にあるけど、心理的には当時よりもさらに厳しさが増しているように感じています。

既にスポーツの力で乗り越えられる限界は過ぎてしまっていて、日本国内においては飲食店、芸能文化事業だけでなく、さらにはスポーツ活動までもが危ぶまれかねないような状況にまで追い込められているようにも思えてきます。

EUは再び日本からの入域を原則禁止としたという報道もありました。

外から見ても今日本はそのように見受けられているということです。

じゃぁ何をすべきなのか?何をしちゃいけないのか?

いや、それは別に今あらためて言う事でもないでしょう。

これまで言われてきたことを徹底するだけだと思いますし、その判断と行動を徹底していくしかないと思います。

そこで敢えて言わせていただこうと思います。



「乗り越えよう!個々の意地と底力で!」



人が、政府が、自治体が、という前に、今あらためて自分自身を見直さなきゃならない時なのかもしれません。

個人であれ組織であれ、自分以外の「人」を動かすよりも、まずは自分が動く方が断然素早く簡単ですから、社会であれ組織であれ何かしらの変革を必要とするならば、動かしたいと思うならば、まずは自分が動くこと、自分の行動に変化を生じさせることが第一だと思います。

現状においてそれはある意味「自分に犠牲を強いる」ということにもなります。

例えば、行動の範囲を狭める、より息苦しくとも不織布マスクを着用し常に鼻までしっかり覆うとか、そういう微々たる部分での自分を犠牲にする努力が求められる時なのだと思います。

それは今まで以上に出費がかさむなど、経済的にも自分を犠牲にすることにになることでしょう。

でもその努力は社会全体からすれば本当に微々たるもの。

誰も気づかない、見向きもされない、そんな些細なことではあります。

言うなれば塵一粒です。

自分はこれだけ頑張っているのに誰も分かってくれない、評価してくれないと悔しく思えたり、或いは失意に駆られるようなこともあるかもしれません。

でも、その努力が目に見えないような塵一粒であっても、それはこの世に確実に存在しているものです。



「塵も積もれば山となる」



そう、その塵一粒が積み重なって山になるのです。

僕達弱い人間は変革を求める時に、最初からそこに山が出現することを求めてしまう。

でもそれは、言ってみれば天変地異であり、それは残念ながら現代の人間の手で出来るものではありません。

だから、塵一粒の僕ら一人一人の努力という、ほんの些細な存在を集約させて、それを山にするしかないのだと思います。

何も今の努力を激変させろという事ではなく、今よりもう少しだけ、ほんの少しの自己犠牲(我慢)を加えて「アップデート」を試みる、ということ。

時には、「自分はこれだけ頑張っているのにあの人達はそうじゃないじゃないか!」と残念なシーンに直面したり、他者がネガティブに見えてしまうこともあります。

でもそこで腐らずに自分の努力を維持し続けるという「我慢」もまた塵一粒となる行動です。

愚痴をこぼしたくなる時にグッと堪えて笑顔を見せる。そうしたことで周囲を不安な気持ちにさせない。そうした我慢という努力もまた社会にとっての塵一つ。

それが、これから生まれるであろう山をさらに大きなものにし、この困難をより早くみんなで乗り越えられるようになるのではないかなぁと思います。

乗り越えましょう!みんなそれぞれの意地と底力で!

世界中のみなさんが無事に少しでも早く今までと変わらない世界を取り戻せることを切に願います。

衝撃という偶然の産物

2021年01月25日 23時15分20秒 | 日記
先日、思わぬご縁で某トップ選手のラケットを試打させていただいたのだけれど、ズバリ、笑いが止まらなかった(笑)

変な意味ではない(笑)

それだけ凄さを感じた、ということ。

その選手のプレーはテレビでも動画でも散々見ているので、ある意味その根幹にあたる部分をこの目で見て、この手で触れられたことにものすごく喜びや感動を得たし、でもそれ以上に、そのラケットは何よりも僕自身の卓球活動に強いインパクトを与えてくれた。

