車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

念願第一段階ようやく成就?

2022年04月27日 00時24分07秒 | 日記
パラ卓球を始めて、国際大会に行くならまずフランスへ行く!

そう強く決めたのは2014年。

なぜフランス?

それはもちろんフランス料理の世界で生きてきたからこそ、それが僕のアイデンティティだと自負しているからこそです。

僕の人生を大きく分けるなら、第1章が学生時代から歩んだフランス料理の世界。

そして車椅子になり、第2章として歩み始めたパラ卓球の道。

第1章と2章のターニングポイント、それはまさに障害、車椅子です。

第2章、それはそれまでとは全く違った世界でした。

暗中模索、五里霧中、いや、そんなレベルじゃない世界と言えるかな。

だけど、その暗闇を照らすのはそれまで自分が培ってきた、積み重ねてきたものでした。

僕はそれを「財産」だと思っていますが、それこそが「フランス料理」なのでした。

知識だけじゃない、そこで出会った人、モノ、そして思い出。

車椅子になって人生が大きく変わって、それまでと同じようには出来ない、過ごせない。

けれど、それらを無駄にしたくない。

むしろ大切にしていきたい。

だからこそ、2章に進んでもまず「フランス」だったんです。



2015年、僕の国際大会デビューの年、当初のワールドツアーの予定にはフランス大会がありました。

開催都市はナント。ロワール川の河口付近の街で、ミュスカデという白ワインが有名です。

その大会をデビュー戦と考えましたが、急遽中止が発表され、フランス大会は無しに。

結果的にじゃぁ隣国をデビュー戦にしようとスペインはバルセロナが僕のファーストステップになりました。

今も覚えているのは、食事の素材の良さ。

体育館横のカフェでお昼と夜を取るのですが、正直、料理は「カフェ」のレベルです。

レストランのガストロノミーな調理のテクニックといったものではありません。

がしかし、食材が良い!

価格帯や店構えから扱う食材がどんなレベルなのかも正直想像がつくものですが、特にチキンとタラのクオリティの高さには驚かされました。

これがスペインなんだ、こういうところが日本とは違うんだ、なんて印象を持ったのを強く覚えています。

なんて話が逸れましたが、海外に行くたびに僕は現地の食事をそうした目線で楽しでいます。



で、フランス大会はその後ずっと開催されませんでした。

昨年だったかな?

僕がパラ卓球を始めてから初めての開催となりましたが、その時僕は代表から外れていたので行くことは出来ませんでした。

パリ・パラリンピックも開催が決まったので、フランスもどんどん盛り上げていっているのだと思います。

そして今年の開催です。

僕は代表に返り咲くことが出来ました。

そしてフランス大会への出場を希望し、それがようやく叶いました。

正直、希望を出したものの、難しいだろうなとも思っていました。

というのは、今のこのコロナの状況です。

各国のエントリー数が制限されていたりするので、以前のように希望する大会に出場という訳にはいかないのです。

もちろん、ただ行きたいから行くというのではなく、大会によって選手の顔ぶれや環境等様々異なるので、そこは自分でマネジメントし判断するのですが、今はそれすら難しい状況が続いています。

でも、今年のフランス大会へは行けることが決まりました。

だから、ようやくの念願第一段階成就なのです(笑)



これを僕のパラ卓球におけるターニングポイントと出来るよう、しっかり取り組んでいこうと思います。

そう、ターニングポイントです。

全然、ゴールではありません。

僕が目指すのはこのもっともっと先。

ここから先は更に違った険しさを伴うはずですし、僕はそう想定した上で進めているつもりです。

それでも、想定外は起こり、険しさが増し、より高い壁や困難が道をふさぐこともしばし起こるでしょう。

例えそうであったとしても、自分が積み重ねてきたものは自分を裏切らない。

それを乗り越えられないとすればそれは、積み重ねが足りなかったというだけの話。

足りなかったとしても、そこまで積み重ねたものは確実に存在する。

そしてさらに積み重ねていく。

直向きに積み重ね続けたやつがより高いところにたどり着く。

何事もそうだと考えます。



ただ、今の僕はまだまだその段階へは到達出来ていない。

まずは目の前にある(と思っている)ターニングポイントを曲がること、それが大切なのです。

それがこのフランス大会に出来るかどうか、それもまた自分次第。

自分で言うのもなんですが、始めたばかりの頃に比べて今は格段に成長できていると思いますし、そうした環境を得られてもいるので、その成果を発揮できるかどうか、それこそが自分次第だと思っています。



パラ卓球活動を始めて10年目。

新しいステージへ進めるよう、まずはコンディショニングの維持。

ちょっとでも気を抜けば出国すら出来ないかもしれない。

無事に渡航しベストのパフォーマンスが出来るよう、今を大切に過ごしていきます。

ちなみに、現地での食事は滞在先での食事のみなので、俗にいうレストラン的な「フランス料理」はあり得ません(笑)

もしあったとしても、メニューにもよりますが多分僕は食べないように思いますね。

キノコのオムレツや鶏のテリーヌとかだと嬉しいな(笑)

今の季節なら、野菜料理に期待したい(笑)

日本パラ卓球界が大きく前進!