ごく短い時間のその試打から、新たな発想が大きく芽を伸ばした。

今までにはない新しいことへのチャレンジを促してくれる。

「やってみよう!」

という行動を伴う新しい扉を開かせてくれた感がある。

「やってみたい」ではない。

「よし、やってみよう!」

なのだ。

それこそまさにPDCAサイクルの始まりなのだな(笑)



ちなみに、「やってみたい」ではほぼそこで頓挫する。悲しいかな、それが人間。「でも・・・」「だけど・・・」と、何かしらの理由(言い訳)をつけて終わるもの。それがリアルなんだなぁ。

テレビで記者会見等を見ていても様々な方のコメントを見受けるけれど、その際「〜したいと思います」という表現を聞いた時、「あぁこの人、やらないか、やっても続かないんだろうな」と思ってしまう。僕自身がそうだから(笑)

「言葉」というのは頭の中、心の中を表現する為の、いわばアウトプットのツールに過ぎないので、どういう「言葉」使うかで与える印象や発信したい情報には誤解が生じてしまうし、聴く側もただその「言葉」の意味をそのまま受け取るだけでは誤った情報伝達になり得ると思っている。
言葉をどう使うかで実はその人の「本気度」までも伝わるものだし、その言葉の奥にある「真意」を読み取ることが「行間を読む」とか「本音を探る」、或いは「空気を読む」ということになり、それがコミュニケーション能力に直結することになる。

役者のように表情豊かで演技力があり、学者や専門家のように知識やボキャブラリーも豊富に持ち合わせている人がいたとして、自分の頭を使わずにただその人の言葉だけを受け止めていると、人は簡単に騙される(笑)



話を戻そう。

まだまだ僕には足りない部分が多くあって、今の自分に満足している訳ではないけれど、別段今の自分にレーン・チェンジが必要だとは思っていないし、何か新しいことを必要としている訳でもなく、必要なのはアップデート、今の自分をもっと高めていく、大切なものは自分の中にある、そんな気持ちで取り組めている。

そこにおいてのこのインパクト。

そしてそれを即行動に移した自分、それが出来た自分。

成長したなぁと思った(笑)

得意の自画自賛(笑)

でも、今だからこそこれだけのインパクトを感じられたのだとも思う。

以前であれば、PDは出来てもCで得られるものは桁違いの差があっただろうし、それ故にAには至らずに終わったように思う。

そんな今の自分を嬉しく思う。

自画自賛(笑)



でも、今の自分が以前の自分と異なるなら、これまでとは違った新しいことに挑戦出来るのだと思った時、「じゃぁもしかしたら」と過去を振り返りたくもなる。

「あの時はこう感じたけど、今ならまた違っているかもしれない」と思えてくる。

恋愛と同じか?(笑)

それは「タラレバ」になるかもしれないけれど、逆に建設的思考にもなり得るとも思う。

結局は本人次第ということか。

ただ、前向きに捉える為には過去のデータを再度洗い出すという膨大な労力、或いはコストを費やすことにもなるので、その時点で「ま、いいか」と頓挫することも少なくない。

仮に、過去のデータを洗い直す作業に取り掛かってみても、そこから得られるものは案外ごく僅かなものだったり、全く収穫はなかったということもあるので、そうした経験のある人はその重要性を分かっていても費用対効果を考えてそれには着手しないということも少なからずあると思う。



でも、今の僕は違う。

それくらいのインパクトが得られたラケット試打。

そういうチャンスに恵まれたことにまず感謝。

そういうインパクトを感じられた自分の、これまでの取り組みに感謝。

そういう活動を支えてくれている今のこの環境に感謝。

お陰で今日の練習もすごく内容の濃い良いものに出来た。

その分疲労感も大きいけど(笑)



まだまだ社会の状況は厳しく、好転の兆しが見えないどころか、緊急事態宣言延長の声も聞こえてきたり、ネガティブな報道が多く飛び交っている。

けれど、前を向く。上を向く。

自分が気をつけるしかないと思っている。

リスクを背負うかどうかの判断は自分で出来るのだから、どういう選択をし、行動を取るかは自分で決められる。

今得られたこの素晴らしい衝撃を無駄にしない為にも、それを上手く「利用する」為にも、今自分の行動を改めて客観視し、厳しく取り組んでいかなければと思う。

不安は大きくある。

でも、背筋を正し前を向いて歩くのだな。

脊髄損傷で背筋を正せないチェアウォーカーだけど(笑)

熱血試合観戦!