2022年04月07日 21時24分38秒 | 日記
日本パラ卓球ナショナルチームの新体制が発表されました。

なんと、日本卓球協会がその強化を担ってくれることになったんです!

これはめちゃくちゃ凄いことですし、個人的にものすごく嬉しいことです!

まず、オリとパラそれぞれのハイ・パフォーマンス・ディレクターには宮崎義仁さんが共に就かれるので強化体制が統括され、その元に監督、ヘッドコーチも日本卓球協会から選任されるという形に。

卓球日本代表強化ノウハウをパラ卓球にも!ヘッドコーチに石川佳純や平野美宇ら育てた羽生綾子氏(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

ある意味、これまで日本卓球協会はパラ卓球に関しては沈黙を保っていたと思っています。

あくまでも個人的な印象ですが、そこには「敢えて」というイメージがあり、それは様々な事情もあってのことなのかなと僕は考えていました。

でも、日本の卓球界は世界の頂点を狙えるだけの力があるのに、それをパラで活かすことが出来ないのはもったいないじゃないか、ここでも日本特有の縦割り社会の軋轢が足かせになるのか?とも思っていました。

でも、その壁をついに乗り越えて、新しい一歩を今まさに踏み出そうとしているのです。

スポーツの観点からしても、オリとパラの団体が一緒になって強化をしていくというのは日本では他にない例だと思います。

それは社会全般の視点で捉えれば、共生社会の実現やノーマライゼーションといった動きに呼応するものであり、これはものすごく価値あるものだと考えますし、それをスポーツの分野で卓球から始めていくということをすごく嬉しく思います。

間違いなく、社会にインパクトを与える行動だと思います。



ただ、こうなってくると、パラ選手にとっては現実的によりシビアなものが求められる、突き付けられるはずです。

そもそも、日本卓球界のトップを育てているチームの眼で見られる訳ですから。

「え?そんなことも出来ないの?」

と思われるはず。

出来て当たり前とする「普通」の水準が大きく違っているはずです。

だからこそ、「このくらいは出来なきゃ話にならない」となるでしょう。

それは技術的にも身体能力的にも。

障害があるから出来ないことがあるのは致し方ないとはいえ、でもそれで障害を理由とした「甘えた考え」は許されなくなると思います。

だって、日本卓球界の現場に立つ多くの方々は昭和の根性論の時代を生き抜き、勝ち抜いて活躍された方ですし、あるいはその方々から直接厳しい指導をされた方です。

その方々からすれば本音の部分では「え?そんなんで大丈夫なの?」となるはずです。

幸いにも僕はその時代の方々(日本代表レベル)の話をご本人から直接、あるいは間接的に、また昭和の日本卓球黄金時代を築き上げた世代の指導者から直接厳しい指導を受けた方々のお話も聞かせていただきましたが、それは物凄い内容でした。スポーツ科学やスポーツ栄養学も確立していない時代だったからこその一面はあるかもしれないし、そのやり方が今の時代に相応しいかどうか今となっては確かに疑問符が付くところもあるけれど、でも僕はその時代の根性論を否定するつもりも無ければ、むしろ評価すべき点も多々あると思いますし、何よりもそれをやり抜いてこられた方々には他にはない説得力、言葉の力、それこそオーラがあると思います。だからこそ、それを基準とすれば・・・と思う訳です。



いずれにせよ、環境がより良い方向へとシフトする訳です。

環境がより良いものに変われば、そこに身を置くものも自然とより良い方向へより大きく成長していけるだろうとは思います。

でも、何よりもまず大切なのは本人の「成長していこう!」という気持ちで、その強さが成長の度合いに直結するもので、「育ててもらおう」という気持ちではどれだけ良い環境に身を置いていてもそれなりにしか成長出来ないもののように思います。

だから、自分がしっかり頑張っていかなきゃならない。

と、戒めるように自分に言い聞かせています(笑)



これから国内の選手層もどんどんと厚くなっていくでしょう。

若い選手がどんどん増えて、競争力もどんどん高まっていくはずです。

その中で自分がどうあるのか。

どのように生き残っていくのか。

どう向き合っていくのか。

今までよりもさらに厳しく険しい道になるでしょう。

でもそれは今に始まったことじゃない。

どんな道でも楽な道はないし、その道がどこへ伸びているのか分からない、それこそ一寸先はってやつで、ただ足元に伸びる道に沿って進もうとするから分からなくなるだけであり、そこが道であろうがなかろうが、自分がどこに進みたいのかをしっかり見定め、そこに向かって邁進していくことが大切なのだと思います。

車椅子でオフロードは絶望的だけど(笑)

さぁ、また一つ開けた道をしっかりと進んでいきましょう!

ちなみに僕は今年度のナショナルチーム候補選手として代表に選出されました。

まだ世界はコロナ禍にあり、さらにはウクライナの眼を覆いたくなるような情勢も懸念される状況ではありますが、ワールドツアーは開催されているので、僕も出場し上を目指していきます。

期待を裏切らないように、見捨てられないように、やってよかったと思ってもらえるように、そこに価値を見出してもらえるように、でもダントツ一番は自分の為に、しっかり頑張っていきます!