2021年01月19日 22時56分37秒 | 日記
卓球全日本選手権。

ものすごいものだった。

まずシスコ・アスリート・アンバサダー、石川佳純さんの優勝を祝したい。

そして、様々な困難や制約も設けられ通常とは異なる環境の中で最大限のパフォーマンスを発揮し、見る人に力を与えてくれた全ての選手、また、思わぬアクシデントで途中棄権を余儀なくされた選手も、そして、この状況下で準備をし開催を実現させる事が出来た全ての関係者各位に、一観戦者として感謝申し上げたい。



無観客をはじめ、様々なところでこれまでとは異なるところが見て取れた。

中継を見ていても「あぁ、これは戸惑うだろうな」と思う箇所が多々あった。

その影響を特に大きく受けていたのが張本選手だったのではないかと報道もされていたし。

でもそれは選手の立場だけでなく、審判の視点でも同じことが言えると思う。

一番は台の上の汗の飛沫を拭く作業。汗だけでなくラバーのかけらの除去などもあるのかもしれない。

その作業自体は簡単なこと。でも、それに時間をかける事はゲームに大きな影響を及ぼしかねないので、その辺りの気遣いもものすごく大きかったと思われるし、そもそもそれらの判断、決断もご苦労があったと思われる。

ボールに触れる点もそう、それこそ「気苦労」は比較できないくらい甚大だったはず。

顔馴染みの審判を中継でも複数見受けたので、お会いできた時には直接聞いてみようと思う。



だけど本当に、観戦することで今回も良い勉強をさせていただいた。

この状況下ではあるけれど、幸い僕は変わらず練習が出来ている現状なので、ある意味直接的に勉強に利用させていただくことが出来た。

でもそれ以上に、ゲームを楽しませていただいた。

特に、女子の準決勝、決勝はその内容の凄さもありより興奮した。

準々決勝でも「あのラバーを使っているこの選手が・・・おお!」と言った感じで興奮の観戦となったり、いつも以上に楽しんでいたのかもしれない。

この状況下でも、いや、だからこそ?こうして「楽しめる」ことを提供してくれた選手や関係者に重ね重ね感謝申し上げる。



さぁ、そして自分の練習だ。

先日、練習の中で偶然から大きな課題を見出した。

本当に大きな課題。

情報として頭では理解出来ていたけれど、それに留まっていた。

でも、ようやく本当の意味で理解出来たから、まずはそれを自分のものに出来るよう練習あるのみ。

練習の出来るうちに徹底的に練習しておくしかない。

いつまた出来ない状況になるか分からないのだから。

都内の卓球場や卓球関係者の話も耳に入ってくる。

卓球場に限らず病院でも何かしらの施設でも最大限注意していてそれなのだから、最悪の事態も想定した上で、その時自分がどうすべきか、何が出来るのか、何をしちゃいけないのか、様々な立ち位置それぞれの視点で想定していなきゃならない。

社会がそうならない為に、社会人である自分がどう行動するかが今最も重要なことなのだけれど。

せっかく良い試合観戦が出来て、それをいつも以上に自分に活かせているこの状況を失うのは耐えがたい。

だから、まずは自分がどうあるべきか、どう行動すべきかを冷静に、客観的に判断していく。

そして、自分が迎えられる次の試合に向けてしっかりと取り組んでいきたい。

いろんな人と打ちたい。

自分の現在位置を確かめたい。

そして修正を加えたい。

けれど、残念ながら今はその時じゃない。

でも、「成長」というのは必ずしもそういうステップでなくても出来るもの。

それを今回の全日本選手権の選手の活躍を見て僕は確信した。

だから、結局のところ全ては自分次第なのだと思う。

一日24時間の全てのシーンにおいて、その時どう判断し行動するか、それによって次の瞬間の自分が決まるということなのだな。

その積み重ねで自分の先の人生が決まるのだな。

人生には分岐点が存在するっていうけれど、そもそも「どの分岐点を選ぶか」は自分次第ということだ。

一瞬一瞬の積み重なった先の分岐点なのだから。

よし、明日もまた頑張っていこう。

でも今のこの状況下で無謀な頑張りにならないようには注意していよう。

最後にあらためて、全日本選手権出場の選手並びに関係者のみなさん、本当にお疲れさまでした。

ありがとうございました。

2021年・・・

2021年01月06日 22時54分45秒 | 日記
2021年、さぁ新しい一年、しっかり頑張っていくぞ!

と思った矢先に緊急事態宣言・・・

でもまぁこれも仕方ないこと。

活動の幅、範囲は制限され、不安はさらに増すことになる。

けれど、悲観することはない。

出来ることはたくさんあるのだから。

自由も変わらずこの手にある。

今のこの状況に対し世の中には自由すら制限される中で懸命に尽力されている方が大勢いて、そうした方々の活躍あって僕らの生活は支えられている訳で、なのに自分が思うように練習出来ない!なんてことでぼやくのはなんと心の小さなことか!それこそまさに自己中の反社会的思考ではなかろうか。

そりゃぁ確かに、様々な相手と様々な環境で打ちたい。

けれどそれは人との接触機会というリスクを増加させることになる。

だから、今は安易にそうは言っていられない。

そもそも、ただボールを打つことが必ずしも練習というわけではない。

「様々な相手と様々な環境で」ということに満足を得るのは底の浅い練習でただの自己満足でしかない。

今のこの時期に高くないモチベーションでただボールを打つだけの質の低い練習、中途半端な練習ならばむしろやらない方が良い。

そんな練習しか出来ないのであれば、それは敢えてやらずに、今は国民一丸となって感染拡大を食い止めることを優先すべき。



練習に出かけなくても自宅で出来るトレーニングは多々ある。

僕らはそれを既に一度経験している。

だから、悲観する必要はない。

僕はそう考える。



昨年末から特に調子がいいから、年明けからはこんな練習、あんな練習といろいろ考えていて、そのアイデアはさらに広がりを見せている。

そこでの緊急事態宣言は確かに残念ではある。

でも去年一年間を振り返って、なぜ調子が良かったのかを自己分析すると、その答えは明確で、昨年から新たに始めた取り組みの手ごたえも得ているので、この状況下でのネガティブ要素をはるかに超えて、その先の自分がどうあるのか、どうなっていけるのか、楽しみで仕方ない(笑)



そんな僕を支えてくれるのはまさに「人」の存在。

「温度差」を感じない様々な方の支えがあるからこそ、高いモチベーションで取り組んでいけるし、その尊敬できる方々に認めてもらいたいという思いがまた活力になっている。

だから頑張れる。前を向ける。

すると、出来ないことを嘆くよりも、今出来ることを可能な限りやっていこうという発想が自然発生する。

おお、障害者ポジティブ・マインドに繋がった(笑)

そしてさらに、尊敬する方々は皆揃ってポジティブだ。

恐らくは口にする以上の苦労や何かしらのアクシデントなどもあるはず。

でもそれを、「いやぁ、参っちゃうよ」と笑顔で軽く言う。

いや、言えるのだ。

水面下で必死に水をかく白鳥と同じ。

そして、歯を食いしばって頑張ることを身をもって知っている方々。

だから、入れるべきと抜くべき「力加減」をよく知っているし、相手を見て、時に厳しく、時に優しく出来る方々。

そんな方々に育てられ、支えられての僕なのだ。

その恩返しを求めるならば、今のこの不安の中で多少の制限を設けられたとしても、やるべき事ははっきり見えているし、いやその前に、厳しく言われれば見られてもいる。

だから、愚痴を言っている暇はない。

前進あるのみ。

それが2021年の自分なのだな。



さぁ、今年も頑張っていこう。

限られた範囲でのトレーニングで井の中の蛙にならないように気をつけよう。

チャンスは最大限に活かそう。

可能性を無駄にしないでいよう。

来年以降の自分が感謝する今年の自分でいよう。

その為にはまず、感染対策も不可欠。

しっかり気をつけながら、頑張っていこう。

世界のこの災いが少しでも早くクリアになることを祈りながら。